第74回 ウォーキングと伊能忠敬

元駐タイ大使 恩田 宗

 ウォーキングは健康のためと言う人が多いが考え事をするのにも向いている。黙々と歩いて暫くすると軽くハイの状態になり精神が解き放され浮揚する。そんな時考え事をすると意外にいい結果が得られる。思いを漂うままにさせておくだけでも忘れていた昔の事などを想い出させてくれる。京都には「哲学の道」があり人はそこを散歩しながら思索に耽るという。俳句選者がこんなことを書いている。スーパーなどで働く人達がハッとするような視点の句を寄せてくることがある、精神は体が単純な動作を繰り返している時思わぬ飛躍をするものらしい、と。 

 勿論体を休めている時も精神は活発に活動する。眠れない時などにベッドの中で集中して考えると頭が冴えてきて一時間位はあっという間に過ぎてしまう。湯川博士は枕元に常にノートとペンを置いていたらしい。俳人金子兜太の句作は夜明け寝床の中でうとうとしながらだったという。兼好法師は日暮らし硯にむかひて心にうつるよしなし事を書きつくりあやしうこそものぐるほしくなっている。人それぞれである。

 ウォーキングと言えば伊能忠(ただ)敬(たか)で1800年から17年間10次にわたり日本の全沿岸と主要街道を踏査し精密な日本全図を作成した。出張日数3,300余日、歩いた距離は地球一周の4万キロに迫る。最近忠敬は二つの人生を見事に生きた達人としてもよく挙げられる。彼は17歳で下総国佐原の名主の家に婿入りし49歳で隠居するまで暦学と星学を趣味にしつつ家業に励み噂になる程の資産を築いた。隠居後は江戸に住み持てる資金と知識技能を生かして測量に残る年月をフルに使い歴史的な業績を挙げ73歳で没した。

 然し彼は当初から全日本の実測などということを考えていた訳ではなかった。最初蝦夷地南岸と奥州街道を測量した時は幕府の公認は得ていたがほぼ自弁で子午線一度の距離算定が主なる目的だった。ただそれが契機となり幕府直轄で全国測量が開始され身分は低いが実績のある彼が人的巡り合せにも恵まれてその事業を一貫して担当することとなったのである。

 忠敬を小説にした「四千万歩の男」の著者井上ひさしは「一身にして二生を経る」などという生き方は自分は真っ平だがそれを余儀なくされつつある給与生活者諸兄の為に書いたと述べている。余儀なくというのが正に実態で給与生活者が第二の人生で何をするかはその時の成り行きで決まることが多く成り行きの連鎖で思いもしなかった方向に転じたりする。寿命が延びたとはいえ二生を満足に生きるのは容易ではない。人間50年の時代に第二の人生で歴史的な仕事をやり遂げた伊能忠敬にはただただ敬服するのみである。