バチカン、ついに北京と合意(中国カトリック教会の処遇を巡り)


元駐バチカン大使 文明論考家 上野 景文

1.はじめにーーバチカン、司教任命に関し、中国政府と歴史的合意

 バチカン(注1)と中国政府との間で「中国カトリック教会の処遇」に関する合意が得られる日は近いようだとの報道が出始めて数年。果たせるかな、去る9月22日、両政府間で、中国カトリック教会の「司教任命」に関し合意が得られ、北京で暫定協定に署名がなされた。ついにと言うことだ。今回、カトリック教会の処遇を巡る諸懸案の中核をなす司教任命問題に関し、両国間で合意が得られたことで、両国関係は、70年に及ぶ「反目」の時代から「対話」の時代へ転じることが期待されるところ、この「歴史的合意」、「和解(rapprochement)」(多くの報道がそう表現)に関し、その意義等概述する。なお、本件は、複雑な経緯があることもあり、時間のある方は、先ず、末尾に紹介した拙論(霞関会HP、‘18.1.25.)をご覧になることをお薦めする。他方、時間のない方は、本稿の3-4に絞って目をお通し頂きたい。また、本件については不公表の部分が多いため、本稿は「取り敢えずの考察」に留まる点、お断りしておく。

2.合意の概要――発表は素っ気ないものであった

 先ず、バチカン、中国での発表であるが、今回署名した暫定協定は中国カトリック教会の司教任命に関わるものだという、実に素っ気ないものであった。それを超える詳細は不公表であったが、諸報道を参考にしつつ、合意が如何なるものであったか、私なりの推理をお示しする。

 なお、中国カトリック教会の司教任命を巡っては、任命権はあくまで法王にあるとするローマの立場と、これを真向から否定する北京の立場が全く相容れないことから、長年にわたり解決の糸口(breakthrough)すら見つからない状態が続き、この問題が両国関係全般の改善を妨げて来た。加えて、中国カトリック教会は、長年にわたり、北京の監督下にある公認教会と、法王との繋がりを大切にし、北京の監督下に入ることを拒んでいる地下教会とに分裂している(注2)。以上2点を前提に、拙論お読み頂きたい。

(1)今後の司教任命

① 今回の合意は、全ての司教――公認教会、地下教会(注2)の如何を問わず―――の任命に適用される
② 今後の司教選定プロセスは、以下に示すように、バチカン、北京の双方が関与することになる(=相互乗り入れ)。

(i)先ず、各地元(司教区)で、宗教管理当局(以下、当局)が作成した候補者リストから、選挙により候補者を選定。
(ii)当局(北京)は、右結果の送達を受けると、これを外交ルートを通じローマ(バチカン)に転達する。
(iii)法王は右結果を承認する。承認が適当でない場合には、北京に再考を求めることが出来る。

③ つまり、今後は、これまで北京当局が関与して来た公認教会の司教任命にバチカンも関与する一方、これまでバチカンのみが関与して来た地下教会の司教任命に北京も関与する。
④ 司教任命は、法王名で行われる。

 

(2)現職司教(65名+36名=100名強)の処遇では、現職の司教の処遇はどうなるのか?3つに分けて説明する。

(イ)公認教会の司教(65名前後)の処遇

【従来の姿=北京から任命された公認教会の司教のうち、下記①を除く60名弱は、法王から追認を受けている。】

① 公認教会の司教で、法王が追認していなかった8名(1名は故人)は、今回、全員追認された。
② この結果、公認教会の全司教(65名前後)が法王の「お墨付き」を得たことになる。すなわち、かれらは全員、北京とローマから「ダブル承認」を得たことになる。

(ロ)地下教会の司教(36名前後)の処遇

【従来の姿=北京との関係を拒んでいる地下教会の司教は、全員法王からのみ任命を受けている。】

 地下教会の司教(36名前後)の処遇については、今回、合意はなく、この36名については、引き続き、現状(「ローマのみの承認」)が続く。なお、地下教会の2名の司教を退かせ、後釜に公認教会司教を充てるとの合意もあったようだ。そうだとすれば、北京は地下教会の2名については、その存在を事実上認知したと言うことだ。

(ハ)全司教(100名強)の処遇

① (上記(イ)① の結果)史上初めて、中国の全司教が法王と「繋がる」こと(注3)になった。その意味で、教会の「二分状態」は、解消のきっかけを得たことになる。
②(バチカンはこうコメントした)今回の合意を契機に、過去の傷の克服を可能とする新たな対話プロセスを通じ、全カトリック教徒が「完全に繋がる」こと(注3)が望まれる。

