第75回 聴覚型人間と視覚型人間

元駐タイ大使 恩田 宗

 テレビで映画をみていると隣の部屋から顔を出し「○○でしょう」とその映画の題名を当てた。バックグランド・ミュージックに聴き覚えがあるという。彼女は聴覚型人間で音に敏感である。人の苗字を忘れた場合も「ア、イ、ウ・・」と唱え音からヒントを得てたぐり寄せようとする。その代り往きに見た街並みを覚えておらず帰途道に迷うなどということがよくある。当方は外国でもめったに道には迷わないが音楽は駄目である。人の名も「画数の少ない漢字3文字だった筈だ」などと視覚記憶に頼っている。 

 人間は視覚に大きく依存して生きている。脳神経細胞の3分の1が視覚に関係していて外界についての情報はその80数%が視覚を使って得たもので聴覚は10%前後、残りの数%が触覚・臭覚・味覚らしい。哺乳類は体が小さかった大昔は主に聴覚・臭覚・触覚を使って夜間地べたを這い回っていた。ヒトやサルの視覚が発達したのはその先祖が樹上で生活するようになってからだという。 

 ヒトとサルでは視覚聴覚のバランスが違う。アカゲザルの視覚関連の大脳皮質の面積は全体の55%で聴覚関連は僅か3.4%だという。ヒトの聴覚がサルのそれより優勢なのは音声言語を用いるようになったからではないかという。ドイツ南部の洞窟から動物の骨を加工した3万5千年前の笛が発掘されているが言葉を喋り始めてからあまり間をおかず音楽をも楽しむようになったらしい。

 音楽は人に大きな感動を与える。最も大きな感動を得たのは5つの感覚器官のどの器官を通じてかとの質問に対し、17.6%の人が聴覚だと回答し視覚だと答えたのは72.6%だったという。外界から得る情報の10%前後が聴覚からであり視覚からは80数%であるので聴覚に訴えた方が大きな感動を与える確率が高いということになる。選挙のとき宣伝カーで名前を連呼する悪習が止まないのはそのためかもしれない。

 皮膚も重要な感覚器官である。「驚きの皮膚」(傳田光洋)によると感覚器官は原初に遡れば全て皮膚から発達したもので皮膚には光や音を受容する機構が残っており人はそれを感受していることを知覚しないだけだという。光を照射して時差ボケを治す療法がそれを証明している。ライブのガムラン音楽が音源近くの人を恍惚状態にさせるのは耳には聞こえない10万ヘルツ以上の音を皮膚が聴き取っているからだという。皮膚には心に直結するルートがあるということになる。気配というものは皮膚が感じ取っているのかもしれない。親愛の情を伝えたり感動を分かち合ったりするには肩を抱き合うのが効果的である。自然でもある。日本でもためらわずにそうするようになれば感情生活がより豊かになると思う。