デンマークという国(北欧福祉国家の生き方)【スカンジナビアの国々】


前駐デンマーク大使 鈴木 敏郎

1.はじめに

 デンマークの国土はユトランド半島とバルト海の群島から構成され、面積は九州程度、人口は600万人足らずである(自治領を除く)。国土の7割が農耕・酪農地(自給率は300%)であるが、産業的には酪農製肉のほか、海運、製薬、風力発電装置産業などの分野で国際的な競争力のある企業を有する。

 過去に遡れば、バイキング時代にはブリテン島を支配した時期があり、また、中世から近世にかけては、現在のノルウェーを含むスカンジナビア半島の相当部分を領有し、大西洋からバルト海に通じる航路を支配して通行税を徴収し王室の富を蓄えた。しかし、スウエーデンとの戦争で連戦連敗し徐々に領土を手放し、19世紀半ばにはほぼ現在の国土となった(第二次大戦中にアイスランドが独立)。デンマーク人はよく「自分たちは小国だが、・・・」という枕詞を使うが、それを字面通りに受け止めてはならない。


2.ヒュッゲな生き方

 北欧諸国は総じて社会民主的な体制で、経済的に豊かで、貧富の格差、リベラル価値の重視、ビジネス環境などの国際指標でも優れているが、歴史や国情や産業基盤などは国ごとに特色がある。

 デンマークについては、近年、欧米などでヒュッゲ(HYGGE)という生き方に関心が寄せられた。ヒュッゲは、人と人の触れ合いのなかで培われるストレスのない居心地の良さ、というような意味の日常的な表現である。

 この言葉が俄かに話題となったのは、欧州が、経済の停滞、難民問題、BREXIT、ポピュリズムなどで混沌とする中で、デンマーク人は国連の幸福度報告で最も幸せな人々とされるなど、どうも異次元の世界で安寧を享受しているらしい、その秘訣は何なのか、という好奇心だったのだろうか。英のエコノミスト誌は2016年の主要な流行語に、BREXIT、FAKENEWSと並んでこのヒュッゲを挙げた。

 また、デンマークについては再生可能エネルギーの推進(電力源の7割)や公共交通と自転車を主役とした都市計画(自家用車の購入には高額の登録税もかかる)など人の生活にやさしい社会環境が整備されているとのイメージが出来ている。また、ヤンテの掟で知られるような自己顕示を諫めて他人との融和をよしとする国民性も知られる。こうしたことも好感されたのであろう。(なお、ヤンテの掟とは20世紀初めの風刺小説に出てくる箴言で、汝は自分が他人より優れていると思うべからず、他者から気にかけられていると思うべからず、など自重を促す10項目から成る)


 他方でヒュッゲはもともと身内や幼馴染など親しい仲間内の居心地の良さに由来するといわれる。だとすると親密な人以外とはヒュッゲな交流は難しそうだ。昨年、デンマーク外務省が自国政府と外交団の関係について調査したところ、外交団の多くがデンマークの社会に親しく受け入れられていないと感じているという結果が出た。この国の人々は小学校低学年から外国語教育が徹底していて外国人との意思疎通術には長けているのではあるが。ヒュッゲにはやや美しく誤解されている面もあるのかもしれない。

3.福祉国家の結束と課題

 (国家財源の投入)北欧は福祉制度が行き届いているが高負担である。デンマークは、医療、介護(身障者、老齢者)は無料で(教育も小学校から大学まで無償)あるが、国民負担は67%(所得税は例えば年収800万円相当以上の個人は税率53%、消費税は25%)である。北欧福祉国家の特徴は、政府の役割の大きさにあるが、特にデンマークは国民負担のほぼ全部が税金でありこれは北欧諸国の中でも特徴的である。

 デンマークの近代的社会保障制度の始まりは19世紀末の老齢年金の創設で、まだ社会民主党の台頭前のことであった。これは独でビスマルクが保険形式で養老保健、疾病保険などを整備したことに触発されたものだったが、デンマークでは議会等での議論の結果、保険料ではなく国費を投入し市民全体を対象とする形となった。こうした判断になったのは、社会が民族的に同質で階層的にフラット(貴族や商人層の政治力が限られていた)だったことから合議を貴ぶ慣習が育ち、それが共同体の結束の重視や政府への信頼を培ったことが指摘される。

 20世紀に入ると社会民主党が社会権などの議論を主導することになる。30年代半ばの社会保障関連立法が福祉国家形成への転換点といわれており、その際には失業者を国費でもって救済することも決定されたが、これは、共産主義化と国家社会主義化の圧力の板挟みになる中での選択でもあった。

 その後、今日の社会福祉制度に至る過程では社会民主党は自由主義勢力などとの間で妥協や試行錯誤が繰り返された。現在も新自由主義派などは政治勢力の一角を占めており、例えば最近までEUの競争政策委員を勤めたヴェステアー女史はそのひとりである。

 国家による所得分配に対しては、人々の政府への依存体質を助長すると批判されてきたが、一方で、所得分配はむしろ社会の結束を保障して経済発展の基礎を固める、という反論がなされてきた。貧富の格差の拡大が社会を混迷させる昨今、この反論の方に分があるようにも見える。しかし競争が生む爆発的な経済革新にはあまり向いていないのかもしれない。なお、デンマークでは今や高福祉高負担は自明で減税を主張する政治家ば落選するともいわれる。

 (労働環境-フレスキュリティ)北欧の社会福祉体制は労働者の権利保障と裏腹にある。デンマークでは19世紀以来の慣習で労働規則や最低賃金は法定ではなく労使間の協約にゆだねられ、政府は公正な裁定者としてふるまう。労働組合の組織率は約7割、最低賃金は時給110クローネ(約1800円)である。

