霞先生の会 報告要旨:「教えることは学ぶこと」

霞先生の会における報告の要旨は次の通り。 Ⅰ.退官後の再就職
  • 関西大使の期間中、政界、財界、学界、宗教界、文化人たちと幅広く交流。
  • そこで知り合った京都外国語大学の森田理事長ご夫妻と親しくお付き合い。
  • 同理事長に対し、外務省退官後は若い学生諸君たちと自分の経験を分かち合いたいと考えており、機会をお与え頂けないかと長い手紙を送付。
  • その結果、専任教員として客員教授の肩書で受け入れるとの回答を得た。
  • 再就職は、本省の支援を受けない場合は、結局は、在職中に築いた人間関係に因ると言える。
II.「教えることは学ぶこと」: 9年間の講義の感想 1.何を講義してきたか(計4コマに加えて、ボランティアで1コマ) (1)東アジア政治外交史(19世紀から今日まで)(一コマ100分で、年間26コマ)
  • 19世紀の帝国主義時代は弱肉強食の時代
  • なぜ日本は植民地化されなかったか
  • 日露戦争の終了後から徐々に日本自身が帝国主義に突入(朝鮮、中国など)
  • どのような手段で軍部は台頭し、どのようにマスコミ・国民はこれを支持したか
  • なぜ軍部の台頭を抑えることが出来なかったのか
  • 敗戦(「終戦」と呼ぶのは間違いではないか)
  • 戦後の日本の外交は、戦前の日本の対外政策と異なり、世界に誇り得るもの
  • 他方、近隣諸国(中国、朝鮮、ソ連・ロシア)の内政・外交には種々の問題点あり
  • 日本の安全保障政策(日米安保条約、自衛隊、集団的自衛権など)
  • 日本の対外経済政策(WTO、TPP、EPAなど)
(2)異文化理解(Cross Cultural Studies)(春学期のみ13コマ)
  • 自分自身の在外勤務や仕事上の経験に基づき、異文化の特徴を解説
  • 具体的には、諸国民の歴史・文化・宗教に基づく価値観(ものの考え方)を説明
  • 東南アジア、中東、西欧(英国、ポルトガル)、インド、中国、朝鮮、米国、ロシア、南アフリカ、カナダ、そして参考までに、古代ローマ
(3)日本人の価値観(Japanese Values)(秋学期のみ13コマ)
  • 異文化を理解するための基礎を築く目的として、自分たち日本人自身はどのような価値観を有し、どのような行動を取っているかを講義。 講義内容は、小生自身の著作である「日本人の価値観」(2013年、かまくら春秋社刊)に基づく。ちなみに、日本人の価値観に対する外国人の理解を深めるために、別途英文で書き下ろした「Fall Seven Times, Get Up Eight—Aspects of Japanese Values—」をLondonのGilgamesh社から2019年に刊行(Amazonや紀伊国屋にて入手可能)。外国人の友人に本書をお勧め頂ければ幸い。
  • 日本人は、具体的には、次のような4本の柱を基礎として行動。

