日韓新時代と若者の役割
日韓文化交流基金理事長 小野 正昭
「戦後最悪の日韓関係」昨年はこんな見出しが一面を躍った。これまで歴史に関わる問題は主として政治・外交上の問題であったが、ここにきて文化や経済、更に安全保障の領域まで影響を及ぼし始めた。地方自治体間の交流が一部中止され訪日観光客数が激減した。また対韓輸出管理強化に反発し日本製品不買運動が生じた。さらに深刻なことに軍事情報包括保護協定(GSOMIA)延長問題など安全保障面までぎくしゃくし始めた。加えて、日本の外交青書や韓国の国防白書に記載されてきた「基本的価値を共有する」との表現が削除されたことは決定的だ。少なからず朝鮮半島に関わってきたものとして事態の深刻さに心が痛む。
しかし、最悪だからこそ草の根交流の面では一筋の希望の光が見え始めたと感じている。その光の源は日韓の若い世代の交流の現場にある。日韓の有為の若者が日韓関係の現状に憂い何が問題かを真剣に議論し改善策を模索し始めている。日韓の若者が近い将来日韓新時代を形成する原動力となることを切に願っている。
1.行動し始めた若い世代:
在韓大に勤務していた30年前、韓国では民族の誇りと愛国心を養成するため、唯一の正しい歴史、いわゆる反日教育が徹底して行われていた。当時、国史の先生は、日本の事を蔑称(倭奴・ウエノㇺ)で呼び、辛い歴史を感極まった顔で説明し生徒も涙したと言う。生徒の描く日本人像は自ずと「冷酷で乱暴で利己的」なものになる。しかし、ひと度訪日し交流した韓国の学生は「日本人は親切で礼儀正しく温かかった」と驚き、逆に反日を覚悟で訪韓した日本の学生も「韓国人は親日じゃないか」と驚いた。最近の若者の多くは、マスコミの報道と現実を自らの目で確認したいと交流に積極的に参加する。以下は昨年の交流プログラムに参加した学生の感想文の一例である。
東北地方の被災地を訪問した韓国大学生(7月):
「教わった知識やマスコミの情報と現実は大きく違った。だからこそ文化交流が大事だという意見が多いが、個人的には限界があると思っている。なぜかと言えば、韓国の教育には絶対的な反日思想が含まれているし、マスコミの反日報道もひどいからである。このような中でどうすれば改善できようか。」
「謝罪した後の靖国参拝は残念だ。歴史認識の違いになるとヒートアップした。日韓の学生で共通の歴史教科書を作るのも改善策ではないか。」
「外務省で配布された日韓基本条約の原本のコピー版を見ながら日本の言い分を直に聞いていると、日本の言い分もそれなりに理解することができた。」
高校生キャンプに参加した日比谷高校一年生(8月ソウル):
「韓国人の高校生と日韓関係について議論した。難しい話題を日本語で表現することが出来る彼を本当に尊敬する。彼は文在寅政権の政策には賛否両論あり、決して国民の総意ではないと言った。彼とは、両国政府は対抗措置の応酬を止めるべきという点で一致した。一方、歴史問題では大きな溝があった。そもそも教科書で教えていることがまるで異なり、これをベースに話してもお互いまったく通じないのだ。おそらく徴用工にせよ、竹島にせよ両国民が感情的になるのはこうしたことからだろう。彼と出合い、ものすごく刺激を受けた。自己研鑚を重ねなければならない。日本の人口は減少し、GDPもいずれ韓国に抜かれるのではないか。韓国が友好国でもあり良きライバルでもある時代に早くなってほしい。」
「韓国の若者と話そう」で一般市民と交流した韓国女子大生(9月日比谷公園):
「高齢者の方と歴史観や教育につき述べ合う機会を持てた事が一番印象に残った。最悪の日韓関係と言われるが、むしろこの危機の時こそお互いを見つめ合い、偏見や溝を無くす好機だ。日本では反韓感情のむき出しや「ボイコットコリア」もなく韓国文化を楽しんでいる。私たちは本当に自ら好んで「日本製不買運動や日本旅行ボイコット」をしているのだろうか?他人の視線が気になるからと言って、個人の言動が制限されているように感じるのならそれは違うのではないか、と自ら声を上げていきたい。」
以上、交流の現場には現状に憂い真剣に改善策を探ろうとする日韓の若者の姿がある。
特筆すべきは、一年前、訪韓した日本の大学生のグループが「この交流を一度で終わらせたくない。後輩を育てたい。」と「日韓アルムナイの会」を発足させたことだ。これに呼応するように昨年8月に東北の被災地を訪問した韓国の大学生グループが「韓日アルムナイの会」を発足させ、すでに両アルムナイの会の間でスカイプを活用して交流が始まっている。日韓の若者の自発的行動を大いに応援したい。
2.「反日教育」を自己批判する動き
