MENU
 

英国に大使として赴任して


前駐英国大使 鶴岡 公二

1.はじめに

 私は2016年6月から2019年11月までロンドンに駐英日本大使として駐在した。私は外務省入省後本省北米局にて一年研修したのちに二年間ハーバードロースクールに留学し、法律修士号を取得した。その後、2019年12月に退官するまでの43年間のうち30年を東京、13年を海外で過ごした。大使館勤務はソ連時代のモスクワとワシントン、そしてジャカルタであったが、ロンドンはなかった。本省でも欧州関係を担当することなく、条約局、北米局、経済局、地球規模課題審議官などに勤務した。すなわち私はロンドンに大使として着任するまで英国とはほぼ無縁だったのである。

2.ロンドン着任

 赴任前に先輩大使や英国通の方々にご挨拶をしたが、みなさんからは英国大使への就任を祝福いただくとともに、英国は成熟した民主主義国であり英国勤務は快適であり驚くような想定外の事態は生じることがないので最後の外務省生活をロンドンで過ごせることは喜ぶべきことであるとのお話を伺った。ロンドンでは楽しく知的にも刺激のある生活を送り最後の御奉公をロンドンで大使として送ることが出来たのは大変幸運であったが想定外のことが起きない静かな勤務ではなかった。ロンドン勤務の3年強の間、私は英国のEU離脱問題、ブレグジットに追われた。

3.国民投票はEU離脱を選択

(1)国民投票

 ブレグジットの是非を問う国民投票は21016年6月23日に行われた。私は6月6日に着任して英国政府関係者などを訪問したが国民投票についてはほぼ全員が英国人は合理的な人々なので経済的に損失を被ることになるEU離脱を英国民が選択することはあり得ないので心配しないでほしい、日本企業は英国経済に大いに貢献しているので引き続き英国に投資し活発な事業展開を行うことを期待するとの意見だった。さはさりながら、1000社以上の日本企業が展開している英国が万一にもEU離脱となれば欧州市場への輸出で業績を上げている日本企業は打撃を受けることになるので国民投票の前に大使館で邦人企業関係者を招いて懇談会を開催し、万一離脱が選択されたらその対応について緊密に連携を取っていこうと話をした。それまで大使館ではそのような会合は開催されていなかったそうだ。市場経済の先進国では特段企業側も大使館に依頼することもなかったようだ。

 6月23日の国民投票の結果はロンドンでは驚きをもって受け止められた。深夜に開票が進む中、日産が6000人に及ぶ工員を雇用するサンダーランドで6割を超える大幅な離脱支持の結果が出てきた。欧州への輸出が困難になれば工場の存続も危ぶまれるのに何故離脱を支持するのか不明だが離脱を選択した理由を合理的に説明できないことだけは明らかだった。24日の朝になって全国の結果が僅差(52対48)ながら離脱が多数であることが判明し、その後の英国においては離脱がほとんど唯一の話題になった。

 国民投票の当日朝、キャメロン首相は首相官邸で側近を集めて投票後の首相の発言につき指示を出したと言われる。首相はEU残留が大幅な支持を得るが離脱を選択した少数の英国民に疎外感を抱かせないように結果が出た以上英国はこの国民の選択を一致して支持し、今後は英国が一体となって英国の繁栄のために邁進しようというような発言を用意するように述べたと言われる。確かにロンドンでは7割近くが残留を支持したので首相が読みを誤ったのは無理もないとも言える。また最終結果は52対48の僅差でもあったので残留が勝利する可能性がなかったとは言えない。ただ、キャメロン首相の政治感覚が英国全体の感情を踏まえていなかったこともこの小話は示している。残留を支持したキャメロン首相は辞任し議席も返上した。私が遭遇した最初の驚きであり想定外の事態であった。

