<帰国大使は語る> 多様な自然に恵まれ、経済も好調な中欧の親日国・スロベニア


前駐スロベニア大使 松島浩道

―スロベニアはどのような国ですか。その魅力は何ですか。
 スロベニアは人口210万人、面積は四国とほぼ同じの約2万㎢の小さな国ですが、森林面積が国土面積の6割を超える緑の豊かな国です。

<スロベニア人の近・現代史>
 20世紀初頭まで、現在のスロベニアの領域はオーストリア帝国の支配下にありました。第一次大戦中には、イタリア国境に近いソチャ川の流域でイタリア軍とオーストリア・ハンガリー軍が対峙して約2年半に及ぶ激戦が繰り広げられ総計20万人の兵士が戦死しています。このソチャ戦線はヘミングウェイの「武器よさらば」の舞台となったことでも有名です。
 第一次大戦後はオーストリア帝国の支配から解放されて、一時、セルビア、クロアチアとともにユーゴスラビア王国が形成された時期もありましたが、第2次大戦が始まると1941年にドイツの侵攻を受けて、この地域はドイツ、イタリア、ハンガリーに分割統治されます。大戦末期にはパルチザンを支持する者と枢軸国側に協力する者との間でスロベニア人同士の内戦も経験しました。
 第2次大戦後、スロベニアはチトー大統領の下で自主管理社会主義を掲げるユーゴスラビア連邦共和国を構成する6つの共和国の一つとなりましたが、1980年にチトー大統領が死去するとユーゴスラビアは崩壊過程に向かいます。スロベニアは、1991年に10日間戦争と呼ばれている短期間の軍事衝突を経て独立し、スロベニア人による統一国家を建国するという悲願を遂に達成しました。

<4つの国に囲まれた小さな国土の中に多様な地形を持つ国>
 スロベニア中心部に位置する首都リュブリャナは人口29万人の都市ですが、真夜中でも緊張感を感じることなく安全に一人歩きができる位とても治安の良い街です。コロナ危機の前の最盛期には、スロベニアの美しい自然と周辺国との交通の便の良さもあって、年間5万人近い日本人がスロベニアを訪問しています。

(写真)ブレッド湖  (筆者撮影)

 スロベニア北部のオーストリア国境地域はヨーロッパアルプスの東端にあたる山岳地帯で、スロベニアのシンボルとして国旗にもデザインされている旧ユーゴスラビア最高峰のトリグラウ山(標高2864m)がそびえています。この地域にはブレッド湖という周囲6㎞の氷河湖があり、湖の中に浮かぶ小島に教会のあるこの風光明媚な湖はスロベニア随一の観光地となっています。

(写真)ポストイナ鍾乳洞 (筆者撮影)

 また、地名が「カルスト地形」の由来ともなった南西部のクラス地方には広大な石灰岩地帯が広がっています。この地方には、19世紀から観光開発が始まり、これまで述べ3900万人が訪れた全長24㎞にも及ぶポストイナ鍾乳洞、ユネスコの世界自然遺産にも指定されている世界最大級の地下渓谷であるシュコツアン鍾乳洞をはじめ大小6000以上の鍾乳洞があります。
 クラス地方のすぐ西側にはアドリア海があり、この沿岸地域はかつて対岸にあったベネチア共和国に支配されていた地域です。スロベニアはそこに47㎞ほどの海岸線を有しており、この地域は温暖な地中海性気候を利用した高品質なワインの産地にもなっています。
 また、東側のハンガリーとの国境地域はパンノニア平原の一部をなす平坦な農業地帯となっており、南側のクロアチアの首都ザグレブまではリュブリャナから車でわずか1時間半の距離です。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

<日スロベニア外交関係樹立30周年>
 2022年は日スロベニア外交関係樹立30周年の年でした。日本映画祭、漫画原画展、日スロベニア絵画交流展など、日本文化を紹介する様々な行事を実施しましたが、これに加えて2つの特別なプロジェクトを実施しました。

(写真)スロベニア第2の都市Mariborに植樹された桜 (日本大使館提供)

 スロベニア国内の13の地域に、外交関係樹立30周年を記念して日本のシンボルである桜を400本以上植樹しました。桜の苗木は当地に進出している日本企業等に寄贈していただき、日本企業の工場が立地したり、多くの観光客が訪問する地方自治体等にお願いして、公園や沿道などに植樹場所を用意していただきました。
 スロベニアの気候は日本と良く似ており、毎年、春先に綺麗な桜の花が咲きます。30周年を記念して植樹された桜の苗木がこれから大きく成長し、末永く日スロベニア友好のシンボルになることを期待しています。

(写真)AGRAの日本ブースを訪問するファヨン外相
 (日本大使館提供)