① 自分自身の価値観・倫理観に基づくものではなく、周りの人たちとの関係、すなわち人間関係の維持発展を最重要視して、自分の行動を決定する。いわば「人間関係本位主義

② 現世主義・実益主義の価値観を強く持っており、それに基づく行動・実践を重視する。現世主義・実益主義・行動主義。「頑張れ!」「三方よし」「武士道」「xx道」

③ 自然との共存・共生に喜びを感じ、諸行無常の観念を保有。

④ 自然との共生の結果、豊かな直覚的・情緒的感性が磨かれ、繊細で優れた美意識を保有

(4)日本外交課題論(年間26コマ)
  • 今日の日本が直面する諸外交課題を解説。具体的には次を講義
  • 領土問題の歴史と詳細(尖閣、竹島、北方領土)
  • 東シナ海のEEZ、大陸棚、ガス田、漁業
  • 世界の気候変動、地球温暖化・環境問題
  • エネルギー問題原発は必要か否かを含む)
  • 東アジアの汚染問題(河川、海洋、大気、廃棄物など)
  • 朝鮮半島問題(日韓、日朝関係を含む)
  • 中国の台頭(経済大国から軍事大国へ。大国主義・覇権主義)
  • ASEAN、南シナ海
  • 日本の安全保障(日米関係、集団的安全保障、)
  • 中東の諸問題
(5)ゼミ(年間26コマ)
  • 卒論指導。テーマ・課題は何でも受け入れた。 例えば、集団的自衛権、再生可能エネルギー、外国人労働者受け入れ、少子化問題、非正規労働問題、軽自動車税制、インド女性論、ヘイトスピーチ(在日コリアン)、カンボジア経済振興、今後の航空業界、憲法9条改正、少子高齢化 など
(6)談論風発会(毎週1回乃至2回):ボランティア活動
  • 講義では事実関係につき伝えるべき中身が極めて多いため、なかなかinteractiveな講義とすることが困難であることを踏まえて、「考える力」を培うべく意見開陳と自由な批判を内容とする「談論風発会」を開催。自身のオックスフォード大学でのTutorialの経験に基づく。
2.講義を通じて感じたこと (1)講義用の教材(Powerpoint)の作成に多大の時間が必要だった。これに基づいてシラバスを作成した。 正に、教えることは学ぶことであると実感した。例えば政治外交史についても、それまで基本的な知識を持っていると思っていたが、いざ教えるとなると曖昧な知識では役に立たず、物事を正確に把握するために19世紀から今日までの東アジア政治外交を一から学び直す必要があった。 他の教科についても同様。 (2) 当初の数年間は、小型パソコンを京都まで携行して、教室のプロジェクターに繋いでパワポで関連ページを見せながら講義した。しかし、後の4~5年間は各教室にPCが設置されたため、USBメモリーのみを携行してPCに繋ぐやり方で講義を進めることが出来た。 上記(1)~(4)までの各講義のパワポ・プレゼンテーションの項目は別紙資料 Iの通り。 パワポの中身については、霞先生の会の皆さまのお役に立てればと思い、霞関会のweb siteの「霞先生の会」の中にuploadした。適宜参考にしたり、必要な修正を施して使用したりしてご利用ください。 (3)成績評価:学期途中に提出を求めるレポート(20%)と、例えば次のような課題を出して答案を書かせる学期末筆記試験(80%)の二つで評価。各講義別の試験問題等は別紙資料 IIを参照。 <筆記試験の一例:「東アジア政治外交史」> ① 日本軍部はどのような手段を用いて軍部の大陸進出政策に対する反対を封じ込めたか、そして、何故日本政府(文民)はそれを押しとどめることができなかったかについて詳しく記述しなさい。 ② 更に、あなた自身はこの軍部の動きをどう評価するか述べなさい。 評価基準:レポートも筆記試験も、① 事実関係をどれほど正確かつ詳細に記しているか、及び、② 自分の意見をどれほど論理的に述べているか、によって評価した。本人の意見が肯定的か否定的かは問題としなかった。 (4)学生の能力には大きな差があった。優秀な学生から、そもそもの日本語の力が不十分な学生まで、多様。京都外大が私立大学であり、大学入試の試験科目が国公立大学のように5教科ではなく、数学、理科、社会などの試験科目がないことが原因ではないかと思われるが、外大学生の一般教養の知識レベルには限界があると感じた。やはり、人生の長い期間を考慮すれば、大学入試科目は高校教育の成果を総合的に問うものが必要と考える。 評価の方法として筆記試験やレポート提出を採用したことにより、当方の採点には結構な時間を要した。自分の評価基準がぶれることを前提として出来るだけ公平な評価とすべく、まずワン・ラウンド採点したものを、得点順に並べ替えて第2ラウンドの評価を行うことを旨とした。 最近はスマホ利用によって自身で日本語を書くことが少なくなっているせいか、日本語で表現する力、漢字の知識、句読点の打ち方など大学生として通用しないレベルの日本語能力しかない学生が2割ほどに達する場合もあった。その対策として、京都外大では1年生の第1学期に「基礎ゼミナール」を設け、日本語でのレポート作成の基本を教えている。 (5)理事長のご配慮により、教授ではなく客員教授として受け入れていただいた。その結果、教授に通常課されるマネージメント関係事務などの通常事務を免除され、講義のみを担当することが許された。他方、臨時教師ではなく、専任教師として安定した地位が保証され、1年ごとの契約更新であったが、72歳になるまでの9年間の講義が可能な契約であった。 (6)当初は大学側の希望に沿って英語で講義を行ったが、学生諸君の英語能力が必ずしも高くはないこと、小生の講義は英語力を増進することを目的とするものではなく、英語力は英語能力の増進を目的とする他の語学講義の役割であること、むしろ、小生の講義内容は多岐にわたっており、その内容をきちんと理解させることの方がはるかに重要であること、学生諸君から日本語での講義を希望する声が強かったこと、などを考慮して、Cross Cultural Studies I 異文化理解―異文化の多様性と魅力―の講義のみを英語で行うこととし、他の講義科目は日本語で講義した。 (7)春学期の最初の8週間は、講義の冒頭において全員で一緒に歌を歌うようにした。その心は、多様な言語とその発音になじむ機会を学生諸君に与えたいと考えたものである。私の大学時代に、教育学のとある教授が「諸君歌を歌おう」と言って、講義開始前に数回に亘って野ばらをドイツ語で教えてくれた。その歌は大学卒業後50年を経た今も私の中に残っており、暗唱できる。ことほど左様に、歌の力は偉大であると思うからである。 曲目は、欧州の童謡や民謡など易しいものを選び、フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語の4つの歌をそれぞれ2週間に亘って、数回ずつ唱和した。 当初戸惑う学生もいたが、概してみな唱和してくれた。 具体的には次の通り。 フランス語:Sur le pont d’Avignon:アヴィニヨンの橋の上で ドイツ語:Heidenroeslein:野ばら イタリア語:O Sole Mio:オ ソレ ミオ 英語:Do-Re-Mi:ドレミの歌 (8)毎週東京から京都まで1泊2日で通い、5コマをこなした。幸い自己都合で休講にすることもなく、9年間皆勤できた。

(了)