(2)テレサ・メイ内閣の成立

 首相が辞任し保守党の党首選が直ちに開始された。党則では立候補者が複数に上る場合には議員による選挙を行って二人に候補者を絞り、決戦投票は議員に加え党員も参加することになっている。7月から党首選を開始して決戦投票は9月の党大会前になることが予想された。離脱派が勝利を収めたのだから離脱運動を主導したボリス・ジョンソン前ロンドン市長が次期首相になることが当然視された。ところが彼の右腕のマイケル・ゴーブ司法大臣が自ら立候補し、ボリスをよく知る自分はボリスが首相を務める器ではないと知っていると公言したのである。ボリスは立候補を見合わせたが、ゴーブも最初の投票で排除され、残りの二人はテレサ・メイとアンドレア・レッドストームの女性対決になった。全国で展開される党首選挙運動を夏から秋にかけて行い、9月には決選投票と思いきや、レッドストームはテレサ・メイには子供がいない、子供も育てたことがない人に首相は務まらないと発言し、ごうごうたる非難を受けて党首選から撤退せざるを得なくなった。その結果、立候補者が一人となったので7月中にテレサ・メイが党首に選出され首相となったのである。本来は党首選の中で政策論争を戦わせ党員が政策を評価して投票するのであるが消去法で自動的にテレサ・メイが首相になったのである。これが私の二つ目の想定外であった。テレサ・メイは残留を支持した経緯もあり離脱派からは信頼されていなかったこともあり、組閣に当たっては離脱派を含めた挙党体制を組んだ。外相にボリス・ジョンソン、EU離脱相にデービッド・デービス、国際貿易相にリアム・フォックスを任命した。その後繰り返し閣内不統一を招く布陣であったが保守党の一体性を維持するためには他に選択肢はなかったであろう。離脱派は首相に直ちにリスボン条約にしたがってEUに離脱通知を出すべきだと詰め寄ったが首相は検討する時間が必要として応じなかった。

(3)離脱への日本の対応

 離脱を国民が選択したのでいずれは英国がEUから離脱する時が来ると予想して在英国大使館は離脱後の英国とEUの経済関係につき提言をまとめて英国、EUの双方に提出することを東京に進言し、直ちに作業を開始した。ロンドン、東京の双方で企業団体から見解を聴取し、予想される問題点を洗い出し、内閣では官房副長官の主催の下で会議を繰り返して提言をまとめる作業を急いだ。夏休みの時期ではあったが、作業は真剣に進められ9月6日に英国政府、EU事務局双方に文書で提言を提出した。その文書と提出した事実を外務省のホームページに掲載したところ、北京で開催されるG20会合に出張するテレサ・メイ首相一行の記者団にいたフイナンシャルタイムズの記者が首相専用機の機内で外務省のホームページを目ざとく見つけて、これは離脱を懸念する日本がG20で英国に提起するためにこの時点で公表したものと大きな記事にした。提言の内容は英国で事業を展開する企業からすれば至極当然のものばかりであり、なんら驚くには値しないのであるが包括的な提言が迅速にまとめられたこと及び先頭に立って自説を主張しないと見られている日本が他に先駆けて提言を公表したことが注目され英国では大いに話題となった。この提言は現在も妥当であり、英国、EU 双方に今後開始される将来協定の交渉の中で参考にしてもらいたいと希望する。

 英国では7月の新首相の就任後、首相自身もアルプス登山など夏休みを取り、英国の新内閣は成立したもののまだ本格的に動き出す体制は整備されていなかった。離脱が課題となったので首相は政府に新たに離脱省そして離脱後の国際経済関係を担当する国際貿易省を創設し、両省の大臣に離脱派の大物を任命していたが、いずれも新たに設立された役所なので職員を政府内から集める作業に追われていて実務に手が回るところまでは来ていなかったのである。私は両省の大臣に就任直後に表敬に訪れたが大臣室は机と椅子があるだけで英国の大臣室特有の歴史的絵画を掲げて厳かな雰囲気を持つような部屋では全くなかった。職員も大臣の秘書官が任命された程度で担当局長の任命はまだこれからという様子であった。英国では首相が新任されると役所の編成替えが行われることがあり、そのために法律を修正する必要はない。その後私が学ぶことになる英国首相の権限の強大さの一つであるが、実際に機能する役所を創設することは容易なことではない。ことほど左様に英国国民は離脱を選択したが、それを実現する準備は遅々として進んでいなかったのであり、そこに日本政府の提言が彼らからすれば突如として出現したことは全くの想定外だったと思う。それでも英国は紳士の国であり日本政府の提言は真剣に検討するとの外交辞令をもって受け取り、EUのそれは英国に検討してもらうことだと一蹴した対応とは異なっていた。もっともEUにしてみれば離脱は英国が言い出したことでありEUは英国の離脱を求めていないのでEUの反応は当然のものだったと思う。この出発点からの英EUの根本的な態度の違いはその後の交渉の困難さを示すものであった。通常の交渉は始める前に交渉の開始につき合意をするものであるが、リスボン条約50条の規定はEUを離脱する加盟国は離脱通告をEUに通報することで離脱交渉が開始されるが、交渉が妥結しない場合には通報受理後二年後に離脱が成立するという自動離脱条項であり離脱交渉が困難であるとの認識が欠如しているのである。50条を考案したのは英国人であり、当時のシラク仏大統領に加盟手続きがあるのに離脱手続きがないのは条約として片手落ちであると述べたところ、シラク大統領はそれでは加盟国が離脱できないような離脱規定を設けろと指示したとの逸話がある。それにもかかわらず自動離脱(離脱期限は合意により延長可能)規定になったのは謎であるが、筆者の想像では離脱による困難を理解する加盟国は離脱を求めるはずがないとの想定だったのではないだろうか。英国も欧州統一市場への加盟を申請したときに仏の反対により拒否されたが再び申請してようやく加盟が認められたぐらいEU加盟は英国にとり実現せねばならない課題であったのでよもや英国が離脱するなど英国人は考えなかったのだろう。