今話題のベストセラー「反日種族主義」の著者の一人である李榮薫氏は12年前、「大韓民国の物語」-韓国の国史教科書を書き換えよ-という憂国の書を出版し、その中で次のように説明している。「韓国の高校の国史教科書(2001年版)には「日本は世界史において比類ないほど徹底的で悪辣な方法でわが民族を抑圧し、収奪した…。戦時期に約650万名の朝鮮人を戦線へ、工場へ、炭鉱へ強制連行し、賃金も与えず、奴隷のように酷使した。その中には朝鮮の乙女たちがおり、日本軍の慰安婦としたが、その数は数十万人に達した…。」しかし、敢えて言いたい。この教科書の内容は事実ではない…。政治化された歴史家により、または歴史化された政治家により、人為的に作られたものである…」と。韓国における教科書がいかに誤ったものかを実証的に毅然と論破している。筆者は読みながら身が引き締まる思いがした。正直、日本の歴史家も多かれ少なかれ政治化され、政治家も歴史化されているのではないか。日本の教科書はどう教えているのか。最新の高校生用教科書日本史新B(山川出版)を見ると「約70万人の朝鮮の人々が朝鮮総督府の行政機関や警察の圧迫の下、日本本土に強制連行され、過酷な条件で危険な作業に従事させられた…。」とある。日本の教科書の記述も李榮薫氏の指摘を改めて検証が必要だろう。尚、「反日種族主義」の共同著者である李宇衍博士らは昨年12月ソウル日本大使館前の慰安婦像付近で銅像撤去と水曜集会中止を求める路上集会を開き暴漢に襲われたりしている。執筆者たちは、韓国人や日本の左翼が、勝手なイデオロギー、贖罪感によって如何に歴史をゆがめてきたかを告発している。「ウソの歴史は国を滅ぼす」と主張する命がけの行動であるがけっして日本統治が正しかったと言っているのではない。日本人、特に若い世代はこれを機に、韓国との歴史を特定の史観に偏ることなく中立公正に学ぶ必要がある。
3.今後の課題-過去史の解釈は歴史家に任せ、政治家は未来を語ってほしい
ソウル時代に親しくした韓国の国会議員がある時「日本の統治がもう少し長く続いていればこんなに悪くはならなかった」と語ったことがある。35年の統治で皇国臣民として日本人化教育が進み、解放時の韓国の青少年はほとんど日本人になりかけていたと言える。敗戦と同時に日本人になりかけていた韓国人は国籍を選択する自由もなく急いで韓国人に戻らなければならなかった。そのためには自分の中の日本人的なものを否定しなくてはならなかったのだ。日本統治時代、韓国人慰安婦も特攻隊員も戦場においては日本人と共に戦ってくれたのだ。そのことに感謝しその恩には報いたいと思う。
二千年の友好の歴史の中で秀吉の文禄慶長の役と日韓併合の時期、合わせて50年間そこそこが韓国にとって最悪であった時期だ。そして戦後の歴史は1965年の正常化により日韓が協力して相互に経済発展し、地域の平和と安全に貢献してきたことは紛れもない事実である。隣国との外交関係が良くなったり悪くなったりするのは当たり前だ。現在は日韓を取り巻く環境は大きく変化している。変化の一つは、近年日韓の国力の差が小さくなってきたことだ。特に韓国のグローバル化の進展と文化の発信力の増大は日本との関係が相対化され、韓国人の対日観がより客観的になる。二つ目の変化はいずれ始まるであろう日朝正常化交渉だ。その中で改めて過去の清算・補償問題が提起される。同時に非核化と拉致問題に一定の解決が図られなければならない。そのためには韓国との協力が不可欠である。筆者はKEDOでの三年に亘る勤務の中で何度も北朝鮮を訪問したが、地方を訪問する度にこの国の核開発やミサイル開発のルーツは日本の統治期の鉱物資源開発にあるなどと思いを馳せながら北の人たちの極貧振りを目の当たりにしてきた。三つ目の変化は国民レベルの交流の進展である。政府同士は喧嘩しても国民同士がいがみ合う必要はない。実際に現在の日韓の若者同士は仲が良い。実は、「韓国人の反日」は戦前の歴史に関してであって「日本人の嫌韓」が韓国全体に対するものと異なる。日韓の若者が交流する機会が増えれば日韓の信頼関係は大いに増進される。相互の学校訪問やホームステイを通じて相手と直に話し、生活し、肌で感じることが信頼への最短距離である。両国の政治家には若者の果たす役割を信頼し、若者に対しもっと未来を語ってほしい。
締めくくりにあたり、30年前に訪日した盧泰愚大統領が史上初めて日本の国会で演説した内容を想起したい。「我々は国家を守ることのできなかった自らを反省するのみであり、過去を振り返って誰かを咎めたり、恨んだりしようとは思いません。…来る世紀には東京を出発した日本の青年が海底トンネルを通過して、ソウルの親友と一緒に北京とモスクワに、パリとロンドンに、大陸を結び世界をひとつに繋ぐ友情旅行を楽しむ時代を共に創造しようではありませんか。」両国の若い世代にはこの演説を読み返し、あまりに大きい現状との落差について議論して欲しいと思う。(令和2年1月6日記)