ローマとモスクワ、教会間の「デタント」実現

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上野 景文 杏林大学客員教授

1.はじめに ―― 会談の実現

先月ついにローマ法王とモスクワ総主教の会談が実現した。国際社会は、(カトリック教会と正教会間の)「千年の別離」に終止符を打つべく行われたこの会談を好感した。それは、世界各地で「反目」や「分断」を伝えるニュースが氾濫する中で、法王と総主教が今回示した「融和」の姿勢に、ほっとさせるものがあったからだ。

国際メディアからは、「歴史的快挙だ」、「サプライズだ」などのコメントが聞かれたが、両首脳の出会いがいつ実現するかは、私がまだバチカンにいた6~10年前、既に各国大使の関心事であり、誰もがやがて二人の出会いは実現すると見ていた。漸く実現したことは感慨深いが、私は、会談実現に向けての「流れ」はつとに出来ており、今回の出会いは「起きるべくして起きた」もので、意外性は低かったと見る。

2.既に関係修復は進行

どう言うことか。ローマ法王と(14ある正教会中序列1位の)コンスタンチノープルの総主教とが、950年続いたカトリック教会(西方教会)と正教会(東方教会)の「別離」に終止符を打つべく会見した1964年に、東西両教会関係の修復は始まった。以降半世紀の間に、ロシアを除く正教会(ギリシャ正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会など)は、トップレベルの会見実施を含め、ローマとの関係を概ね修復済みだ。加えて、モスクワも、トップの会談こそ避けて来たものの、ローマとの交流を密に行っている。つまり、東西の教会関係修復は、既に99%以上達成されていると言って差支えない。

加えて、カトリック教会と正教会は、保守的思想を共有する「似た者」同士だ。思想的には「同志的」間柄と言って良かろう。この10年を振り返ると、生命家族倫理や政教分離の問題で、西側の進歩的メディアがバチカンを叩くたびに、モスクワは、バチカン擁護の声明を発出している。強力な両教会が、キリスト教世俗派やイスラム 過激派に対抗するべく共同戦線を組めれば、インパクトは大きい筈だ。

従って、法王とモスクワの総主教の会談はやがては実現すると目されていた。だが、歴史は一直線には進まなかった。それは、特にモスクワにカトリック教会への警戒感があったからだ。換言すれば、歴史問題の「壁」があったことが、モスクワとローマの間の教会レベルでのフルデタントの実現を阻んでいた。

3.歴史認識面の折り合い

すなわち、ロシア正教会内部では、数世紀前「自分達の縄張り」に手を突っ込んで来たローマへの怨念が今日なお強く、「嫌西欧感情」が根深い。この被害者意識は、ポスト冷戦期に東欧への拡大を通じて「自分達の縄張り」に手を突っ込んで来た欧州連合(EU)に対しプーチンが抱く怨念にも繋ながる。つまり、正教会もプーチンも、欧州にある東西二つの文明圏を分断する「ビロードのカーテン」と呼ばれる境界線より東は「自分達の縄張り」と見做し、西側に手を突っ込まれることをいたく嫌う。特に正教会は、数世紀昔にローマがウクライナに手を突っ込み、正教会信徒をカトリックに改宗させたことを決して忘れていない。

因みに、「ビロードのカーテン」より西は、ラテン系(ないしゲルマン系)言語、ローマ字、カトリック教会を核とする西欧文明圏、東は、ギリシャ語ないしスラブ系言語、ギリシャ文字(ないしキリル文字)、正教会を核とする東欧文明圏だ。この「ビロードのカーテン」を挟んで1,600~1,800年に亘り睨みあって来た両文明は、夫々、西ローマ帝国、東ローマ帝国を源流としており、両文明の異質性は、帝国の東西分裂に遡る根の深さを有する。

今回発表された共同宣言では、この正教会の怨念に配慮して、カトリックによる「反省」が謳われた。この点に私は、今回の出会いが有する最大の意義があると見る。すなわち、14の正教会(東方教会)の中で最大勢力を誇るロシア正教会(モスクワ)とカトリック教会(西方教会、ローマ)が、「歴史認識」を巡り折り合いをつけたことは、高く評価して良い。

中南米出身のフランシスコ法王は、開発途上国や東欧の人々が抱きがちな西側先進国への被害者意識を肌で知っており、今回法王は、モスクワの被害者意識に特に配慮した形で、歴史認識を示した訳だ。欧州出身の歴代法王に比べ、この面で、フランシスコ法王はより高い感度の持ち主と思われる。

4.展望

両教会間のデタント実現により、今後、両教会間の「同志的」連携は容易となろう。ただ、要注意事項が一つある。それは、「文明の壁」の存在だ。確かに、今回東側の怨念は緩和された。が、「ビロードのカーテン」そのものがなくなった訳ではない。否、欧州の西と東の二つの異質な文明圏が「カーテン」を挟んで対峙する「構造」そのものは健在だ。 かつて、カーテンの「東」側を象徴する人物はビザンチン皇帝であった。後年、その役割は、ロシア皇帝が引き継いだ。ロシア皇帝は、ビザンチン皇帝の「継承者」として、「第三のローマ」たるモスクワを拠点に正教の守護者を演じた。この意識は今日、モスクワ総主教(とプーチン)に引き継がれている。つまり、ロシア正教会は、「自分達は『東』の代表だ」との自負心や「西への対抗心」が強い。今後、教会レベルで東西のデタントは更に進むと目されるが、この「文明の壁」を看過してはなるまい。

5.むすび

「第一のローマ」と「第三のローマ」の「代表」による今回の会談は、ローマ帝国分裂を源流とする「東西二つの文明」の対峙というスケールの大きな構図、1,800年の歴史の流れを想起させてくれる刺激的ニュースであった。文明・歴史マニアにはたまらなく魅力的な出来事であった。両教会間の雪解けが更にどう進むかは、今後の欧州の姿を占う上からも、着目したい項目だ。

なお、ロシアに於いては、冷戦終結(1991年)頃を境に、国家のアイデンティティーの核が共産主義からロシア正教に交代し、その結果、国民を纏めるために、或いは、統治を円滑にする上で、教会が果たす役割は重みを増し、その存在感も高まっている。ローマとモスクワの教会間の連携が進めば、正教会内部の「嫌西感」が緩和され、やがては、ロシア社会全般の「嫌西感」の改善に繋がることが期待される。