日本の核兵器廃絶決議の軌跡


前軍縮会議日本政府代表部大使 小笠原一郎

 筆者は昨2023年12月までの約4年間、軍縮会議日本政府代表部大使を務めた。この間、最も注力したのは核軍縮の問題であった。筆者は外務省奉職中、我が国が1994年以来国連総会第一委員会に提出してきた核兵器廃絶決議に、幾つかの役職で関与しており、同決議が時代の変遷と共に異なる役割を演じるのを見てきた。
 本稿では、先ず戦後の核軍縮をめぐる国際環境の推移を簡単に振り返り、次に、核兵器廃絶決議案がその中で演じた役割を跡付け、最後に、ロシアによるウクライナ侵略に象徴される、新たな大国間の対立の時代における、この決議の意義に触れたい。

戦後の核軍縮をめぐる国際環境の推移

 核軍縮の切り口から第二次大戦後の時代背景をごく簡単に図式的に確認すると次のように言えよう。

(1)冷戦期
 冷戦期は東西ブロックの対立の時代であった。このブロックは、拡大核抑止を提供する米ソ両超大国と右に依存するそれぞれの同盟国から形成された。米ソ間には、相互確証破壊のロジックに基づく核抑止が機能し、また、核戦争にエスカレートする危険性の高い中心部での武力紛争も抑止され、冷戦末期には専ら周辺部の途上国が東西両ブロックによる軍事的勢力争いの舞台となった。他方、両超大国の間には、核兵器国の数を増やさないことに利害の一致も見られ、核兵器不拡散条約(NPT)は冷戦期のただなかに成立している(1970年発効)。核兵器が世界の安全保障問題を直接・間接に規定する時代であった。

(2)ポスト冷戦期
 西側の全面的勝利と思われる形で冷戦が終焉すると、米国の軍事力が突出する世界となった。ソ連は崩壊し、やがてロシアはG7に加わり(1998年)、また、中国の軍事力も米国には遠く及ばなかった。1990年代から2010年代前半にかけて、大国間の対立・競争は影をひそめ、2回の湾岸戦争や米国同時多発テロ事件(2001年)を経て、代わりに国際社会の共通の敵として強く認識されたのが、ならず者国家(rogue states)や、テロリストと言った非国家主体であった。これらの主体は、抑止が効きにくい非対称的脅威と呼ばれ、特に彼らに大量破壊兵器が拡散することが強く懸念された。これに対処するため、軍縮・不拡散分野でも、新たな輸出管理規範や、核セキュリティ関係の国際約束等が活発に形成された。大国間が協調できたので、安保理が機能し、安保理決議1540号(注:国連加盟国が非国家主体に対して大量破壊兵器取得のための支援をしないこと、大量破壊兵器関係の条約の国内履行のために国内法を整備すべきこと等を規定。2004年採択。)のように、本来条約に依るべきような踏み込んだ規範まで創出している。この期間、核抑止の問題は、国際安全保障の後景に退いた観があった。但し、日本は一貫して極東には「冷戦の残滓」がある旨釘を刺してきた。

(3)新たな大国間の対立
 軍事力を含む中国の国力の急激な伸長や、力による現状変更の試みは、徐々に欧米主要国にも脅威として認識されるようになった。また、ロシアによるクリミア侵略、G8からの離脱等を経て、2022年2月のロシアによるウクライナ侵略は、大国間の対立を決定的なものとする。また、ウクライナ侵略では、ロシアによる、核による恫喝と捉えられて仕方のない言動が見られた。これは、核兵器国が自国の政治的意思を非核兵器国に押しつけるために核の恫喝を用いた最初の例として極めて重大な意味を有する。特に、同年1月3日の5核兵器国首脳による共同宣言では「核兵器が存在する限り、(核兵器は)防衛、攻撃の抑止、戦争の予防を目的とすべき」と言う従来の認識が確認されているだけに、その衝撃は一層深刻であった。更に、中国の急速な核弾頭数の増大懸念(注:米国防省は2030年までに中国の保有核弾頭数は1000発まで増大すると評価している。尚、米露間の新START条約の配備核弾頭数上限は1550発。)もあり、核抑止の問題が安全保障問題の前面に再浮上した。(但し、「ならず者国家」や非国家主体の脅威は消滅したわけではなく、大国間協調で解決が図れないだけに一層深刻化するリスクがあることには注意を要しよう。)

