人類と地球の危機〜マルセイユWCCに思う


明治大学学長特任補佐 堀江正彦
(元地球環境問題担当大使、国際自然保護連合前理事、元駐マレーシア大使)

 マルセイユにおいて9月3日より10日まで開催された国際自然保護連合(IUCN)の世界自然保護会議(WCC)に出席して帰国した後、コロナ感染予防のための隔離措置で政府指定のホテルに完全に隔離された部屋から、晴れて出所するところである。

<WCCはIUCNの世界総会>
 WCCは4年に一度1万人近いIUCNメンバーを集めて開催される盛大な大会であるが、コロナ禍のため2度延期された末に、今回現地参加とオンライン参加のハイブリッド方式にて開催されることとなった。
 蓋を開けてみると世界から5,700人の現地参加者と3,500人のオンライン参加者を得て、開会式にはマクロン大統領とポンピリ・仏エコロジー担当大臣、ラガルド欧州中央銀行総裁、アズレー・ユネスコ事務局長を始めとするフランスを代表する女性スターと共に、各国からの要人と並んで自然環境や先住民の保護に努力している俳優ハリソン・フォードらが、危機的な自然環境破壊の現状と生物多様性の危機そして気候変動危機を憂え、母なる自然の恵を維持していくことの重要性と緊急性をアピールするスピーチをした。
 いずれも深く心を打つ内容で圧倒されてしまった。こうした錚々たるリーダーたちの叫び声と意気込みを世界の人たちに共有してもらいたいと強く思った。そして日本からも菅総理か小泉環境大臣に参加してもらいたかったが、自民党総裁選挙と総選挙を控えた政局の前では、それも叶わず至極残念であった。
 WCC会場においては、イベント・展示会場が設けられ、一般の人々もやってくることが可能であるが、今回もコロナ禍の中で25,000人もの人々が主に地元マルセイユからやって来てくれたので、大成功であった。
 IUCNにおけるユースの主流化に努力してきたこともあって、予定していたユースの現地参加が少なく、地元の学生達の参加数も限られることとなったのが心残りではあるが、グローバル・ユース・サミットがオンラインで、世界都市サミット、ビジネスCEOサミット、先住民サミットと共に多くの参加者を得て開催されたため、現地参加を基本とするよりも多くのユースの参加が可能となったことは不幸中の幸いであった。
 また、WCC開会の前日に開催された理事会において、ブルノ・オバリー事務局長より、事務局に「遺産・文化・ユース担当チーム」を設置することとした旨の報告があった。これも、これまで、事務局において、常時、自然保護のためのユースへの働きかけやユースとの連携強化などを企画する「ユース担当室」を設置するべきであると主張してきたことが実を結んだ結果であり、今後IUCNと地球の未来を背負うことになる若者との連携が一層強化されることを期待したい。

<WCCの成果>
 WCC自体は、人類が直面している気候危機と生物多様性の危機とが取り返しのつかない臨界点に達することのないよう、新型コロナウイルス対策を講じるとともに、復興予算の最低10%は自然保全と回復のために充当し、気候変動対策や防災・減災などのためには「自然の力を利用した解決策」を活用し、自然に対する投資の増加や野心的な「ポスト2020生物多様性枠組」を採択・実施することにより、2030年に向けて生物多様性の喪失を食い止め、2050年までに自然と共生する世界を築くことなどを高らかに謳ったマルセイユ・マニフェストを採択し、世界に向けて発信して無事終了した。
 また、メンバーから提案されている動議に関しても、慎重な審議が行われ、(1)新たな生物多様性の世界目標である「ポスト2020生物多様性枠組」の策定と実施に向けて、陸と海の30%を保護・保全し、生産・消費フットプリントを半減する目標設定の提案、(2)水、大気、森林、土壌、生物資源などの自然資本の定義や価値、管理のあり方などに関する「自然資本に関するIUCNポリシー」を策定する提案、(3)気候変動への対応を調整するための気候変動専門委員会を創設する提案などが採択された。

<IUCN理事会メンバーの選出>
 4年に一度開催されるWCCにおいては、毎回4年任期で選出されている会長、財務官、理事、専門委員会委員長などを含む35名程度の理事会メンバーが全員改選される。今回の理事選挙においては、これまで2期にわたり8年間理事を勤めてきた筆者の後任として、環境省・元自然環境局長の星野一昭氏が南・東アジア地域枠理事として選出された。これで、筆者もIUCNを晴れて卒業することとなった。
 最大の特記事項は、IUCN新会長に中東のアラブ首長国連邦のアブダビ環境庁長官をしている秀でた能力を有する才媛ラザン・アル・ムバラク女史が、これまでIUCN副会長を務め9年間近くも理事として努力してきたアメリカ人とパキスタン人の二人の経験豊富な現役の男性候補を退けて、ダントツのトップ当選をしたことである。中東の女性としては歴史上初めてのIUCN会長当選であり、正に青天の霹靂であった。
 投票の行われる前日、ラザン候補に対して「女性ジェンダーで票を取れますね」と言ったら、「堀江理事、ジェンダーで票を取ろうとは思っていません!」とピシャリと言われてしまった。確かに、自分は期せずして女性の優秀さを十分に認識していないと思われてしまったかと反省した次第である。彼女の勝利の裏には多くの努力があってのことである。
 アラブ首長国連合政府が産油国として積み上げてきた国富をバネにした強烈な選挙キャンペーンの展開とともに、ラザン候補自身が創設者の一人である「ムハンマド・ビン・ザイード・種の保全財団」が、16年の長きにわたりIUCNの重要な「種の保存委員会」と世界150ヵ国以上での数千のプロジェクトに対して資金協力をしてきたことが大きく物を言った。それと相俟って、自然保護に関わる世界におけるジェンダー意識の高まりも加勢して、自然保護に対する女性の積極性を象徴する結果となったと考える。
 思えば世の中は変われば変わるものである。文藝春秋(平成18年9月号)の巻頭随筆で「ドーハの悲劇・その後」と題して「世界で最も退屈な町ドーハ」の変容ぶりを書いた。そのカタールは、アラブ首長国連合と一緒に独立する誘いに乗らず独自路線を貫いて今日の隆盛を見ている。アラブ首長国連合も立派な「大国」に成長し、その国の優秀な女性が、自然保護に関して世界で最も長い歴史があり最大の団体であるIUCNを統率する長に就任したことは、この地球が直面する気候変動危機と裏腹の関係にある生物多様性の危機に立ち向かうべく誕生した中東出身の救世主かも知れないと思った次第である。