(3)「愛国会(CCPA)」の位置づけ

【従来の姿=公認教会は、北京当局の指揮下にある中国天主教愛国会(CCPA)から管理されている。他方、地下教会はCCPAの傘下にない。】

 今回の合意は、CCPAを超える大枠を決めるものだったこともあり、CCPAの処遇(バチカンがCCPAを承認するか、地下教会をCCPAの傘下に入れるか、など)は合意事項には入っていない(今後協議される)。

(4)その他:バチカンから補足があった;

① 本合意の実施振りについて、定期的にレヴューが行われる。
② 何れにせよ、今回の合意は出発点に過ぎない。

3.今次合意の意味―――宗教の次元で―――キーワードは「発想の転換」

 以上から明らかなように、今次合意は、まさに「歴史的和解」の産物であり、「歴史の転換点」の到来を感じさせるものだ。ローマ、北京双方が思い切った「発想の転換」を成し遂げたことで、はじめて可能となったと言える;

(1)公認教会の「バチカン化」:先ず、北京が、これまで70年間否認してきた法王の司教任命権を認め、もって、法王を中国カトリック教会のトップとして認知したこと、すなわち、法王の権威を認めたこと(=北京による譲歩)は、画期的、否、革命的であった。

(2)それにしても、宗教はじめ多くの分野で国内引き締めを強め、併せて、「宗教の中国化」を強く唱える習近平政権が、そこまで踏み切ったことは、驚きであり、その意味するところはしっかり分析したい(下記4(3)①-③参照)。もっとも、この点については、(国内での反発を懸念する中国に配慮してか)伏せられたままだ。

(2)地下教会の「中国化」:同様に、バチカンが、北京との繋がりを拒んできた地下教会の司教の任命につき、北京の関与を受け入れたこと(=バチカンによる譲歩も、画期的だ

(3)思い切った譲歩:北京とバチカンは、最大の懸案を解決することで、70年にわたる確執を脱し、歴史的和解に転じた(まだ入り口ではあるが)。双方とも思い切った譲歩をしたことは、正当に評価されて良い。なお、バチカンだけが不当に妥協させられたとの批判があるが、そうではなかった。それに、国際報道の多くは、ローマがここまで妥協してしまった云々と、ローマのみに言及し、北京が妥協したことには、何故か、余り触れない。

(4)「ふたつの教会」から「ひとつの教会」への転換:この結果、公認教会と地下教会を隔てる「壁」が低くなり、ふたつの教会の「統合」に向けての最大の「障害」がなくなった。今回バチカンは、「(中国の)全カトリック教徒が完全に繋がる」ことが望まれるとコメントする(上記2(4)②)ことで、「ひとつの教会をめざそう」との点を明確にした。教会が「地下」と「表」に二分されている現状は、決して望ましいことではないとの点では、北京とバチカンは似た気持ちでいる(思惑は大分違うが)ので、今回の合意を通じて、「ふたつの教会」分立状態からの離脱の方向が出されたことは、さほど意外なことではない。今後は、統合を視野に入れつつ、「新たな枠組」の策定に向けた協議が必要となるが、先ずは、可能なところから、「地下」と「表」の「相互乗り入れ」を進めてゆくことが肝要だ。その際、CCPAの位置づけの再定義が俎上に上るかも知れない。ただ、CCPAは大きな既得権をかかえており、現状変更には抵抗するであろう。

4.今次合意の評価、課題――政治の次元で

 最後に、「教会」の次元から離れ、「政治」の次元に立って、今次合意を振り返ろう。この視点からも、ローマと北京は「歴史的な仕事」をしたとの評価を下して良いであろう。

(1)総評

① 今回の合意は、あくまで宗教の次元に留まると(バチカンの高官は)コメントしたが、客観的に見れば、今回の動きは「政治のダイナミズム」そのもののように筆者には感じられた(下記(3)①-③参照)。
② そもそも、合せて25億人が背後に控える中国とローマ(バチカン)の間に、外交関係はもとより、「対話のパイプ」がないこれまでの状況は、ローマが北京に直かに「物申す」機会がないと言う点を含め、明らかに不健全であった。今回の合意を契機に、ローマ・北京間の対話チャネルが確立したことは、それ自体、意義があると言える。今後とも、対話と妥協が積み重ねられ、両者間の距離感が半歩でも短縮されることが期待される。ローマとの対話を通じ、北京が少しでも「外向き」になれば(注4)、望み薄だが、しめたものだ。
③ そう、今回の合意は、ひょっとすると、北京が「外向き」になる契機になるかも知れない(注4)。我が国を含めた多くの国が、そう期待して、今回の成果を肯定的にとらえているようだ。北京が絡むゆえ、楽観は禁物と知りつつも。ただ、ワシントンは内心(あくまで内心)快く思っていないようだ。それは、「北京封じ込め」戦略に乗り出しつつあるワシントンから見ると、今回の合意はその流れに棹さすものに映るからだ。
④ なお、フランシスコ法王は、ロシア正教会との歴史的和解(2016年2月)に引き続き、その2年半後、中国とも歴史的和解に漕ぎ着けた訳だ。「新冷戦」への流れが顕在化しつつある昨今、宗教の次元に限定されるとは言え、東西間の張りつめた「緊張」を緩和することに資する可能性のある法王の努力に、国際社会はもう少し着目して良い。

