最近の日マレーシア関係とマレーシアの今後


在マレーシア大使 髙橋 克彦

 マレーシアに着任して2年を超えた。中東勤務の長い自分がマレーシア大使になるのにはちょっとした違和感があったが、今はこの東南アジアのイスラム教国を、イスラムの視点から見ることは極めて有益との印象を持っている。多様性を尊重するお国柄、治安の良さ、英語が通用すること、マハティール首相が始めた東方政策もあり親日的なお国柄で、日本人にも住みやすいという評判の国であるが、加えてアラビア語が話せるだけで尊敬してもらえるというマレーシアのお国柄はありがたく、着任以来非常に有意義な日々を送っている。
 マレーシアに赴任する前に表敬した日本のビジネス関係者からは「政治情勢が不透明で心配」と言われることが多かった。確かに長年与党を務めてきたUMNO(統一マレー国民組織)がナジブ首相の汚職疑惑をきっかけに2018年に下野し、マハティール氏が首相として復活、その後各政党の合従連衡により、選挙を経ることなく2名の首相交代を経ていたので、そのような気持ちを持つのは当然のことであった。2022年末の総選挙を経てアンワル政権が発足したが、昨年に入っても、今ひとつ政治の方向性が良く分からない日々が続いた。特に昨年は多くの地方選挙が行われたため、政権基盤が盤石ではないアンワル首相は国内政治優先の政策をとらざるを得なかった。国内政治優先とは人口の7割を占めるマレー系に配慮した政策であり、コロナ禍の影響の経済成長率の低下、物価上昇、貧富の差の拡大、イスラム勢力の伸張という、当時のマレーシア国内の状況を踏まえると、独自の路線を取ることは困難な状況であった。
 2024年に入ったが、これから2年は大きな選挙のない年である。2025年のマレーシアのASEAN議長国も見据えて、内外に向けてより明確な政治的な方向性が打ち出されることが期待される。このようなタイミングで、昨年11月に岸田総理に当地にお越しいただき、翌12月にアンワル首相に訪日してもらったことは、今後の2年間の二国間関係を構築していくうえで非常に時宜にかなったことであった。以下では最新の日マレーシア関係について述べた上で、中長期的に二国間関係に影響を与えうるいくつかの国内要素に触れてみたいと思う。

日マレーシア関係

(1)東方政策
 東方政策40周年を祝ったのが2022年。日本とマレーシアの関係の強さを実感した一年であった。政治家は替わっても歴代政権の東方政策へのコミットメントは変わらない。2022年を通じてそのような気持ちが強く関係者の間で感じられた。東方政策の創始者マハティール元首相は前回の総選挙で落選はしたものの、今年99歳になるが依然健在であり、野党政治家の筆頭格の一人として厳しいアンワル首相批判を続けている。このため東方政策が現政権に引き継がれるのか懸念する向きもあったが、幸いアンワル政権も日本重視の姿勢は変わらず、東方政策も続いていくこととなった。ちなみに、韓国との東方政策は日本から一年遅れの昨年40周年を祝ったが、実績が量・質ともに日本との交流に及ぶものではなく、マレーシア国内で見ていても比較的ロープロファイルな対応にとどまった。また、昨年12月の訪日の際にアンワル首相が「東方政策には中国も含む」という対中配慮の発言をするというエピソードはあったが、やはり東方政策は対日本政策という強いブランド感が確立している。両国政府はで東方政策をさらに深化・発展させていくことで合意しており、マレーシア側としては伝統的な製造業の分野では更なる高度化への対応を、更に新分野として防災、高齢化対策、気候変動といったテーマを取り込みながら、より一層充実させていきたいと考えている。本年9月には筑波大学がクアラルンプールに分校を創設することとなっているが、これは日本の大学が海外で学位を授与する初の試みであり、東方政策の成果にまた新たな1ページを加えることが期待されている。

(2)包括的戦略的パートナーシップ
 日ASEAN友好協力50周年記念式典出席のためではあったが、アンワル首相の初めての訪日は二国間関係にとって有益なものであった。二国間関係を包括的戦略的パートナーシップに格上げしたのが最大な成果といえるが、より重要なのは戦略的な関係を強めていくためのいくつかのステップが取られたことである。一つは戦略対話の開始であり、もう一つは政府安全保障援助(OSA)に関するマレーシアとの合意である。どちらのアイディアも、マレーシアとの交渉の過程では、特定の国が反対するような措置は取りたくないという官僚機構の忖度があり、進めていくのは決して容易ではなかった。マレーシア外交は全方位外交とよく言われるが、基本的には米中の狭間の中で事故を起こさないように安全運転に心がけるというアプローチであり、日本との関係強化は、マレーシアの一部には米国側への接近と取られているように思われ、必ずしもスムーズに進むものではない。これに対する日本からマレーシアへの言い分は、日本はマレーシアとの対等なパートナーであり、文字通り国際政治で安全運転する上でのノウハウを提供できるということであり、このような言い方をしながらマレーシア側の前向きな対応を促してきた。結局はアンワル首相が11月に岸田総理とマレーシアで会った際、アンワル首相から日本との協力に関する前向きな反応があったことから、12月に向けての各種合意形成の促進剤となったということが言えるであろう。
 ちなみに、中国のマレーシアへの影響を気にする見方は強い。それはある程度事実である。人口の2割超を占める中華系の存在もあり、経済的な影響力は確かに大きいが、台湾との伝統的な付き合いもあり、中国一辺倒という感じは必ずしも受けていない。マレーシアは中国に依存しすぎることに対するリスクも十分認識しており、南シナ海においては常に中国からの脅威にさらされていることから、中国に対するある程度の距離感を感じることも多い。

