OECDからみた欧州


前OECD日本政府代表部大使 岡村善文

 経済協力開発機構(OECD)といえば、欧州が核になって出来た国際機関。欧州といえば、民主主義、自由、人権の総本家。ルネサンス、啓蒙主義を経て、市民革命と産業革命により、国民主権国家と近代経済社会の基礎をつくった。さまざまな国際関係の規範が、欧州を舞台に形作られてきた。日本は明治維新以来、欧州から学び、欧州に倣って制度を整え、外交を進めてきた。欧州の理念や価値観は自由主義陣営の結束の淵源である。何かと難しいアジアの地にあって、日本にとって拠り所とすべき座標軸だ。

 そう思いながらOECD代表部に着任したら、その肝心かなめの欧州がぐらついていて、どうも心許ない。まず欧州は考えていたほど一枚岩ではない。欧州連合(EU)として経済・社会統合を進め、27ヶ国4億5千万人を擁するに至った。これだけ広大になると、欧州の中での立場や考え方の差がかなりある。南北問題があり、ラテン・カトリック系の南欧諸国とゲルマン・プロテスタント系の北欧諸国とは、債務救済の対立はともかくも社会文化の面でどうも反りが合わない。東西問題もある。冷戦終結後、東欧諸国をEUに加えた。ところが旧社会主義諸国とは、経済政策の優先度や価値観を異にする部分がある。左派政権と右派政権は、重視する観点や政策の方向性が異なる。ブレグジット(英国のEU離脱)だけでない、そもそもEU内部にそういう軋みがある。

OECD事務総長選出をめぐる思惑

 一昨年(2021年)、OECDの新しい事務総長を選出することになった。候補者10人の中から、スウェーデンのセシリア・マルムストローム元欧州委員と豪州のマティアス・コーマン前財務相の二人にだいたい絞られてきた。過去四半世紀、事務総長は非欧州出身だった。次は欧州から、という声が欧州諸国から上がっていた。近年のジェンダー要請から、次こそ女性事務総長だ、という声も高かった。欧州出身で女性の事務総長というなら、マルムストローム候補になる。OECD加盟国37ヶ国(当時)のうち26ヶ国が欧州(うち4ヶ国は非EU)だ。三分の二以上を占める欧州、とりわけEUが一致して支持すれば、マルムストローム候補の当選は堅い。

 ところが、そうならなかった。両候補接戦の上、僅差でコーマン候補が選出された。EUの中から、コーマン候補に流れた票があった。私は4人の選考委員の一人に選ばれていたので、各国の思惑を知る立場にあった。中・東欧諸国は、各国国内の経済社会政策に厳しい要求を突きつけるEUが、OECDで影響力を強めることを恐れていた。ある東欧の大使は私にこう言った。「国家再建をしっかり支援してくれる、というのでEUに加盟したのだ。しかしブラッセルから財政援助はほとんど来ない一方で、指示と批判ばかりが来る。」

欧州を支える理念が揺らいでいる

 まあこうした欧州諸国間の国情・立場の違いは、急いでEU拡大を進めた代償といえるのかもしれない。さすが欧州にはEUだけでなく欧州評議会、欧州議会といったさまざまな枠組みや仕組みがあり、年月をかけて考え方の違いを克服していくのであろう。それよりもむしろ心配なのは、欧州を支える理念である。欧州が結束し、これこそが欧州だと外に誇る理念が揺らいでいる。

 民主主義は大丈夫だろうか。国民の投票によって民意を問い、それに従えば良い政治が実現する、と当然のように考えられてきた。ところがその民意が、感情に動かされやすい。どんなに必要な政策であっても、国民に不人気ならば取り得ない。情報社会の発展は、同時に誤情報や世論操作に対して脆弱な社会をももたらしつつある。各国で選挙を重ねれば重ねるほど、極右政党が台頭して来る。直接の国民投票を実施するとブレグジットだ。民主主義の横綱である米国でのトランプ政権の顛末を見ても、民主主義に自信を失う。

 自由市場は大丈夫だろうか。国境の壁を取り払い、物・人・サービスの自由な行き来を実現して、EUの巨大市場を形成する。この基本方針に疑いを持つ人々がだんだん増えてきた。自由化は同時に競争を促すことでもあり、国々の間で勝ち負けの産業格差が生じる。地域産業の衰退を前に、各国に保護主義が生じてくる。2015年以来シリア難民流入を受け入れたら、各地で社会不安が高まった。そこにコロナ危機が襲い、国境での管理がやはり必要だ、欧州統合は行きすぎだ、という声が強まった。

 資本主義は大丈夫だろうか。経済成長は原動力を見失い、国家債務は急増している。自由競争は大きな社会格差を導いている。気候変動の脅威を前に、野放図な資源消費はもはや許されない。デジタル世界は豊かな未来を予測させるとともに、経済・社会に弊害も及ぼし始めている。巨大企業は国境を越え、政府をも越える影響力を行使している。グローバリゼーションの波に乗って大きく拡大した国際供給網がコロナ危機で突然寸断されて、産業の脆弱性が露呈した。