(2)バチカン

① 対中接近のメリット:西欧におけるカトリック教徒数の減少に悩むローマにフォーカスすると、13億の人口を擁する中国は、「信徒数拡大」(下品な言い方をすれば「市場拡大」)と言う観点から、高い魅力を有する。今回の合意は、ローマが中国に橋頭保を築く第一歩となるだろう。

内部からの抵抗: (i)バチカンは元々保守派の牙城である。かれらは、総じて、対中接近には慎重である。ローマ法王と言えど、周囲の保守派に抗して対中関係を進めることは簡単ではない。今回の決断は、周囲から保守派を斥けたフランシスコ法王でなければ成し遂げられなかったことのように思われる。欧州でなく、中南米出身で、バチカンとのしがらみの薄い法王だから、出来たとも言えよう。加えて、中国へのアプローチに実績のあるイエズス会出身の法王だけに、中国への思い入れが強いようで、このことが事態進展に寄与した面も見過ごせない。

(ii)今回の合意に対するカトリック保守派からの批判は二通りある。ひとつは、世俗パワーとしての政府に司教任命への関与を認め、教会の純粋性を冒したことへの批判。もうひとつは、司教任命の過程で無神論の共産党政権の関与を認めた点への批判。

 前者については、司教の選定任命に関し、バチカンと相手国政府の双方の関与を認めた先例(協定)は少くない。つまり、今回の合意は、多数ある事例の一つに過ぎず、「特別だ、異例だ」と言うことでこれを批判することは、的外れだ。類似の協定事例が少くないのは、共通の「ひな形」があるからで、その原型は、ナポレオン1世と結んだ1801年の政教協約(concordat)に遡る。

(iii)他方、後者の批判は、「共産主義」アレルギーの強い旧世代に多い。かれらの共産主義への疑心は徹底しており、「狼」との接触すら毛嫌いし、批判する。が、だからこそ、「パイプを持つべき」との考えもあり得る。法王以下の考えは、「何もしないよりは、半歩、否、1/4歩でも前進するほうがまだまし」との現実論のようだ。交渉に携わるさる高官の次の発言が、ローマ側の心情をビビッドに表象している。

「中国の信徒を、かごの外に出してあげることは無理だ。が、かごを大きくしてあげることは出来る。」

(3)北京

① 対内面の計算: 他方、北京に目を転じれば、宗教管理の厳格化を遮二無二進めている習近平政権ではあるが、その姿勢は、宗派により温度差があり、カトリック教会に対しては、相対的に微温的な姿勢を示している(注5)。ところで、今回の交渉でおやっと感じさせたのは、北京がローマに対し、(法王がお墨付きを与えていない)公認教会の8名の司教を承認するよう強く要求した(と伝えられた)ことだ。「教会の中国化」を標榜する北京のこと、本来であれば、法王の影響を「断つ」べきなのだが、何故か今回は真逆の方向に動いた。つまり、政府寄りと思われる公認教会の司教ですら、「法王に承認して欲しい」との思いやこだわりが強いことが、北京を動かした面がある。ここは、「法王の権威」を否認するのでなく、むしろ、これを取り込み、利用する方が、教会のコントロールはうまくゆくと、北京は計算したのであろう(注6)。まさに、政治的判断があったと言うことだ。
対外面の計算:では、なぜこのタイミングか?やはり、政治的、外交的判断があったと言うことだろう。単純化して言うと、対米・対西側戦略の文脈で、ある種の判断があったと言うことではないか。すなわち、近時国際社会(特に西側)からの風当たりが強まっていることを受け、北京は、「西洋のシンボル的存在」であるローマ法王を招聘の上、法王と習近平が親しく握手している映像を世界中に流すことで、イメージアップをはかることを期しつつ、このタイミングで戦略的決断をした(=宗教・教会の次元を超えて)と言うことであろう。恐らく、来年の秋までには訪中を実現させるのではないか(訪日と訪中が「抱き合わせ」となるか、別々となるか、気になるところだ)。