 スロベニアでは、毎年8月に、大統領、農業大臣などが出席して中東欧最大級の国際農業博覧会「AGRA」が開催されます。2022年には、30周年記念行事の一貫として、この博覧会に日本がパートナー国として初めて参加して、和牛肉、和風調味料などの日本産食品の展示や日本食のPRを行いました。
 これが契機となり、スロベニアからは日本で毎年3月に開催されている国際食品見本市FOODEXに初めて農業大臣が来訪するなど、農業面での日スロベニア間のハイレベルの交流につながりました。

<互いの認知度が高まった東京オリンピックの開催>
 2021年に開催された東京オリンピックは、両国の国民の距離感を飛躍的に縮めたイベントだったと思います。
 スロベニアではスポーツが大変盛んで、伝統的にはバスケットボールやサッカーの人気が高く、最近では女子柔道、自転車競技、スポーツクライミングで世界のトップクラスの選手を輩出しています。
 スロベニア国内では東京オリンピック大会に向けて様々なスポーツイベントが開催されましたが、日本はいつも主催国として招待されました。それらのイベントには大統領なども参加することが多く、メディアにも頻繁に取り上げられたので、日本のプレゼンスが高まったと感じました。また、新型コロナという厳しい状況の中で、日本が大きな混乱、感染拡大もなく成功裡にオリンピックを開催したことは、スロベニアにおいても高く評価されました。
 スロベニアは、東京オリンピックにおいて女子柔道、自転車競技、スポーツクライミングの金3個を含めてメダル5個を獲得し、特に、女子柔道は北京オリンピックから5大会連続でメダルを獲得しました。また、惜しくもメダルは逃しましたが、NBAのスタープレーヤーであるドンチッチを擁するスロベニアのバスケットボールチームは日本でも大変な人気を博しましたので、日本におけるスロベニアの認知度も向上したのではないかと思います。
 ちなみに、スキーもスロベニアのお家芸で、2022年の北京冬季オリンピックのスキージャンプ競技では日本とメダル争いをしたのでご記憶の方も多いと思います。スロベニア北部のプラニッツァには飛距離が250mを超える世界最大級のスキージャンプ台があり、定期的にスキーフライング世界選手権が開催される人気スポーツです。スロベニアで最も有名な日本人は、スキージャンプの葛西選手、高梨選手、小林陵侑選手かもしれません。

<ロシアのウクライナ侵略>
 2022年2月にロシアはウクライナ侵略を開始しましたが、侵攻直後の3月、スロベニアの首相はポーランド、チェコの首相とともに外国の首脳としては初めてキーウを訪問し、ウクライナへの支持を表明しました。それ以降、スロベニアは、EU、NATOの枠組みの下で、積極的にウクライナへの支援を続けてきています。
 最近は一部のEU諸国の中にウクライナ支援疲れが見えてきたとのメディア報道もありますが、スロベニアは、2024年1月に国連安保理非常任理事国に就任したこともあり、一貫してウクライナ支援継続の立場を堅持しています。
 一方で、ウクライナ侵略の原因に関するスロベニア国民の認識は、他のEU諸国に比べて、米国やNATOにも責任があるという意見が強いことが顕著です。2023年3月に実施された世論調査によれば、ウクライナ侵略の責任の所在に対する回答は、ロシアが6割強、米国が5割弱、ウクライナとNATOがそれぞれ2割弱という結果でした。スロベニアを含む旧ユーゴスラビア諸国はソ連の恐怖支配を経験しなかったことがこのような結果に影響している可能性があります。
 なお、スロベニアは原子力発電所を所有していることもありエネルギーの輸入依存度は46%と比較的低いものの、輸入エネルギーに占めるロシアのシェアは38%もあり、天然ガスについてはほぼ全量を輸入に依存していました。このため、当初は対ロシア制裁の実施に伴うエネルギーの供給不足が懸念されましたが、結果的には、スロベニアは人口規模が小さいこともありイタリア、クロアチア等の隣国から機動的に必要な天然ガスを調達できたことから、天然ガスの安定供給に支障は生じませんでした。

