「JICA、変化と挑戦」


前国際協力機構(JICA)副理事長
元駐スペイン大使 越川和彦

1.はじめに~緒方貞子平和開発研究所の誕生から思うこと~
 昨年10月、2008年に誕生した新JICAを長年主導された緒方貞子氏が逝去された。JICAは同氏の多大な功績をたたえJICA研究所を「JICA緒方貞子平和開発研究所」と名称を変更した。2008年に誕生した世界でも有数な総合的政府援助機関JICAは、大きな二つの組織の統合という難しい事情を抱えながらも、政府の外交方針を踏まえ効果的かつ途上国からの信頼を得る活動を実施してきたと思う。こうした中、現在、JICAが国内社会との関係を深めるべく取り組もうとしていること、そして状況変化に応じて懸命に取り組んでいること、をご紹介したいと思う。

2.内外の根本的変化
 途上国が急速に経済発展を遂げている。特にASEANはじめアジア諸国で顕著であり、既にODAを卒業した国、卒業に近づきつつある国がみられる。援助を受けつつ自身も援助国として活動を始めつつある国も多い。これに伴って現れている変化は、1)民間資金への期待が高まりODA借款を要請する国数がかなり減ってきている、2)紐づいた質高インフラ・プロジェクトに対する厳しい反応、3)高度人材育成に対する期待、4)デジタルトランスフォーメーション等ハイテク分野での協力要請などである。
 一方、日本社会は急速に高齢化している。国内財政と経済が厳しい中で、従来型援助への国民の支援が大幅に低下している。また、国内の労働力不足から本格的な外国人労働者の受け入れが始まった。

3.ODA借款供与国数の減少
 現在、ODA借款供与額は年間1兆円(コミットベース)を超えているが、供与国は10ケ国前後、大口は5ケ国前後になっている。急速な経済成長を遂げつつある途上国の中に、政府の借金となるODA(公的援助資金)ではなく、民間資金を最大限活用しようとの傾向、所謂PPPの考え方が益々強まっている。鉄道、港湾、空港、橋梁、道路建設などの基礎インフラの整備と運営を民間主体で行うBTO、BOT等の採用が拡大している。
 また、質高インフラの輸出促進という日本政府の方針の下で、JICAは、大型インフラ案件への様々な支援を実施しているが、途上国側から日本企業のコスト高に対する厳しい反応が出ている。これは日本企業の国際競争力が低下し、他方で中国、韓国企業が力をつけている厳しい現実を物語っている。これに対して、JICAは、借款、技術協力、海外投融資(民間への直接の融資、出資)を組み合わせることで、日本企業の参加を促しつつ案件形成を行っている。また、日本企業の競争力を高める方策としては、トルコ、インド、韓国などの外国企業とチームを組むことも有効である。民間セクターの参画を促すために、今後、JICAの海外投融資が益々重要になってくる。年間300億円程度であった投融資額を今後2、3年で年間1,000億円規模に増やしていくことを目指している。
 一方、人材育成支援、特に高度人材育成支援に対する需要は益々高まっているものの、日本国内の人材不足、人材の高齢化が著しく、80歳前後の専門家も現場で働いている。また、途上国の事情を一変させた携帯電話や電子決済の導入にみられるリープフロッグ現象は、途上国で益々注目を集めている。ICT,AI,IOT、人工衛星を利用した分野などで途上国からの要望がかなり出てきている。一方、これに対応できる日本の専門家は極めて限られており、残念ながら十分な対応ができていない。タイでは、「ハイテク支援は中国に、ローテクは日本に」と言われる事態に陥っている。5Gを巡る角逐をみても、ハイテク分野での中国、韓国の躍進が著しい。また、この分野での対応が不十分な背景には、日本政府、JICA内の意識転換の鈍さもある。ODA支援は、道路、橋、港湾、鉄道、下水処理場などであり、所謂ハイテク分野は民間セクターの守備範囲という考えがあった。途上国の科学技術が如何に急速に進み、先進国が経験してきたステップを飛び越えて一気に最新の技術を導入し、リープフロッグ的な発展を目指す途上国側のニーズに我々の意識がついていけていなかった面がある。ここ数年、JICA内でも人工衛星等を活用した協力、DX時代の協力の在り方を検討し、これを具体的な協力に結びつけつつあり、挽回をはかっている。