 いずれにせよ英国のEU離脱作業が本格化するにはまだ時間が必要だった。

4.EUとの離脱交渉

(1)離脱通告まで

 残留派であったテレサ・メイ首相は保守党内の離脱支持陣営からEU離脱を真剣に進める意思に欠けているとの疑念を持って見られていた。メイ首相は英国にとり重要な課題は緊縮財政を続けてきた結果の社会的弱者へのしわ寄せ、具体的には医療を含む社会保障体制の弱体化、治安面の予算削減による犯罪の増加、若年層への配慮が不十分なための若手労働層の不満の鬱積、ロンドンと地方の格差の拡大などそれまで10年近く続いてきた保守党政治の負の側面に対応していじめの政党とも揶揄された保守党をすべての国民の福祉を増進する国民党に衣替えすることを内閣の主要課題と位置付けた。テレサ・メイは牧師の娘でありオックスフォードには進学したが公立校の出身であり前任のイートン、オックスフォードのエリートコースを歩んだキャメロンとは生まれも育ちも全く異なっており、自分が首相に就任したからには保守党を国民政党に変貌させてより包摂的な政治を実現しようとしたのである。その推進役はメイの内務大臣時代からの腹心である二人の首席補佐官であった。彼らは議員ではないが首相の信任の下、首相官邸で政策を立案し政府にその実現を指示するのである。彼らもテレサ・メイが首相になった以上、長年の目標である保守党の国民党への脱皮を推進しようとしたのである。

 ところが内閣ではEU離脱の実現を唯一最大の課題とする離脱派閣僚が一刻も早く離脱を実現すべしと主張し、保守党の離脱派も早急な離脱の実現こそが国民の要求に応える民主主義の要請であると内閣に強硬に要求した。

 首相としても離脱を無為に遅らせることを意図していたとは思えない。しかし経済界や残留派からは離脱の経済的な悪影響を考えれば離脱に進む前に十分な検討が必要である、また国民投票は法律によって実施されたがその結果には法的拘束力がなく議会で離脱について慎重に審議すべきであるとの声もあり首相は準備が整ったところで離脱通告を行いEUとの交渉に入ろうとしていたものと思う。もちろん交渉開始前に交渉の大筋の感触を得るべく首相はEUの主要国である独仏などの首脳と会談を重ねていたがEUは交渉はEUが加盟国の総意を得て行うもので加盟国との個別の接触で交渉方針は影響を受けないと言い続けていた。テレサ・メイ首相が2017年3月29日にEU宛に通告した離脱通知は国内の圧力への回答であり、準備が万端整ったからでないのは明白であった。