―スロベニアと日本の関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

<活発な要人の往来>
 スロベニアは、2021年7月から半年間、2度目となるEUの議長国を務めました。厳しいコロナ規制が施行される中、議長国就任に先立つ同年4月に茂木外務大臣(当時)が当地を訪問して大統領、首相、外相と会談し、日・EU間の連携について意見交換を行いました。2019年にも河野外務大臣(当時)が来訪されましたので、短期間のうちに2度日本の外務大臣がスロベニアを訪問したことになります。
 これに呼応するようにして、最近、スロベニア要人の日本訪問も活発に行われています。スロベニアでは、2022年の春に総選挙が行われ中道左派の新政権が誕生したのですが、同年の秋以降、わずか半年の間に国民議会(下院)議長、国民評議会(上院)議長、財務大臣、高等教育大臣、デジタル変革大臣、農業大臣などの要人が相次いで訪日しました。
 なお、我が国の皇室はスロベニアとの関わりが深く、ユーゴスラビア時代の1976年には当時の皇太子・同妃両殿下(現在の上皇・上皇后両陛下)がブレッド湖に足を運ばれましたし、また、独立後の2000年には清子内親王殿下(当時)、2013年には秋篠宮・同妃両殿下がスロベニアをご訪問され、ブレッド湖やポストイナ鍾乳洞を視察されています。

<好調なスロベニア経済と大手日本企業の進出>
 スロベニアはユーゴスラビア時代から先進工業地域であり、独立後も、国有企業の民営化、社会保障制度の見直し等を進め、これまで高い経済成長を実現してきました。また、スロベニアは2004年のEU加盟、2007年のユーロ参加、シェンゲン領域への加入、2010年のOECD加盟等を通じてビジネス環境も向上しています。この結果、スロベニアの現在の一人当たりのGDPは2万7千ユーロとなり、冷戦終結後に自由主義陣営に入った中東欧諸国の中で最高水準となっています。
 スロベニアのこのような良好なビジネス環境に加えて、スロベニア政府の積極的な支援もあって、過去10年ほどの間に日本のヤスカワ、関西ペイント、ダイヘン等の大手企業がスロベニアに大規模な投資を行ってきました。
 スロベニアは伝統的にドイツ、イタリア、スイス、オーストリア等近隣国との経済関係が強いので、海外からの国別投資額をみると今のところ日本は第12位に留まっていますが、累積で345百万ドルを投資する日本はアジアの中では最大の投資国です。なお、日本の投資額は中国の2倍の水準となっており、旧ユーゴスラビア諸国の中では日本の投資額が中国を上回っている唯一の国となっています。

<日本企業の更なる投資に対する期待>
 スロベニアの経済は、GDPに対する輸出額、輸入額の比率がいずれも7割を超える貿易依存型の経済であり、国内マーケットが小さいスロベニアにとって、その経済の発展のためには輸出競争力のある産業の育成が不可欠です。
 このため、スロベニア政府は大学までの学校教育を無償化するなど人材育成に注力しており、スロベニア人の英語能力はヨーロッパ大陸で最上位とも言われています。

(写真)コぺル港 (筆者撮影)

 また、アドリア海最大の貨物取扱量を誇るコぺル港は、アジアからの船荷はヨーロッパ北部の港湾を経由するよりも1週間近く海上輸送期間が短く、また、荷揚げ後も中東欧諸国の市場に近いという有利性もあるので、中東欧地域への玄関口となっています。
 輸出競争力のある高度な技術力を有する日本企業の更なる投資に対するスロベニア側の期待は高く、スロベニアの良好なビジネス環境を勘案すれば、今後、日本企業の投資がさらに拡大し、両国の経済関係が一層強化されることが期待できると思います。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

<地方自治体との関係強化>
 スロベニアの国民議会選挙は、小選挙区比例代表併用制を採用していることもあり、独立以来これまで一度も単独で過半数を取った政党がなく、また、政権交代も頻繁に行われてきました。一方、地方自治体の首長は長期間務める人が多いことから、前述の桜プロジェクトの実施などを通じて、地方自治体の首長との関係構築に努めました。
 地方自治体が主催する数多くのイベントに参加させてもらい、スタンドで公邸料理人に作ってもらった日本食を提供したり、日本文化のワークショップを開催することが出来たのは、多くの地域住民の方に直接日本文化を発信する良い機会になったと思います。

<姉妹都市提携と学校間交流>
 スロベニア北部の山間部にあるスロベン・グラデッツ市と新潟県妙高市は姉妹都市交流を始めてから20年以上の歴史があります。コロナ前までは、毎年、両市の高校生が相互に訪問してホームステイを経験するなど活発な交流が行われてきました。この結果、スロベン・グラデッツ市では多くの親日家が育ち、同市出身の国会議員が日スロベニア友好議連の会長に就任したり、同市の出身者が在スロベニア日本大使館や在京スロベニア大使館で勤務するなど、同市は日本とスロベニアの架け橋の一つとなっています。
 スロベニアの若い世代に対して日本と触れ合える機会を提供することが重要と考え、日本企業の工場が所在する地方自治体と東京オリンピックの時のホストタウンであった福井市の小中学校の生徒同士のオンライン交流を支援したり、リュブリャナ大学と山梨大学、福井大学等との大学間交流を後押しすることなどに積極的に取り組みました。
(了)