日本の核兵器廃絶決議の変遷

(1)原点:1994年
 日本は、1994年から核兵器廃絶決議案を国連総会第一委員会に毎年提出し、同決議案は、圧倒的多数の支持をえて採択され続けている。1994年に初めて提出した際の背景は以下のようなものである。まず、同年マレーシアが、「核兵器の威嚇又は使用は、何らかの状況の下では国際法上許されるか」と言う問いについて国際司法裁判所(ICJ)に勧告的意見を求める決議案を国連総会に提出した。なぜこのタイミングで提出されたかについては検証が必要だが、筆者は、冷戦が終わり核の呪縛が緩んだ中、このような問題を提起する環境が現出したこと、また、翌年(1995年)に控えたNPT運用検討・延長会議での議論を有利に展開するための布石にしようとの意図が働いたためではなかったか、と推察する。同決議案は日本にとって難しい問題を提起した。「賛成」することは、核兵器の違法化の試みに加担することとなりかねず、米国の拡大核抑止を自国の防衛政策の重要な要素とする日本にとって困難な選択であった。他方、「反対」することも、広島、長崎の歴史を有し、核兵器廃絶を真摯に希求する立場から困難な選択と考えられた。
 苦慮を重ねた結果、核軍縮について日本独自の立場を別途の決議案によって示すことにより、マレーシア提案には「棄権」することとなった。「究極的核廃絶決議」と略称される最初の決議は、主文で、NPTの普遍化を呼びかけ、また、核兵器国に対して、核兵器廃絶を究極的な目的とする核軍縮のための努力を遂行することを呼びかける、全体で6パラしかない極めて短いものであった。しかし、ここにはNPTを基盤とし、核兵器国を取り込みつつ核軍縮を進めるという、現在も日本が提唱する現実的・実践的アプローチの原型が見いだされる。
 このように当初から日本の核兵器廃絶決議には、核兵器違法化の試みに対して、異なる核軍縮の選択肢を提示するものとしての役割が期待されていた。その後ICJは、マレーシア決議による国連総会の付託を受けて、1996年に勧告的意見を発出する。その中で、ICJは、国家の存亡に関わる自衛の極限的状況における核兵器の使用又は威嚇について、合法か違法か確定的に判断できない、とした。核兵器の違法化の試みは、司法的手続きによっては完遂されなかった。尚、その後長いインターバルを経て、この試みは国際立法による核の違法化に進む。その結実が、核兵器禁止条約(TPNW)である(2021年発効)。従って、TPNWを前にして、日本の決議には、異なる核軍縮の選択肢を提示し続けることが求められよう。
 また、前年の1993年には、北朝鮮がNPTからの脱退を通告しているが、1994年の最初の決議に右への言及はない。このことは、当時本決議に日本が期待していた役割を理解する上で示唆に富むと考える。

(2)現実的・実践的核軍縮アプローチの媒体としての役割
 日本の核兵器廃絶決議は、その後の核軍縮をめぐる国際議論、特に5年毎のNPT運用検討会議における成果も取り込みながら、現実的・実践的アプローチを、具体的な措置を通して体系的に示すものに成長していく。核戦力の質的向上を防ぐための包括的核実験禁止条約(CTBT)(1996年採択。未発効)と、量的拡大を防ぐための核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)(交渉が始まっていない。)とは、このアプローチにおける二つの支柱と位置付けられる。
 両者は、日本の核軍縮政策の根幹をなしており、岸田総理が2022年の第10回NPT運用検討会議で打ち出した「ヒロシマ・アクション・プラン」でも、また、日本が議長国としてまとめた「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」でも、そのように扱われている。
 ポスト冷戦期における本決議の内容の変遷は、紙幅の限りもあり詳述できないが、核兵器国との関係について一言したい。本決議に対する米国の対応は、政権が共和党か民主党かによって、明確に変わってきた。特にブッシュ(子)政権(2001年1月~2009年1月)下では、米国が、この決議に含まれるCTBT発効への呼びかけ等に難色を示し、5核兵器国の中で唯一反対票を投じ続けている。この間(2001年~2008年)、ロシアは2001年を除いて一貫して賛成、英仏も、2007年の仏の棄権を例外として、一貫して賛成している。中国も一貫して棄権であり、反対はしていない。
 米国のこの間の安全保障上の最大の関心事は、9.11以降のテロとの戦いであり、テロ対策特別措置法まで制定(2001年)して協力した日本との全般的関係は極めて良好であった。筆者はこの間、本決議の担当課長を務めた(2004年~2005年)が、軍縮・不拡散分野でも、日本が、G8グローバル・パートナーシップや、拡散に対する安全保障構想(PSI)といった米国主導の不拡散のための取組みに極めて能動的に協力していたため、関係は誠に良好であった。米国が反対し続ける核軍縮決議案を日本が提出し続けることは両国関係のイシューではなかった。それは、上述したように、この期間は、核抑止の問題が国際安全保障の後景に退いていたからであろう。不拡散についてのしっかりした協力が、核抑止の文脈での不協和音を吞み込んでくれたのである。