(2)EUとの交渉

 通告後英国政府は交渉担当閣僚にデービッド・デービス離脱相を指名し、EUは既に2016年7月に英国の離脱担当委員に任命されていた仏人のミシェル・バルニエを指名した。デービス大臣は6月にブラッセルを訪問して交渉を開始したが論点が多岐にわたり交渉が直ちに結果を出すことにはならなかった。2017年8月に開始された交渉が離脱協定に至るのは2018年の11月だった。交渉当初に英EU間でまずは離脱を実現する協定の成立、その後に英国とEUの将来関係を規定する条約交渉を行う工程が合意され、離脱協定が成立してから将来協定が成立する期間として2年間が想定され、その間は実施期間あるいは移行期間として英EUの関係は英国があたかもEU加盟国であり続ける状態を維持することに合意されている。もちろん離脱協定が発効しているので暫定期間中は英国はEU規則を尊重する義務とEU加盟国としての権利は維持するが新たなEU規則をEUが制定する場合にはその過程に参加できないし、欧州議会の英国選出議員は離脱成立とともに退場することになる。また経済的に最も重要な将来の英EU関係については離脱後の交渉にゆだねられたが、その大筋については法的拘束力のない政治宣言にまとめられた文書が離脱協定と同時に英政府とEU評議会に承認された。EUにおいてはこれら文書が欧州議会で承認されEU側の発効要件は整った。英側は英国議会の承認を必要とするためその作業に取り掛かった。

(3)英国政府と議会のせめぎ合い

 上記交渉中の2017年6月に保守党議席の拡大を目指してテレサ・メイ首相は総選挙を挙行した。事前の世論調査と異なり保守党は第一党の地位は維持しつつも議席を減らしたためアイルランドのプロテスタントの地方政党であるDUPとの連立を成立させて過半数を達成して引き続き首相を務めた。英国には成文憲法はなく慣行により政府機関の役割分担が行われているが、同じ議会制民主主義とされる英国と日本では行政府と立法府の関係は大きく異なる。英国首相は多数党の党首が元首(女王)により任命され内閣を主宰するが議会における首相指名はない。英国首相は議会の会期や審議日程を決定することが慣行であり、通常議会は審議日程などを自らは決定しない。多数党の党首は国民が選出した国民の代表であり議会は首相の下で立法や予算を審議するものの過半数を制している党の党首である首相の意向がすべてに優先する。もちろん審議過程や週一回の党首討論などでは丁々発止の議論が行われるが動議や法案は多数党の意向が通るのが当然とされており、党員は党首の決定する党の方針に従って投票することが予定されている。首相の政策策定は首相が側近と協議しながら行うが、側近は閣僚である議員である場合も議席を有さない補佐官である場合もある。すなわち党として政策を議論し党の方針を決定する制度はなく、あるとすれば年一回の党大会おいて採択される党の方針決定がおおよその公式な党の政策綱領であり、それ以上に党が日々の行政に関与することはない。政治と事務方の役割分担も明確であり、官僚は政治活動を禁じられる上に行政運用にあたって議員と接触することも原則禁じられており、行政府を代表して議員と接触する任務は各省に配属されている議会担当の政務次官の役割である。法案や予算について与党はもちろん必要に応じて野党にも根回しをする日本の官僚と英国の官僚の仕事ぶりには大きな違いがある。日本の政党では自民党をはじめ行政に関する政策決定を審議する政策調整会議(政調)が置かれ、役所別に担当部会が設置されている。部会が了承した法案などは政調会に上がり、そこで承認されれば総務会に上がって承認されれば党としてその政策について了承したことになり、その法案については党員は賛成することが党議拘束である。この過程を丁寧に実施することにより日本の行政府は与党の議員と常日頃から接触することになるが、英国ではそのような接触は場合によっては越権行為として糾弾されかねないのである。それでは英国の内閣を構成する大臣やその指揮下にある副大臣や政務官は議員と接触して根回しを行うかと言えば日本流の根回しとはとても言えない程度の情報共有しか日常的には行われていない。もっとも各党も同じ党の議員同士で政策を議論しないのではない。下院では定期的に重要課題や議員の関心課題につき原則内閣の政務を呼んで議会で党の会議を開催している。私は大使としては例外的にそのような党の会合に呼ばれ自由貿易協定について説明を求められた。私の場合も内閣の政務の場合も基本的には報告後に退席し、議員同士で報告内容について自由討議をするようである。その会合で政府を糾弾するようなことは想定されていないようだ。したがって英国ではフロントベンチとバックベンチと言う、政府に入っている議員と役職のない議員の間では期待される役割に大きな違いがありバックベンチャーは政府に対して与党議員であったとしても自由に議論を挑むのである。テレサ・メイは首相を退いた後も議席を維持しており、久しぶりにバックベンチャーとして議会で自由に発言することを楽しみにしていると述べたほどである。