今後のマレーシアの国の在り方

 日マレーシア関係は当面盤石であると考えているが、長期的に見て、今後の日マレーシア関係を考えていく上で重要となるであろう、マレーシアという国の在り方を決めるいくつかの要素を指摘して本稿を締めくくることとしたい。

(1)イスラムの伸長
 マレーシアはイスラム教を国教とし、マレー人イコールイスラム教徒とされる。一方で他の宗教、民族が混在し、受け入れられている多様性でも知られ、それが日本を含む海外からの投資が入ってきやすい一つの理由でもある。マレー系の人口増加率は中華系やインド系と比べても高く、結果としてマレーシア全国民に占めるイスラム教徒の割合は増加している。1970年には55%だったのが、2020年には70%弱にまで達している。マレー系の増加とともに歴代政権のとる政策の方向性はより強くイスラムに影響されるようになっていている。社会制度は各州毎に決めて良いマレーシアでは特に半島北東部の諸州でイスラム政党が州議会の多数を占め、よりイスラム色の強い社会を作り始めている。これらの州での規制は、見方によってはかつてのサウジアラビアの社会を彷彿させるようなレベルに達しつつあり、マレーシア社会において一定の懸念を生んでいる。マレーシア全体で長期的に見ればこのような傾向が強まることは不可避と思われるが、その場合にどのような影響が二国間関係に及ぶのか、慎重に見極めていく必要がある。
 イスラム主義政党と対話すると、多様性と寛容性は維持するので日本企業は心配しないでほしいと言われる。一昨年この政党が政権与党に入り宗教大臣ポストを占めた際、マレーシアで50年以上にわたり愛されてきた日本の盆踊り大会について、宗教色がある行事であり、イスラム教徒は参加するべきではないとコメントしたことがあった。最終的にはマレーシアにおけるイスラム教解釈の最高権威であるマレーシア王家のコメントにより、盆踊りは例年より多い5万人を超える参加者を得て、盛り上がりを見せたが、今説明したエピソードは、外国企業に警戒感を感じさせるに十分なエピソードであった。

(2)王制のありかた
 盆踊りのエピソードでも述べたが、マレーシアにおけるイスラム教の最高権威は国王にあるとされている。そして国王は、9つの州のスルタン(州王)が5年毎に務めるというユニークな制度であり、それぞれのスルタンは各州のイスラム教の最高権威である。憲法上、国王の権限はもっぱら儀礼的なものとみられていたが、2018年の政権交代以降、連邦総選挙を経ない形で首相が交代するケースが続いたため、首相を任命する立場にある国王の政治的役割が、必ずしも国王の意向に沿わない形で強くなってきた。本年1月30日をもって退位したアブドゥッラー国王は、自分の任期中に4名の首相を任命したことを「異常」と表現して、二度とこのようなことはするべきではないと述べていた。退任に先立って行われた政府主催による国王・王妃に対する謝恩公式晩餐会の場のスピーチで、国王が自分の任期を振り返りながら、感極まって涙していたのは印象的であった。1月31日にはマレー半島最南端、ジョホール州のスルタンが国王となった。ビジネスライクで、かつ野心家であるとされており、新しい国王が内政にどのような関与をするのか、皆が注目しているところである。

(3)ボルネオ島北部(サバ・サラワク)
 ボルネオ島北部のサバ州、サラワク州についても言及しておきたい。今回のアンワル政権が発足するためにはサバ・サラワクからの政治的サポートが不可欠であった。これはアンワル政権が中華系の政党を含む中で、マレー系の支持が野党に流れるため、最大多数を確保する上でサバ・サラワクからの支持が必要不可欠であったことによる。伝統的にサバ・サラワクは半島マレーシアとは異なる多様性と自立性を有しており、今回は中華系政党がかつてのサバ・サラワクに対する非道な行いを謝罪することで政権発足にこぎつけた経緯がある。サバ・サラワク沖には豊富なLNG資源があり、日本のLNG供給の15%がここからくる。また、サバ州はキナバル山をはじめとした自然観光資源が豊富であるし、サラワク州は豊富な水資源を背景に水力発電に力を入れ、水素やアンモニアの活用にも積極的ということで、気候変動対策でも先進的な対応をしている。ボルネオ島にインドネシアの首都が移ってくることはこれら二つの州を元気づけており、道路建設や、配電網整備、新たな港湾開発などの議論が活性化している。サバ州の州都コタキナバルにはかつて総領事館があったが、現在は領事事務所となっている。今後の経済活動の活発化に伴い、在留邦人が増加に転ずるのであれば、改めて総領事館への格上げを検討する必要があるのではないかと個人的には考えている。
 これらの要素がどのように進展し、マレーシア社会を変容させていくかは、まだまだ予断を許さないが、この親日的かつ天然資源に恵まれた国が、多様性を維持しながら、念願の高所得国入りを達成し、更なる発展を遂げていってほしいと強く感じている。

(以上)