 こうした課題に、欧州は処方箋を書けていない。どうもそこに、欧州の自信の弱さがある。OECDにおいて欧州が強く主張する理念は、グリーン(炭素排出の制限)とジェンダー(女性の地位向上)ばかりだ。これらの理念はもちろん重要ながら、欧州が何かにつけて石炭や女性の問題を持ち出して他国を批判するのは、それ以外の理念について欧州の共通項が定まらないからではないか、と勘繰ってしまう。

OECDは同志国連合

 OECDは欧州の戦後復興の機関を衣替えして発足、日本をはじめ非欧米諸国も加盟国に取り込み、一昨年に六十周年を迎えた。前半の三十年は冷戦時代、資本主義経済・社会の繁栄を支えた。冷戦終結後の三十年は、グローバリゼーションの推進役を任じてきた。そして今、その資本主義経済・社会とグローバリズムの双方が問われている。

 OECDについて触れると、「ああ、あの世界最大のシンクタンクですね」と言われる。そういう優美な捉え方(私は「世界最高品質の」と言い換えている)も正しいけれど、もう少し厳粛な役割や使命のもとに機能する機関でもある。と言うより、そういう役割を果たすべきであるとますます認識されつつある。つまり、自由主義世界・資本主義経済の理念や価値観を支え、具体的な政策に実現していく役割である。

 OECDには、国際機関として一つの大きな特徴がある。それは、普遍性を旨とする国連その他の国際機関とは異なり、「同志国連合」であることだ。すでに一昨年の閣僚理事会で「新ビジョン声明」を採択し、「共通の価値」(民主主義、市場経済、自由貿易、人権、法の支配)に立った経済・社会運営を改めて確認していた。

 そうしたら昨年の2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。OECDではたまたま理事会が開かれていた。審議予定だった議題を横に置き、ただちにこの事態へのOECDの対応を協議、その日のうちに全会一致でロシア非難の決議を採択した。続いて、ウクライナの首都キーウにOECD事務所を新設し、すでに戦後の復興支援を念頭に活動を始めている。これに対して、ロシアや中国をメンバーとする他の多くの国際機関は、ロシア非難どころか主要な決定さえできず、機能が麻痺した。「同志国連合」の国際機関は、NATO、EU、(国際機関とは言えないが)G7を除き数少ない。G77と先進国といった対立もOECDにはない。OECD(および国際エネルギー機関)は「政治的決定ができる」国際機関である。

 もう一つOECDの特徴を述べると、OECDは特定の分野を専門とする国際機関とは異なり、およそあらゆる分野を横断的に扱う「何でも屋」だ。産業と環境、雇用と社会問題、デジタル技術と税制など、近年の経済・社会運営は多くの変数が絡む連立方程式である。OECDは三十に及ぶ下部委員会を抱え、客観的なデータと統計を駆使してこの連立方程式に解法を見出そうと努力している。また、現代の技術革新に伴い生まれてくる分野には、それを扱う国際機関は存在しない。そうした新規の分野にもOECDは直ちに取り組むことができる。

(図表:外務省ホームページより)

地政学に甘かった欧州

 さて、欧州に話を戻すと、私がパリで仕事を始めた三年ほど前には、欧州諸国はトランプ政権の間に生じた米欧対立の傷を修復することに、もっぱら注力していた。だからアジア太平洋地域のことにあまり目が向いていなかった。成長するアジア経済圏を、単に貿易と投資の対象としかみておらず、中国やインドが世界経済を変貌させつつある現実を認識していない。私がOECDの理事会で、地政学の動態に目を向けるべきだと指摘すると、「地政学という中国から挑戦的と受け取られかねない語を使うな。中国は協力し政策協調する相手だ」とたしなめる欧州諸国の大使たちがいた。欧州は中国への貿易依存や、中国への投資、中国からの投資をほぼ無警戒に進めてきていた。

 それに冷や水を浴びせたのは、まずコロナ禍である。いきなりマスクが足りなくなった。欧州ではマスクはほとんどが中国製で、中国の空港で輸出用のマスクをめぐり欧州諸国どうしが争奪戦をするという見苦しい事態になった。高度医療機器も中国からの供給が止まるとお手上げだった。ワクチン接種が始まると、注射器・注射針はほとんどが中国製で、これもたちまち不足した。そうこうするうち、リトアニア問題が起こった。リトアニアが首都での台湾代表処を認めたことに反発し、中国がリトアニア製物品の通関を拒否、事実上の経済制裁に出た。これは人口3百万人の小国の話に留まらなかった。この国は自動車用電子部品の大生産地である。中国に進出している独、仏、スウェーデンの自動車メーカーが、リトアニア製部品を使えなくなって慌てた。