 以上要するに議会制民主主義と言っても日英の間には大きな違いがあり、日本の常識で英国政治を議論するのは危険なのである。最も大きな違いは英国における首相が絶対的な権力を持っていることである。ただしこのような強力な首相権限が機能するのは与党が過半数を制している場合であり少数与党となれば議会は政府提案を承認しなくなり政府の機能が麻痺するのである。これをハングパーリアメント(宙づりの議会)と呼ぶ。

 さて以上を基礎知識としてテレサ・メイ内閣がEUとの間で合意した離脱協定の審議について振り返ってみたい。テレサ・メイ内閣は挙党体制で組織されたがそれはとりもなおさず、離脱派と残留派の呉越同舟内閣でもあった。そのため離脱問題についてはまずは内閣の合意を形成することが課題であった。首相の権限から見れば閣僚が首相の指示に反抗することは想定されない。しかしテレサ・メイ内閣では離脱問題を巡り閣僚の異論が相次ぎ、閣僚の辞任が続いた。離脱大臣は交渉責任者であるが離脱合意に抗議して辞任するなど二人が辞任した。外相を務めたボリス・ジョンソンも合意に反対して辞任した。テレサ・メイが総選挙に出たのはまさにこのような事態を回避するために権力を強化しようとしたのであるが、総選挙で議席を減らしたためにテレサ・メイは求心力を失い内閣提案が保守党員の造反により否決される事態となったのである。

 2018年11月に合意された離脱協定は2019年1月15日に議会に提出されたが432対202で否決された。北アイルランドの扱いが問題にされたためメイはEU首脳と会談し北アイルランドの例外的な扱いはあくまでも暫定的な措置であることを確認し、3月12日に再度離脱協定を議会に提出したが391対242で否決された。その後メイは改めてEU首脳と協議の上3度目の議会承認を求めたが344対286でまたもや否決された。このため英国はEU離脱を実現できず5月に行われた欧州議会選挙は英国でも行われた。事ここに至り6月7日にテレサ・メイ首相は辞意を表明し、保守党の党首選が開始されボリス・ジョンソン首相が実現したのである。

5.再度の総選挙とボリス・ジョンソンの大勝利

 党首選に勝利したジョンソンは党首選中に英国は延長された結果期限となっていた10月31日にEUを離脱すると断言し、そのためには溝に落ちて死んでもかまわないと宣言した。しかしながら内閣には離脱自体には反対しないが円滑で経済的な損失を最小限におさえる秩序ある離脱を実現すべきであり混乱を招く合意なき離脱には反対する勢力がいてジョンソン首相の強硬策に抵抗した。ジョンソン首相はこれらの閣僚を更迭して保守党からも追放した。その結果保守党は少数与党となり政府提案はすべて議会で否決された。ジョンソン首相は期限までにEU離脱を実現できず総選挙を提案した(キャメロン時代に英国議会は議員任期法を制定し下院議員は任期5年を全うすることが原則とされ、首相が解散を提案した場合にも下院で三分二の多数の支持がなければ解散できないようになっている)が否決された。この間ジョンソン首相は議会の離脱協定承認の主たる障害とされた北アイルランドの扱いにつきEUと再交渉して将来協定が発効するまでの措置としてEU規則が英国全体に適用され続けるとの規定を北アイルランドのみに限定する修正に合意した。この案は元々EUが提案したものであったがそれではアイルランド海に国境を引くことに等しいとして英国全体に適用するようにテレサ・メイが主張したものであったのでEUとしては元々のEU案に戻るだけであるので修正提案に応じることは困難ではなかった。この修正離脱協定を議会承認に諮る前に総選挙で国民の意向を聞くことをジョンソン首相は提案しようやく総選挙となった。