③ 台湾;言うまでもなく、もう一つの北京の関心事は、バチカンと台湾との関係を裂き、バチカンとの外交関係を復活させることだ。ただ、今回の協定自体、外交当局間で結ばれたものであることに加え、今後は、中国各地で選ばれた司教名が、在伊中国大使館からバチカンに転達されることを想起すれば、既に、両国は公的関係を事実上進めつつあると言える。外交関係復活に向け、「一歩」踏み出したとの形容が可能だ。何れにせよ、バチカン筋は、北京が障害を取り除いてくれれば、対中関係を正常化させる用意があると、つとに明言しており(私自身、バチカンにいた頃、何回も聞かされた)、その完全復活は「時間の問題」に過ぎない。台湾が「慌てている」との報道があるが、国内向けパフォーマンスだろう。台湾もバチカンも、既に「その後のこと」を視野に入れている筈だ。

(4)法王の訪日

 今回の合意発表(9月22日)の10日前、フランシスコ法王は、日本からの訪問団に対し、「来年日本を訪れたい」旨公式に発言した。法王の頭の中で、訪日と訪中が「ひとくくり」となっていることは明らかだ。法王が両国を相前後して訪問する公算大と思われる。中国はハッピーでないかも知れないが、日本はそれでも良いとするであろう。そうなるのであれば、訪問時期を巡り事実上三国間で調整が必要となって来る。1年前には予想もしなかったような「新たな構図」が出て来つつあることに、ある種のダイナミズムを感じる。

5.「新しい流れ」――中国次第だ

 今回の合意を契機に生まれつつある「新しい流れ」が「本物」となるかどうか、大いに気になる。特に、今回の合意達成のために思い切った妥協をした北京と、宗教はじめ多くの分野で引き締めを厳格化している北京、どちらも習政権の「顔」であるが、今後、どちらの「顔」がより強く表れることになるか、見通せないところがある。今次合意が中身を伴うものとなるかは、北京次第であり、先ずは、北京が合意を誠実に実施するか、見守るほかない。

(注1) 英語版ではthe Holy See
(注2) 地下教会、公認教会の詳細は、末尾に紹介した拙論(霞関会HP、’18.1.25.)を参照願いたい。
(注3)英語では、“in communion with”。日本カトリック教会は、法王との「一致の中にある」と訳しているが、本稿では「繋がる」と意訳した。
(注4)「現に中国は、この10月3‐18日バチカンで開催中の「世界代表司教会議(シノドス)」に2名の司教を派遣(うち1名は、今回の合意で法王に承認された公認教会の司教!)。このシノドスは1967年以降、数年に1回開催されているが、中国からの参加は初めてのことであり、今回の合意がもたらした「進歩」と言えよう。
(注5)米国のFreedom Houseによれば、中国政府は、宗教管理を略々5つのグループに分け、メリハリをつけて実施していると言う。最もマイルドなのは道教、仏教(第1GR)。逆に、最も過酷なのが、ウイグルのイスラムとチベット仏教(第5GR)。プロテスタント(第4GR)には、カトリック(中間の第3GR)に比し、よりきつく当たっている趣。
(注6)つまり、北京は、こう考えたのではないか;

 法王の権威を否定し続ければ、教会の「分裂」は続き、教会全体を有効にコントロールすることは引き続き困難だ。それより、法王の権威を認めることで、地下教会と公認教会の「壁」を低く出来れば、教会全体をより有効にコントロールで出来るようになる筈だ、と。

(18年10月10日作成)

【参考】

拙論:「『千年の別離』から『同志』連携へ(ローマ法王とモスクワ総主教会談)」(讀賣新聞、’16.3.07.)

拙論:「『東西文明の壁』越えるか(ローマ法王とモスクワ総主教が会談)」(毎日新聞、’16.3.23.)

拙論:「ローマとモスクワ、教会間『デタント』実現」(霞関会HP、’16.3.23.)
https://www.kasumigasekikai.or.jp/16-03-23-1-2/

拙論:「習近平、宗教の『中国化』を標榜」(霞関会HP、‘18.1.25.)https://www.kasumigasekikai.or.jp/%e7%bf%92%e8%bf%91%e5%b9%b3%e3%80%81%e5%ae%97%e6%95%99%e3%81%ae%e3%80%8c%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%8c%96%e3%80%8d%e3%82%92%e6%a8%99%e6%a6%9c%ef%bc%88%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%83%af%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%af/

拙論:「中国カトリック教会の『中国化』」(北京は意外にもローマに配慮?)(神社新報、’18.2.12.)拙論:「習政権下の中国カトリック教会」(JITOW/日本英語連盟、’18.3.06.)http://www.esuj.gr.jp/jitow/524_index_detail.php#japanese

拙論:「習近平政権の宗教政策と中国カトリック教会の処遇」(平和政策研究所、’18.5.30.)
https://ippjapan.org/archives/2745

拙著:「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日」(かまくら春秋社、2011)