 そういう経緯もあり、欧州でも中国をただ十億人の大市場だ、世界の工場だ、とだけ見ていては危ない、という意識が高まったようだ。強権的体制への脅威感、過度の経済・貿易依存への不安が強まった。欧米の技術が最先端と思い込んでいたら、中国の情報産業、サイバー・人工知能(AⅠ)技術、宇宙開発などが、どんどん先を越し始めている。欧米基準がそのまま世界標準にはならなくなるかもしれない。携帯電話や5Gや国際輸送網の分野ではすでにそれが起こり始めている。折からウクライナ戦争がエネルギー危機をもたらした。ロシアへの過度のエネルギー依存も反省すべきだ。欧州諸国は最近になり急に、経済安全保障を議論し始めた。そしてOECD理事会でも、もはや「地政学」という語を使うことに躊躇はない。

日本だからこそ理念を支えられる

 欧州はここのところインド洋・太平洋地域への関心を高めている。OECDも、コーマン新事務総長が豪州出身であることもあり、インドや東南アジアを取り込むことに熱心になりつつある。そもそもOECD経済圏は、今世紀初めには世界の8割を占めていた。しかし現在は5割だ。新興経済圏が伸長して、途上国市場にも乗り出している。中国が国家管理体制のもとで、工業生産や金融への影響力を拡大している。OECD諸国の政治や経済が世界を主導する、とは必ずしも言えなくなりそうだ。アジアに「同志国」を増やさなければならない。アジアからのOECD加盟国は、日本と韓国だけ。それだけにOECDでは、日本の言うことによく耳を傾けるようになった。日本の強みは、アジアにいることだけではない。理念が先行しがちな欧米に対して、現場を重んじる日本の視点が説得力を持つ。

 たとえば民主主義だ。欧米諸国は民主主義をさかんに唱道する割には、それを現場でどう実現すべきかに考慮が少ない。欧米諸国は大統領選挙が実施されれば、民主主義が満たされたと考える。しかし多数決原理で一人の指導者を選び、その人が数年間全権を掌握する制度が、アフリカでどれだけ政治の不安定を生んできたか。少数部族は常に政治参加の機会を奪われるからだ。民主主義は大統領制だけではない。議院内閣制もあるし、そもそも常日頃の統治の進め方の問題である。教育の普及による意識向上や、民主主義を支える司法や法執行の整備も重要だ。そう指摘すると、欧米諸国は目が覚めたような顔をする。

 たとえば途上国での石炭火力問題だ。欧州において環境保護派の圧力は強く、途上国への石炭火力発電関連の開発援助や輸出信用は、徹底的に糾弾される。しかしアフリカでは、電力供給が不安定なため、企業は自家発電で停電をしのぎ、一般家庭では木材や木炭を燃やして料理をし暖を取っている。ディーゼル燃料の浪費を抑え、森林破壊を止めるためにも、たとえ当面は石炭火力であっても、しっかりした発電所の建設が急務である。いや、それは再生可能エネルギーでなければならない、と反論が出る。私は答える。一つの火力発電所を代替するために、どれだけの面積の農地を太陽光パネルで覆わなければならないか、それにいくらかかるか、計算したことがあるかい。

 たとえば開発援助だ。60年代、70年代のアジアは、アフリカよりはるかに悲惨だった。しかし今や着実な経済成長により、大方の国々において人々は貧困を脱し、民主主義はほぼ定着、人権は向上し、政治経済の安定を維持している。紛争も移民の圧力もほとんどない。こう論じると、欧州は二の句が継げない。明らかにアフリカの経営に失敗しているからだ。欧州は開発について、慈善・啓蒙のキリスト教的姿勢で臨む。しかしこれはアフリカの自立心・自助努力を損ない、欧州への依存だけが高まる。民主主義・人権・ガバナンスを先に求める教条的な対応では、国の制度が伴わないうちは袋小路に陥る。アジアで日本が実践し、アフリカでTICADを通じて敷衍しようとしているように、相手国にオーナーシップ・自助努力を求め、制度構築・人材育成・インフラ整備・ビジネス促進により、まず開発の基盤を整備すべきなのだ。OECDでも、DAC(開発援助委員会)で「援助」だけを論じていては足りない、どうやって途上国の経済・社会発展を図り、これをOECD経済圏の強化につなげるかを論じなければならない。私がそう主張してきたところ、だいぶん賛同する国が増えてきた。

 たとえば、はまだまだあるけれど、字数が尽きた。とにかく、日本もその主要な担い手である理念の大御所であり、日本もその一角を占める先進国経済・社会の礎である欧州には、これからもしっかり自信をもって頑張ってほしい。その理念を支えるために、欧米でない日本だからこそ、理念の弱点を指摘して補修する役割がある。ここに日本として外交力の発揮しどころがある。そして「同志国連合」のOECDには、そうした日本と欧米を繋いで、先進国経済・社会を強化する使命がある、と少しばかりOECDの宣伝をしておこう。