<IUCN親善大使イルカさんの登場>
 シンガー・ソングライターのイルカさんは、IUCN理事をしておられた赤尾信敏大使が親善大使にと働きかけられたので、2004年に親善大使に任命され、以降のWCCには全て出席して、自然保護を呼びかける歌を披露してきた。
 今回はコロナ禍の下に開催されたWCCであっただけでなく、今年がイルカさんのデビュー50周年に当たり、その記念コンサートを9月21日に開催する予定になっていて、フランスより帰国した場合には2週間の自主隔離が必要になるため、マルセイユに赴くことなく動画を送付して、総会議場で披露することにした。
 動画では、いつもの「まあるいいのち」の英語と仏語のバージョンから始まり、トリとしてIUCNの歌を披露してもらった。この歌は「We Love You Planet!」と題された曲であるが、2013年に筆者が理事に当選した際、IUCNの知名度が低かったので、一般の人々にIUCNと自然保護の重要性を知ってもらいたいと思い、イルカさんに「私Iと、貴方You、見守りましょうSee, 自然をNature!」というリフレインを効かせたIUCNの歌を作曲してほしいと依頼したところ、快諾して下さった経緯がある。
 当日は、午後2時からの総会において、理事会メンバー立候補者に対する選挙投票の結果発表直前に、イルカさんに登場をしてもらったので、会場は三密の満員!オンラインでも、世界各地のメンバーが誰が当選するのかを知りたいと思い注目しているゴールデン・アワーでの披露となった。筆者によるイルカさん紹介の後、動画でのイルカさんの素晴らしい英語バージョンの歌唱ぶりに対して、会場を埋め尽くしたメンバーたちは盛大な喝采を送ってくれた。

<コロナ禍の最中における海外出張>
 最後の蛇足であるが、今回はデルタ株が猛威を振るうコロナ禍の最中であったので、熟慮を重ね、揺れ動く心を抱きながらも清水の舞台から飛び降りる気持ちで参加を決意し「決死の覚悟」での海外出張であった。
 現地マルセイユでも「ワクチン摂取証明書」や「QRコード健康パス」を入手しないと公共機関やカフェやレストランに入場出来なくしたため、自由権の剥奪だとして全国で抗議デモが展開されてはいたが、街中では皆さん南仏の太陽を一杯に浴びて、マスクをしている人は少数派、カフェやレストランでも、和気藹々と食事を楽しんでいる姿を目の当たりにしてお国柄の違いを痛感した。
 しかしながら、これこそ我々が求めている人間的な生活だと万歳を叫ぶわけにはいかない。帰国に際しては72時間以内のPCR検査で陰性証明があって初めて帰国便に搭乗することができるので、レストランなどで美味しそうにブイヤベースを頬張るフランス人を横目に見ながら、マスクをつけて歩道を黙々と邁進する毎日。出発の前日にホテル近くの健康検査所で早朝にPCR検査を受けて午後に陰性証明書を手にしたときは、12日間にわたる滞在であったこともあり、これで帰国できると安堵したが、それまではサスペンスであった。
 そして問題は、乗り継ぎを含め16時間近くの空の旅の後、遂に無事羽田空港に到着したのは喜ぶべきことではあったが、それ以後の経験はまた酷かった!
 空港に8箇所くらいも設置された関所で陰性証明書の提示・確認から始まってPCR検査や長い質問書への記入とQRコードの取得、14日間の自主隔離の際の位置確認と健康確認のための2つアプリの取得と使用方法の説明セッション、更に、空港でのPCR検査結果が陰性であってもフランスからの帰国に関しては3日間の政府指定のホテルにおける隔離措置がある。空港からグループ移動を経てやっとのことホテルに到着するまでに悠に4時間以上を経過していた。
 そしてホテルでの受付でも、特別のデスクで注意事項説明と毎日の健康状態をホテルに報告するためのQRコード取得の説明など、懇切丁寧ではあるものの、うんざりとしてしまう。ホテルでは廊下に監視員が常時見張っていて、完全な缶詰、部屋から一歩も出ることは出来ず、3度の食事のゴミ以外は一品たりとも持ち出すこともできない徹底ぶりである。
 この3日間の完全隔離を乗り越えるのも大変であったが、これではスマホを使い慣れていないお年寄りには、体力的にも技術的にもまだ海外旅行はお勧めできないと強く思った。
 そして、新型コロナウイルスによるパンデミックも、人間の経済活動が野生動物の生息領域を侵食して来たために、人間と野生動物との距離が縮まったことが背景にあることを考えると、IUCNによる自然保護活動の重要性は一層強まったと考える次第である。      (2021.9.16記)

(追記)イルカさんが「IUCNの歌」を創作するに至った顛末に関しては、筆者の2015年1月の寄稿「地球環境保全の重要性」を参照してください。