4.国内に根を張るJICA
 JICAは、途上国での知名度は抜群である反面、国内では知名度が低かった。ここ数年、「国内に根を張るJICA」をスローガンに中小企業・SDGビジネス支援事業、開発大学院連携、海外協力隊事業を通じて、日本の地域社会との関りを深めている。私自身、この4年間で47都道府県すべてを訪問し、中小企業、商工会議所、行政機関、大学の関係者と会い議論した。中小企業海外展開支援事業を開始して8年になるが、途上国が持続的成長に必要とする技術、ノウハウ、製品など多くを日本の中小企業が保有している。全国津々浦々の中小企業自らが国際協力に参加し、かつ海外にビジネスを展開することで、国際協力に対する理解と支援が全国的に広がっていくと思う。国内を回ってみると、SDGsが各地でかなり幅広く受け入れられ、地域社会、地域企業の経営理念に取り込まれている。この数年でJICAと国内地域社会との関係は格段に深まってきている。地下に根をしっかり張らなければ、美しい花を咲かせることはできない。

5.多文化共生と海外協力隊事業
 地方を訪問して驚くのは、どこに行っても外国人が一生懸命働いてくれていることである。地方経済の最大の問題は労働力不足であり、したがって、外国人労働者の受入れが大きな課題となっている。現在、外国人技能実習生が大きな役割を果たしているが、様々なトラブルが発生している。更に、昨年4月から本格的な外国人労働者の受け入れが始まった。これまで外国人労働者受入れに関して全く関与して来なかったJICAであるが、昨年、この問題にJICAのスキームを活用して積極的に取り組むことを決めた。例えば、訪日前の研修機関への資金的な支援をはじめ帰国した技能実習生が日本で獲得した技能を本国で生かせる環境を整備する支援なども考えている。また、最大の問題は、各地の受入れ団体、地域住民が言語、文化、宗教が異なる外国人の受入れ準備が十分できていないことである。国内地域社会の多文化共生をいかに実現し有能な外国人材を惹きつけて行けるかに日本の将来がかかっているといっても過言ではない。この点で、JICA海外協力隊事業を通じて重要な貢献が可能であると思う。宗教、生活習慣の違いへの理解を促進するという点で海外協力隊員経験者が一人いるだけで状況は大いに好転するはずである。また、外国人労働者を多く受け入れている市町村役場の職員、その子弟を多く受け入れている小中学校の教員に海外協力隊に参加してもらうことで、人材育成にも貢献しようと考えている。

6.新型コロナウイルスへの対応
 未曾有の事態にJICAがどう対応しているかについて簡単に紹介したい。
3月1日時点で、途上国に滞在するJICA関係者は、6,350人いたが、4月27日までに5,500人を無事帰国させた。これを更に減らし、最終的にはJICAプロパー職員を中心に約500人を途上国に残すことにしている。また、4月27日現在で資金協力事業を請け負っている邦人企業関係者がまだ1,200人残っているが、この方々の対応についてもJICAは全面的に支援体制をとっている。また、先が見えない中、青年協力隊の春募集の取りやめ、数千人にのぼる帰国隊員の今後をどうするか、帰国した専門家に今後国内でどのように仕事をしてもらうかなど大きな課題が横たわっている。
 また、援助機関として、今回の事態にどう対応するか、真価が問われるところである。本来であれば、緊急医療チームの派遣、医療器材の提供というところだが、今回はこれがほとんど出来ない。マスク、検査機材、防護服などは、国内が優先という世論が極めて強い。このような中で出来ることは限られているが、先ずは、途上国の差し迫るニーズを的確に把握し、対応する、即ち、薬と資金の提供ではないかと思う。薬の提供は外務省が進めており、JICAとしては、途上国が必要とする資金をスタンド・バイ借款の形で迅速に提供すること、そのためには既存の円借の枠を新型コロナ対策資金に活用することなど、各国のニーズに丁寧に対応していかなければならない。ODA借款債務のモラトリウムも横並びで進んでいる。日本、米国、欧州諸国など所謂先進国の対応に比べ、マスク、検査薬、防護服、医療機器の供与などに迅速な対応を見せている中国の力が際立っている。新型コロナ後に地政学上の大きな変化、特に途上国における中国の影響力が一気に高まる可能性がありうるのではないだろうか。
(了)