スウェーデンとすべての女性が輝く社会【スカンジナビアの国々】


駐スウェーデン大使 廣木 重之

1.はじめに

スウェーデンについてよく聞かれることは、どうして充実した福祉政策と高い経済成長の両立が可能なのかという質問です。国民性や進歩的な産業政策等いろいろある理由の中で大事な鍵の一つは女性の積極的な社会進出にあると思う。

平成24年(2012年)12月に発足した第二次安倍内閣は、すべての女性が輝く社会を我が国の成長戦略の中核に位置づけた。女性の活躍を促進し、ライフステージに応じて女性を支援しようというものである。仕事と育児がより両立しやすくなる社会をつくることは我が国にとって大事な課題であろう。

言うまでもなく、それぞれの国の成り立ちはそれぞれの国民が決めることであり、現在のスウェーデンの姿も過去のスウェーデン国民の選択の結果である。今でこそ男女平等社会とされるスウェーデンであるが、50~60年前のスウェーデン女性は現在と大きく異なる状況に直面していた。例えば、昭和43年(1968年)に創設されたグルップ・アートンという女性運動家の集まりが求めていたのは、幼稚園の増設、同一労働同一賃金等我が国でも最近よく話題となっている課題であった。また、平成30年(2018年)の我が国就業率は男性69.3%、女性51.3%で17ポイントの差があるが、昭和35年(1970年)のスウェーデンでも就業率は男性89.0%、女性60.2%(注)で29ポイントとかなりの開きがあった(現在は男性84.6%、女性81.2%)。女性閣僚の数も昭和41年(1966年)まではスウェーデンでも1人いるかいないかにすぎなかった。平成31年(2019年)1月に発足した第二次ロヴェーン内閣では閣僚23人中12人が女性である。また、スウェーデンの女性国会議員の比率についても昭和36年(1961年)までは10%を超えることはなかった。因みに現在の我が国衆議院での女性議員の比率は10.2%で、スウェーデン(一院制)では47.3%である。

2.ライフステージにおけるスウェーデンの社会制度

このように大きく変貌を遂げたスウェーデン社会であるが、スウェーデンにおけるライフステージに応じた社会制度を概観すると次の通りである。

  • 母親は産前7週間、産後7週間の休暇を取得できる。もう一方の親(通常父親)も10日間の休暇が可能である。出産費は原則無料である。
  • 育児休暇は子1人に対し16ヶ月(480日)で、うち3ヶ月(90日)はパパ・ママ固有のものでパパ・ママそれぞれが取らないと権利がなくなる。13ヶ月は従前所得の8割が所得補償され、残りの3ヶ月は1日あたり約2千円が支払われる。13ヶ月は子供が4歳になるまで、残りの3ヶ月は12歳になるまではどの時期に取得しても構わない。
  • 待機児童は原則おらず平成8年(1996年)に幼保一元化が実現している。保育所への入所を希望する1歳以上の子供にこれを提供する義務を各コミュン(市町村)が負っている。
  • 小学校から大学まで学費は無料。生活費については57歳未満の大学生は政府から奨学金を受け取ることができる(奨学金の3分の1は無償、3分の2はローン)。
  • 医療面では外来受診の自己負担は年約1万3千円が上限で、18歳未満と85歳以上は無料。傷病による休暇中は従前所得の8割が補償される。

よく言われていることであるが、当然これを賄うためには相応の税金と社会保険料が必要となる。スウェーデンの現状を( )内の我が国の数字と比べると以下の通りである(いずれも概数)。

・付加価値税――25%(10%)、食料品12%(8%)、新聞等6%(8%)

・国の所得税――約580万円を超えた場合超えた部分に20%(5~40%の累進課税)

・地方の所得税――32.2%(10%)

・法人税――21.4%(29.7%)

・社会保険料――事業主負担31.4%(20%)、本人負担7%(20%)

以上を国民負担率という形で示すとスウェーデンは58.8%(OECD統計2016年)、日本は42.8%(内閣府統計2016年度)である。

3.歴史

スウェーデンの女性の活躍の歴史をひも解くとバイキングの時代にさかのぼることができる。ビルカと呼ばれる当時の遺跡で発見された遺骨は楯・剣・槍等多くの武器の副葬品や2頭の馬とともに発掘され、長らくバイキングの一団を率いる有力な男性と思われていたが、平成29年(2017年)のDNA鑑定の結果その遺骨は女性であることが判明した。もちろん当時の女性が男性と同権であったわけではない。

