アイルランドから見た Brexit


前駐アイルランド大使 三好 真理

[はじめに]

 2019年12月の英国総選挙は、ジョンソン首相率いる保守党の大勝に終わった。英国のEU離脱(Brexit)を巡るごたごたに国民が嫌気のさしていたことは間違いないが、予定通り英国が「移行期間」内にEUとの交渉を終え完全離脱を果たせるかどうか、なお予断を許さない状況にある。この間、EU域内で最大の影響を被ると言われているアイルランドが何を考え、どう動いてきたかを振り返ってみたい。

[2016年6月の英国国民投票]

 アイルランドは、800年に亘る英国の統治の後、1973年に英国、デンマークと共に今のEUに加盟して少しずつ豊かになり、1998年のベルファスト合意を経て徐々に英国との間で和解を実現させてきた歴史を有する。赴任した2015年12月当時、アイルランドは、翌年6月23日に控えたEU離脱国民投票を英国以上に心配していた。

 果たして投票翌日、英国国民の投票結果を受け、アイルランドでは朝から閣議で対応策につき協議が行われたが、正午を過ぎても緊急対応策の発表はなかった。当日午後、ダブリンの南約250キロメートルのウォーターフォード郊外のトラモアにあるラフカディオ=ハーン(日本名小泉八雲)記念公園(父親がアイルランド人で母親がギリシャ人のラフカディオ=ハーンは幼少期トラモアにいた叔母の下に預けられ何回かの夏をここで過ごした)一周年行事に呼ばれていた私は、公用車の中でもラジオを付けっ放しにして情報収集に努めた。アイルランド政府の出したとりあえずの結論は、まず自分たちはEUにとどまる、そして離脱交渉にはあくまでもEUの一員として参加する、ということであった。

 交渉の始まる前には外務大臣が他の26カ国のEU外相に接触し、アイルランドの置かれた特別な状況につき説明し、理解を求めた。すなわち、①引き続きアイルランドはオープンかつグローバルな貿易国家であり続けるが、英国との貿易関係の変化はアイルランド経済に大きな影響を及ぼすであろうことを理解してほしい(農業分野では約4割を英国に輸出、またエネルギー面では約8割を英国に依存)、②1998年に締結されたベルファスト合意は、30年以上に及ぶ紛争を終結させた北アイルランド和平プロセスの基盤であり、国連にも登録された国際約束である、20年以上かけて徐々に築き上げたこの和平プロセスの利益を守ることはEU各国と英国双方の利益にかなうものである、③英国との間には、1922年から共通渡航地域(Common Travel Area)制度(英国もアイルランドもシェンゲン協定には加盟していない)があり、これを維持する、の3点である。

[二段階の交渉プロセス]

 欧州連合条約(リスボン条約)第50条に離脱についての規定があり、これに基づき、まず英国が2017年3月29日に欧州理事会に離脱を通告するところからプロセスは始まった。2017年4月29日の欧州理事会では交渉指針が定められたが、この時アイルランドから出席したのは理事会メンバー最長老のエンダ・ケニー首相(当時66歳)だった。ケニー首相は、この理事会直後に、前年の総選挙の責任を負わされる形で辞任し、後任には史上最年少(当時38歳)のレオ・ヴァラッカー首相が就任した。後に、ヴァラッカー首相と40代のサイモン・コーヴニー副首相兼外相とのコンビは、ケニー前首相とフラナガン前外相の60代コンビよりはっきり物を言い過ぎる、英国政府の神経を逆なでしすぎとの批判もあったが、EU各国との連携もとりつつ英国のメディア等からの攻勢にも積極的に応じ、結果的には、英国との交渉中EU内の結束はほぼ保たれることとなった。

 英国のEU離脱交渉は、2017年6月19日の第一ラウンドで双方が合意したとおり、二段階アプローチで進められた。第一段階では、EU・英国双方の市民の権利保障、英国の財政的コミットメントの確定、北アイルランド問題が主要議題となり、第二段階では、EU離脱後の英国とEUの関係についての枠組が議論されることとなった。