新たな大国間の対立の時代における本決議の役割

(1)米国の共同提案国入り
 筆者が、軍縮代表部大使として最も重視したのは、それまで2年続けて棄権してきた米国を、本決議の共同提案国として取り込むことであった。大国間の対立が基調となった現状で、核の問題をめぐっては、日米が一致し、両者で協力して国際的な核軍縮の努力を牽引することが極めて重要と考えたからである。
 筆者がジュネーブに着任した当時(2020年)、中国の核戦力の急増を前にして、米国は同国との二国間での核軍縮対話を呼びかけていたが、中国側の反応は芳しくなかった。この呼びかけを、本決議を通して国連総会の声として発出することは、日米双方にとって大きな意義があると考えられた。2020年、骨の折れる調整を経て、中国への名指しは避けながらも、このメッセージを盛り込み、米国を共同提案国に復活させることに成功した。
 他方、トランプ政権下の米国の核軍縮政策は、CTBTの早期発効等、この決議が標榜してきた幾つかの重要な点に関して、独自の立場を有していた。米国を取り込むためには、幾つかの修正を余儀なくされ、伝統的な本決議の支持国の中には、この修正を理由に、賛成から棄権に転じる国もでた。同年(2020年)の賛成票は対前年比10票減じた。翌年(2021年)バイデン政権になると、前年不興をかった幾つかの修正点が、従来の軌道に復し、伝統的な支持国からの支持が回復し、賛成票は8票増加した。その後、昨2023年まで、4年連続で米国は本決議案の共同提案国であり続け、また、この決議に対する支持獲得のために力強く協力してくれている。核の問題で、日米が一致し、両者で協力して国際的な核軍縮の努力を牽引する、と言う所期の目的を達成するために、本決議はよく機能してきたと言えよう。

(2)ロシア、中国、北朝鮮に対するメッセージ
 この決議は、昨年の第一委員会に提出された60余りの決議の中で、ロシア、中国、北朝鮮の呈する問題について、厳しいメッセージを包含するほぼ唯一の決議である。特にロシアに関しては、①ウクライナの主権及び領土一体性に対する行動や無責任な核のレトリック等に深い懸念を表明し、➁ロシアの主張するところの新STARTの停止を深く遺憾とし、また、③ウクライナによるNPT加入に当たって米英露がウクライナに対して安全を保証した1994年の覚書(ブダペスト覚書)を含む安全保証(security assurances)の重要性を再確認している。
 大国間の対立が先鋭化し、核の問題が安全保障議論の前面に出てくるという、憂慮すべき国際環境の中で、本決議の内容も、対立的要素を濃くせざるを得ない。このような重要な政治的メッセージを発出するために、日本が、いわば西側の立場を代表して中心的役割を果たすことの意義は大きいと考える。他方、大国間の対立に関して一方に与することを回避しようとする非同盟諸国には、このような政治的メッセージは敬遠されがちであり、パラ毎の分割投票において、これらのメッセージを含むパラへの支持は低い。国連総会において、党派的性格のメッセージの強さと、賛成票数との間にはトレード・オフの関係があり、如何にバランスを図るべきかについては、必ずしも明快な解のないところである。

結語

 以上、本決議が、それぞれの時代の要請を踏まえて、微妙に異なる役割を演じてきたことを跡付けようと試みた。今後、大国間の対立は一層深刻化することが懸念される中、本決議の党派的性格も更に強まることは避けられないであろう。右は、賛成票数に影響する。国際社会の声を糾合して核軍縮を進めようと言う目的とは二律背反の関係にある。本決議を提案することのコストとリスクは増大するであろう。我が国としては、この決議が果たすべき役割、日本にとっての利益が何なのかを自問しつつ取り組むことが益々重要になると考える。