その後の女性の権利の進化・深化の歴史を年表風にまとめると次の通りである。

1350年 マグヌス・エリクソン法により都市の女性は男性と同等の相続。農村では男性の半分を相続。

1571年 スウェーデン教会法で都市では性別に拘わりなく初等教育が提供される。農村では1686年の教会法から女性にも初等教育が提供されることとなった。

1718年 税金を納めている都市のギルドの女性メンバーに参政権が与えられえた。

1842年 義務教育が男性及び女性に施行された。

1861年 初の女性専門公的高等教育機関が創設された。

1870年 初めて女性に大学入学が許可された。

1921年 初めて全ての女性に参政権が与えられた。

1923年 牧師と軍人以外の全ての職が女性に開放された。

1971年 配偶者分離課税方式が導入された。

1980年 雇用機会均等法が成立した。

1989年 軍の全てのポストが女性に開放された(なお、スウェーデン教会で女性牧師が認められたのは1958年)。

2018年 同意法が成立した(明確な同意がなければ性犯罪が成立)。

4.課題

そのようなスウェーデンでもまだまだ課題はあり、新聞を賑わすことがある。そのうちの一つとして最近話題となったのはノーベル文学賞を選考しているスウェーデン・アカデミーの在り方である。同アカデミーは1786年に当時のグスタフ3世によって創設されたスウェーデン語の保持・育成等を目的とした由緒ある組織であり、1901年からはノーベル文学賞受賞者の選考機関となっている。メンバーは18名に限られ、終身制である。平成29年(2017年)11月に女性メンバーであるフロステンソン女史の夫が18名の女性に対するセクハラで告発され、同女史が夫を通じて受賞者情報を事前に漏らしていたこと、及び夫と共有の文化施設にアカデミーから助成金を受け取っていたことが問題となった。こうした問題に対する自浄作用が働かないのは同アカデミーの古い体質が原因であるとしてメンバー3名が抗議する意味で辞意を表明した(実際には終身制であるのでメンバーとしての活動を停止する結果となった)。更に混乱の責任をとってメンバーであった事務局長とフロステンソン女史も辞任した。これ以前から活動を停止していたメンバーが2名いたため活動できるメンバーが11名となってしまった。このため平成30年(2018年)5月に同年の文学賞見送りが発表されるとともに、現国王がアカデミー憲章を改定し、メンバーは申し出により退会可能になるとともに、2年以上活動していないメンバーも退会させることが可能となった。この改定にあわせてノーベル賞の選考には外部委員も加わることとなった。こうした一連の改革を通じて女性メンバーも全体の3分の1を占めるようになった。平成30年(2018年)に発表できなかったノーベル文学賞は1年遅れてポーランド人女性作家のオルガ・トカルチュク女史に与えられることが決まった。今後スウェーデン・アカデミーがしっかりとその機能を果たして世界の優れた文学作品・文学者を見いだし、ノーベル文学賞にふさわしい選考が行われるようになることを心より願っている。(因みにノーベル賞自体について言えば、女性の受章者は1901年の創設以来物理学賞が3人、化学賞が5人、生理学・医学賞が12人、経済学賞(1969年以来)は2人と圧倒的に少ない。文学賞と平和賞はそれぞれ15人と17人であるが、それでも120年の歴史を通じて53人しかおらず、全個人受賞者に占める女性受賞者の割合は5.8%に過ぎない。)

もう一つスウェーデンがとりあげている課題として犯罪被害者保護をあげることができよう。もちろん犯罪被害者は女性に限られないが、暴行や性犯罪、家庭内犯罪等の増加に女性運動が着目し、犯罪被害者対策が進められてきた側面も見逃せない。スウェーデンでは平成6年(1994年)に犯罪被害者庁が設置されている。正当な被害者補償が得られない場合には、犯罪発生時または判決確定時から3年以内に同庁に補償を請求することができる。補償はとりあえず税金から支払われ、その後犯罪被害者庁が加害者に求償を求める。その過程で加害者に資産・財産があるかどうかは個人番号制(昭和22年(1947年)導入)によって容易に判明し、負担能力がある場合には強制執行庁の支援を求めることとなる。また、犯罪被害者庁は、犯罪被害者をカウンセリング等で支援しているNGOの活動を助成する犯罪被害者基金も管理している。同基金は大学等における研究活動も助成している。スウェーデンでは犯罪被害者の研究にも力が入れられている。人質が犯人に協力し同情的態度をとることをストックホルム症候群と呼ぶが、これは昭和53年(1978年)8月に起きたノルマルム広場銀行強盗人質立てこもり事件に由来する。最近では、命の存在が脅かされる事態に直面して強い精神的障害を受けることに対し、人間のサバイバル術に基づく合理性のある反応である等を説明しつつ心理カウンセリングが行われている(もっとも今ではスウェーデンでは多くの銀行支店がキャッシュレスとなって銀行強盗自体がほとんど成立しなくなっている)。

5.終わりに

社会と「種」を混同する考えはないが、チャールズ・ダーウィンの言葉に、“It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.”というのがある。少なくとも社会や組織も様々な変化に対応していくことは必要ではないかと思う。我が国が少しでも「すべての女性が輝く社会」に近づくことを願ってやまない。