 第一段階の大詰めを迎えた2017年12月4日、ダブリンでは、ヴァラッカー首相、コーヴニー副首相兼外相らが、ブラッセルでのユンカー欧州委員会委員長とメイ英首相の会談の行方を受けて記者会見を行うべく、じりじりしながらこれを見守っていた。ところが、急遽北アイルランド民主ユニオニスト党(DUP)党首の横槍が入り、会談は流れた。同年6月の前倒しの総選挙で、メイ首相は過半数を失い、DUPの協力なしには政権運営ができない状況に陥っていたのだ。本国へとって返し説得に努めたメイ首相は8日再度ブラッセル入りし、何とか第一段階の合意にたどり着く。同日付の英EU共同報告書の中で、英国は①ベルファスト合意の堅持、②共通渡航地域の維持、③アイルランド島上での厳しい国境管理の回避を約束した。

 2017年は、日アイルランド外交関係樹立60周年に当たり、大使館では100を超す行事を行ったが、11月には、英国のEU離脱と日EU・EPA(アイルランドにとっては、チェダーチーズをはじめとする乳製品、ウィスキー等の酒類、そして競走馬等の輸出においてメリットがあった)をテーマにセミナーを開催した。また、同年は年間を通じて、アイルランドから外相、農相等4閣僚が相次いで訪日するなど、マーケットの多様化を図ろうというアイルランドのビジネス界や農業関係者の熱い期待が感じられた。

[バックストップ]

 2018年に入ってEUと英国の合意を法的拘束力のあるものとする作業の中でも、北アイルランド問題は障害となり続けた。現在は、英国もアイルランドもEU の単一市場及び関税同盟の一員なので、物品の税関検査は国境でも一切ない。また、人間ばかりか牛や羊もアイルランド島南北の間の国境線を自由に行き来して生活しており、検疫面等ではむしろ全島を一体としてとらえた管理を行っている。一方で、英国がEUから離脱することとなれば、どこかで通関手続きを行わなくてはならない。

 「バックストップ」はこのような状況の中、仮に英国が包括的協定や技術的打開策で現行のような摩擦のない状況を保てない場合、北アイルランドをEUの体系内にとどめておくことを目的とする一種のセーフティーネットとして、EUから提案された。その背景には、ベルファスト合意ができる前の「ハードボーダー」の復活により、アイルランド島の治安が悪化することを何よりも恐れるアイルランド政府の懸念及び国境周辺住民の不安があった。しかし、英国側では、北アイルランドは人口約190万人(英国の総人口は、約6,600万人、ちなみにアイルランド共和国の人口は約480万人)とはいえ、連合王国全体としての一体性を損なうことは受け入れがたかった。そこで数ヶ月に及ぶ行き詰まりの末、メイ首相の内閣は2018年11月に、バックストップを英国全体に広げることで協定案を承諾した。年が明けて2019年1月、英国議会では離脱協定案に対する採決が行われたが、EUとメイ首相の間で合意された案は大差で否決されてしまう。

[2019年3月29日の期限の延期]

 2019年3月、いよいよ離脱期限の迫る中、「合意なき離脱」も射程に入れ、アイルランド議会では、様々な法に一時的に穴ができることに備えての立法が行われた。アイルランド旅券の申請数は、2017年の英国の離脱通告以降急速に伸びた(祖父母のいずれかがアイルランド生まれであれば容易にアイルランド旅券が入手できることから、EU内の自由な移動に慣れた英国人の中にはアイルランド旅券をとっておこうと考える人々が出てきた)。「合意なき離脱」の場合の在留邦人(約2,600人)保護を念頭に、農業省、交通省、司法省等の高官とも意見交換を重ねたが、未曾有の事態に、彼らも備えはするが完璧ではあり得ないことを認めていた。