 ジョンソン首相は選挙で大勝利を収め安定多数を手に入れた。二大政党制の英国では公認は党が行い選挙区を割り振るがジョンソン党首はこの権限を最大限活用して自分に忠誠を誓う者だけを公認し100名以上の新人議員を当選させた。選挙の争点は離脱問題でありジョンソン首相は離脱を実現すると宣言し、離脱がいつまでも実現しないことに苛立ちを覚えていた英国民の支持を獲得した。もっとも最大の勝因は労働党の選挙戦略の失敗である。労働党は元来EU離脱に反対であるがコービン党首は欧州懐疑派であり明確に離脱への反対を表明することがなかった。労働党は再度の国民投票の実施を公約したが離脱議論に辟易していた英国民の支持を得ることはなかった。EU残留を主張した自由民主党が惨敗を喫したことは英国民の感情を反映していると思われる。ただし議席数だけで英国民の選択を理解するのは危険である。保守党が議席を減らした前回の選挙と比べて今回の得票率は1.2パーセント増にとどまっておりこれが67議席増につながったのは小選挙区制の結果である。大勝した保守党の得票率は43.6パーセントであり650議席の365議席を獲得した結果は小選挙区制のおかげである。なお、10議席減らして11議席になった自民党は得票率でみれば4.2パーセント増の11.5パーセントなのである。スコットランド国民党も0.8パーセント増の合計3.9パーセントの得票率で48議席を獲得しており小選挙区制に地方政党が加わると得票数と議席数がさらに乖離する結果となる。いずれにせよ保守党は議席の大幅増のみならず、この三年間機能不全に陥った英国議会をジョンソン党首に忠誠を誓った議員で埋めたのでジョンソン首相は今後5年間議会を手中に収めたと言って過言ではない。結局英国民は決まらない政治を忌避してとにかく決定する政治を選んだのである。

 ジョンソン首相は約束通り2020年1月31日に英国のEU離脱を実現した。今後は最大の課題である英国とEUの将来協定交渉であるがジョンソン首相は離脱協定の交渉期限である2020年12月31日には交渉が妥結していなくても完全離脱すると宣言しており、合意なき離脱を回避するために離脱協定を成立させたのであるがあと11か月で再び合意なき離脱を迎えるおそれがあるのである。ジョンソン首相は離脱法において期限延長を排除しており市場は楽観していない。3月から英EU交渉が開始するがEU側の承認手続きを考えれば12月末の協定発効を実現するには協定署名は10月末までには実現する必要があろう。相当に野心的な目標であると言わざるを得ない。ジョンソン首相がどの程度柔軟に対応するかが注目される。

6.終わりに。何故テレサ・メイは失脚しボリス・ジョンソンは大勝利を手に入れたか。

 テレサ・メイが合意した離脱協定とボリス・ジョンソンが修正合意したものは北アイルランドの扱いを除きほとんど違わない。ジョンソン合意は端的に言えば北アイルランドを突き放している。北アイルランド自身がこの三年間地方政府も成立させず、テレサ・メイ内閣の連立仲間であったDUP(北アイルランドのプロテスタント政党で英国との連合を最優先する党)はテレサ・メイ離脱合意に一貫して反対していたことなどイングランドから見ればこれ以上北アイルランドの反対によって離脱が実現しないことは耐えられず、北アイルランドが自身の去就を最終的に決定する規定を設定することにより離脱への障害を排除したものと見られる。北アイルランドに対してはテレサ・メイ合意の方が優しいと考えられるがこれはテレサ・メイが組閣にあたって挙党一致内閣を目指して呉越同舟も辞さなかった方針とも共通している。この方針はボリス・ジョンソンが自分に反対する者は排除することをためわらず引き継いだ内閣から主要閣僚を更迭し完全に内閣を掌握した手法と対照的である。ジョンソン党首は更迭した閣僚を公認することもせず保守党政権で長く閣僚を務めた有力者を一掃した。EUへの対応で一致できなかった保守党が離脱派により統一されたのは皮肉な結果だろうか。英国は代表民主制を伝統として機能する政府を志向する。この意向に応えるのはジョンソン流なのだろうか。保守党が受け入れる指導者は結局支配階級出身者でなければならないのだろうか。テレサ・メイが退陣したときにメディアには英国はイートン・オックスフォードのエリート支配に戻るのかと問いかけたものもあったが保守党に限ってみればやはり安心して党を任せられるのは伝統的支配層の出身者なのだろうか。英国各方面で深刻化している格差はテレサ・メイが目指した国民全体に奉仕する政党を必要としていると思われるがEU離脱問題と同時に英国の将来を切り開く政治がこれから展開されるのだろうか。

 英国を知らずに赴任してやはり英国を知らずに離任し、私はこれからも英国を見ていかねばならないだろう。日本にとり強力な英国は必要な国だから。