 その労働市場はフレスキュリティと呼ばれ、高い流動性と労働者保護の両立を意図している。失業者は2年間にわたって失業手当(現給与の7割程度)と再教育(無償)を受けられる。他方で、雇用主は合理的事由があれば解雇は容易である。このしくみは産業の新陳代謝にも有効とみられる(例えば近年の造船業の構造的転換)。だが、労働者の頻繁な転職や、労働者の権利を優先することから生じる各種工事の遅れや修理や給仕など各種サービスの滞りなどの非効率の発生をどうとらえるかとの課題もある。

(高齢化とグローバル化の挑戦)この福祉国家は高齢化とグローバル化から大きな挑戦に晒されている。

 高齢化(平均寿命男性79歳、女性82歳)問題は長年政治的検討の俎上にあり、過去10年間で年金支給年齢の後ろ倒しや福祉関連の支出の見直しなどの改革が段階的に講じられてきた。ちなみに、年金支給年齢は平均寿命マイナス14年を基礎にスライドさせることが10年前に与野党で合意された。

 移民対策も長年の課題である。現在人口の15%が外国人でその半数が西欧外からの移民である。移民に対しては従来から、デンマーク社会への統合の可否、そして、経済的な寄与の有無という観点からは厳しい基準を付して受け入れを精査してきている。移民が集中的に居住し脆弱とされる国内の約30か所の指定地域については、デンマーク語の習練度、家族の収入、女性の労働寄与度、失業率について詳細なデータが毎年公表される。また、最近の難民問題に際しては、難民の保持する一定額以上の資産の没収やUNHCRの難民クオータの受け入れ停止など制限措置が取られた。北欧的リベラリズムを堅持するデンマークだが移民政策関しては保守的な色彩が強い。

 社会福祉制度のもうひとつの課題は、産業のイノベーションとの整合性である。技術革新をいかに促すか、また、労働組合主導の労働規律がシェアリング経済、個人事業形態、副業、等々、新しい事業形態に対応できるのか、ルールの形成と税の捕獲についての議論が始まっている。


4.安定した政情―ナショナリズムとポピュリズム 

 デンマークの政治は、難民問題やポピュリズムなどで動揺する欧州にあっては比較的安定している。本年6月の議会の総選挙でも自由党主導の中道右派と社会民主党主導の中道左派を軸とする伝統的な構図はほとんど変化しなかった。風通しの良い民主主義の存在(総選挙の投票率は常時90%近い)と高福祉体制を背景に近年経済もうまく回っており、こうしたことが社会全体の安定に寄与しているといえる。だが、ナショナリズムやポピュリズムと無縁ではない。

 ナショナリズムに関連していえば、EUとの関係では、デンマークは73年に英国に続いてECに加盟した経緯があり、マーストリヒト条約加盟は当初国民投票で拒否したことが想起される。この国はこの時条約加盟を目指していた政治エリートと国民の意思とのギャップを経験した。この国民投票の結果は同条約の円滑な成立を目指していたEUにとっても衝撃であり、そのあと一定の妥協策が話し合われ、最終的にデンマークには4留保(通貨、防衛・安保、法務内務、EU市民)が認められて再度の国民投票で条約を承認した。現在はデンマーク国民の8割以上がEU参加を支持しているが、これはこの留保によって対EU関係が政治的争点となりにくくなっている面にも助けられている。

 ポピュリズムに関してはデンマーク国民党の存在がある。同党は移民排斥とEU離脱を主張して20年の歴史があり、議会の中に一定の地位を築いた(最近まで自由党主導の政権時には野党第2党として閣外協力し、移民政策の強化に影響力を行使した)。従ってポピュリズムは政治に内在しているが、同時に合議と妥協を美徳とするこの国特有の議会環境に組み込まれているともいえる。

 近年の難民問題に関しては、上述のように制限的な施策を講じて問題の拡大を防いだことで極右の反発などを食い止めて収拾した。

 先般6月の総選挙では、移民問題の緊急度が後退し、社会福祉制度の諸課題や地球環境問題が争点となり、その結果従前の自由党主導の右派ブロックが敗退し社会民主党の少数単独政権ができた。新内閣は女性で41歳のフレデリクセン新首相が就任、閣僚の平均年齢は42歳と斬新な布陣である。新政権は2030年までの二酸化炭素7割削減などリベラル色を打ち出している。もっとも、左右ブロックの太宗は福祉国家の基本を争わないので外部の目からは大きな政策的相克は感じられない。


5.対外政策-対米協力、北極政策

 対外政策については、まず対EU関係は4留保によって一定の距離をおくが、単一市場から多大の恩恵を受ける貿易立国として規制協力や対外政策の調整には積極的である。一方で連邦主義的な主張には拒絶反応がある。

 国防・安全保障政策は対NATO協力を基軸に、米との協力を重視し、アフガニスタン、イラク、シリア、には積極的に軍事的関与をしてきた。アフガニスタンでは人口比で最多の犠牲者を出している。先頃トランプ大統領の公式訪問がグリーンランド「購入」をめぐって取りやめになったのはこうした対米協力の実績に照らすと不幸な出来事だったが、両首脳間の電話会談などによって外交的には上手く対処した。ちなみに、グリーンランドは第二次大戦中の対独戦略で米軍が展開して以降米軍基地がおかれている。

 そのグリーンランドは自治領で、将来の独立も視野に入れるので、デンマーク政府は、国防、外交権限は保持しつつ注意深く扱っているが、豊富な埋蔵資源の存在などが見込まれ、北極環境の変化もあってその戦略的重要性が高まっている。昨年、その新空港の建設に中国企業が入札して注目されたが、その後資金についてはデンマーク政府が手当てすることを決めた。今後北極政策ではデンマークはより重要な役割を担うようになるであろう。