早朝の喧噪の中で日越関係の将来を考える


元駐ベトナム大使 坂場 三男

<ハノイの早朝風景>

 早朝6時、喧噪の中で目覚める。2年振りのハノイ。寝ぼけ眼をこすりながら宿舎を出て周辺をぶらつく。膨大な数のバイクと、何やらがなりたてる役所のスピーカー、そしてクラクションを鳴らし続ける車。これらが喧噪の正体だ。建設ラッシュに沸き、近代都市へと変貌し始めた街中にあっても、この喧噪だけは昔と変わらない。

 宿舎近くの湖まで歩くと、早朝から集団で柔軟体操をしたりバトミントンに興じる男女に出会う。ベンチで新聞を読みふける年配者、軽装でジョギングする若者、湖で釣りをしているおじさん、軽快な音楽にあわせてダンスするおばさんたち、皆それぞれが爽快な秋の気配を楽しんでいる。道端に座って食べ物を商う老婆から私はソイ(炊き立てのもち米ごはん)とバイン・ミー(ベトナム風のソフト・バゲット)を買う。3万ドン(約150円)を支払ったが、少々ぼられたかも知れない。

 群走するバイクは入り乱れながらも互いに衝突することなく職場に向かう。2人乗り、3人乗りも珍しくない。その中を巨大な野菜の山が疾走しているので怪訝に思ったが、良く見ると野菜に埋もれるようにハンドルを握るおばちゃんがいる。すごい形相だ。朝市に遅れまいとしているのだろうか。

 近くの公園には巨大なレーニン像がそびえたつ。今どきはハノイでしか見られない奇景だろう。その下で若いカップルが楽しげに麺類の朝餉をとっている。この国は社会主義、共産党一党独裁の国なのだが、庶民は政治イデオロギーには無関心。レーニン像も苦笑いしているように見える。とにかく、ハノイの朝はエネルギーに満ちている。

<日越教育交流セミナーから見えてきたもの>

 この時、私がハノイを訪問したのはNGOが主催する日越教育交流セミナーに出席するためだった。去る11月中旬のことだが、日本だと晩夏か初秋のような快適な気候だ。教育関係者が集まってベトナムの若者の日本留学や日本語学習にかかわる諸課題を話し合った。今や、8万人以上のベトナムの若者が日本に留学している。結構なことだが、問題もある。勉強は二の次でアルバイトに精を出す者、失踪し不法滞在になる者、果ては犯罪に走る者までいる。その背景には日越双方に悪徳業者がいる。大使館も苦労している。

 ベトナムの大学でも日本学部・日本語学科が繁盛している。最優秀の学生でないと入れないところもあるらしい。日本語教師の不足も深刻な問題だ。特に学生の就職を考慮したビジネス日本語を教えられる先生が足りないという。多くの学生が、日本の歴史や文学といったアカデミックな授業よりも就職に直結するビジネス用語や観光ガイド、IT日本語に関心を向けている。優秀な学生ほど日本留学後にそのまま日本で就職してしまう。ベトナムに帰国して日本語の教員、大学の先生になろうという若者の層はますます薄くなっている。

 最近、技能実習生の問題も関心を集めている。2018年半ばの時点で約29万人まで人数が増えているが、その半数近く(13万5千人)はベトナム人だ。かつて、ベトナムから海外を目指す若年労働者は台湾や韓国が主な行先だったが、今や日本が最大の受け入れ国になり、失踪問題が祟(たた)った韓国は受け入れを激減させている。日本政府は、労働力不足への対策として、入管法を改正して、2019年4月からいくつかの単純労働の職種に間口を広げて外国人労働者を受け入れる方針だ。ベトナムからはさらに多くの若者が日本をめざすことになるだろう。これをベトナム側から見ると、2018年に11万人を予定した労働者の海外派遣人数は既に10月の時点でオーバーした。日本が最多の派遣先である。一方で、ベトナム進出日系企業は人集めに苦労しており、賃金上昇に歯止めがかからない。若年労働者の取り合いは深刻だ。

<日越関係の行方>

 日本とベトナムの関係はどこに向かっているのだろうか。確かに、貿易投資をはじめとする経済関係は急速に進んでいる。ベトナムに進出している日系企業は実態としては3千社を超え、東南アジア最大の規模になりつつある。片道5時間前後のフライトで往復できる地の利は大きい。港湾や道路が整備されて輸送環境が良くなり、大量のモノが行き来する。内需が旺盛なベトナムでは流通・サービス業にも大きなビジネスチャンスがある。他方で外資をめぐるトラブルも増えている。規制緩和と規制強化の動きが交錯しているが、その背景には外資誘致と自国産業育成への相矛盾した思いがある。外国投資関連税制をいじって「よいとこ取り」をしようとする財務当局の専横も目に余る。対外公的債務の対GDP比が増える中で、これを無理やり抑え込もうとする政府の財政判断も見え隠れしている。ベトナム投資はこれから難しくなるかも知れない。

 政治・安全保障面での戦略的パートナーシップも進んでいるが、その外交姿勢には現共産党指導部の意向を反映してか中国にすり寄ろうとする思惑が少しづつ強まっているように見える。中国への気遣いというか配慮する姿勢がかつてに比べると顕在化しているようだ。日本としては巷で言われる「中国包囲網」にベトナムを取り込もうなどと考えると梯子を外されるかも知れない。ベトナム共産党の考えは反中感情の強い国民意識と一枚岩ではない。そもそもベトナム国民の共産党への忠誠心などはとっくの昔に失われ、汚職腐敗の蔓延と相まって、むしろ「共産党離れ」の意識変化が顕著である。共産党自身もこのことへの危機感を強め汚職取り締まりを一段と強化している。日本としてはベトナム国民の心をつかむことを優先的に考えなければならない。そのためには、人的交流の強化を通じて親日感情をさらに醸成することにエネルギーを割くべきだろう。特に教育交流は重要だ。早朝のハノイ市内を歩きながら私はそんなことを考えた。