 3月下旬には、ダブリン港へ準備状況の視察に出かけた。英国から日に8便フェリーが往復する港では、これまで、仏やベネルクスからドーヴァー海峡経由で食糧や様々な生活物資を載せて英国内を走った大型トラックが、フェリーでダブリン到着後検査なしに町中へ走り出ていけた。が、仮に税関が必要となったときのために約3,000万ユーロを投資して、港内に簡易検問所のような(競馬のスタート台のような作り)インフラの設置を行っている最中だった。十分な待機場もなく、どれ位の時間のロスになるかもわからない。港の責任者は丁寧に説明してくれ、工事現場も案内してくれた。そして、「インフラが不要となればそれに越したことはないですよ。その場合は、パブにでも出かけるかな。」とやや疲れた表情で述べた。

[再度の期限延長]                                                        

 期限直前にメイ首相が離脱の延期を求めたことから、3月末の離脱は回避され、いったんは4月12日に、さらには10月31日に離脱の期限は延期された。この頃のアイルランド国内の雰囲気は、「合意なき離脱」が回避された喜びよりも、いつになったら結論が出るのかという焦燥感・挫折感が大きかったように思う。3月末に備えての医薬品や食料品等の緊急備蓄で空港周辺の倉庫は満杯になったが、10月末はクリスマスの準備もあって、倉庫は足りなくなるのではないか、との悲鳴も聞かれた。7月にはメイ首相からジョンソン首相に交替となり、10月末の期限はさらに2020年1月31日まで延期され、英国は総選挙に突入した。

 [今後の見通し]

 日本よりの来訪者からは、よく「アイルランドはBrexitで裨益するのではないか?」という質問を受けた。確かに英国がEUから抜ければ、EU内ではアイルランドがほぼ唯一の英語圏、コモンローの国となるし、もともと法人税も12.5%とEU内で二番目に低く、外国資本の導入に熱心である。しかし蓋を開けてみると、アイルランドが立候補したEUの2つの機関のロンドンからの移転は、いずれも上手くいかなかった。2017年11月の選挙で、欧州医薬品庁(EMA)はアムステルダムに、また欧州銀行庁(EBA)はパリに持っていかれてしまった。また、日本の金融業も、フランクフルトやアムステルダムを志向し、ダブリンヘは増員こそあれ、本格的な移転はなかった。2000年代に入ってからの「ケルトの虎」と呼ばれる好景気時代の勢いが、リーマンショックで一時冷え込んだものの、ここへ来て戻ってきており、オフィスや住宅不足が妨げになったものと思われる。短期的にはアイルランドにとって、打撃の方が遙かに大きかろう。

 中長期的には、アイルランドと米国のつながり(1845年のジャガイモ大飢饉以来多くの移民が米国に移り住んでおり、アイルランド系米国人は3,000万人を超すとも言われている。アイルランドへの進出米企業も日系企業の約10倍の800社ある。)や、航空機リース業やIT企業に多国籍の移民が入ってきていること等を考慮すると、英語とネットワークを生かしての国の発展は大いにあり得るところだ。

 EU離脱後の北アイルランドとアイルランドの統一の可能性については、現時点ではアイルランド有識者の間には慎重な意見が強い。2016年の離脱を巡る国民投票では、北アイルランドの住民の約56%が残留を支持した。ベルファスト合意では、英・アイルランド両国政府は、北アイルランドの地位につき、住民投票(border poll)の結果を受け入れることになっており、シンフェイン党は早く住民投票を実施すべし、としている。しかし昨今の世界情勢を見れば、僅差で統一が支持されても国を二分することのリスクは大きい。ここはじっくり時間をかけて気運を醸成していくとの思惑が見え隠れする。

 そして、何よりも重要なのは今後の英国とアイルランドの関係である。地理的にも歴史的にも人的にもつながりの深い両国は、英国がEUを離脱しようとも可能な限り緊密な関係を築くべく努力し続けることとなろう。

(2020年1月10日脱稿。本稿における見解は筆者の個人的なものです。)