当方が在住しているヒューストンは,広域で見ると人口600万人近い近代的な大都市で,しかも自称ながら全米でもっとも多様性に富む街です。人種構成からしても白人が3.5割,ヒスパニックが3割,黒人が2割,アジア人が1.5割などなど。したがっていわゆる古き良きテキサス,伝統的なテキサスという面影は普段の生活ではあまり感じられず,むしろそういうものはテキサス西部の街により多く残されているように思います。そういった想いで,そしてドロンパ的なもの(?)を探しにWild Westに旅した思い出を以下に3題,つらつら書き連ねさせていただきます。
1.「一つ星」をかかげたテキサス革命激戦地:サンアントニオ
ヒューストンと西部国境の町エルパソを結ぶ州際高速道路I-10をひたすら西進して3時間半,ヒスパニック文化の趣が色濃い,サンアントニオ市に到着します。それもそのはずでこの町の人口のうち約6割がヒスパニック系で白人が約3割。街の中では普通にスペイン語が飛び交っております。当方が2018年に最初にこの街に着任表敬で訪れて市長さんに面談した際,市長さんからはちょうどその年は市の創設300周年記念の盛大なお祭りを挙行中であり,良い時分においでなさった,と言われました。米国の都市が創設300周年なんてなんのこったか,とその時は思いました。しかし後からそれはスペイン人入植のことだと知りました。
テキサス革命の激戦地で知られるアラモの砦は,もともとはそのスペイン植民地時代の伝道所として作られました。テキサス革命のひとつのハイライトとなった1936年アラモの戦いは,ジョン・ウェインの映画などでごらんになった方もおられるかと。「勝利か,または死を」と少数部隊で砦にこもり,メキシコ軍と激闘のうえ玉砕したトラビス中佐やデイビー・クロケットの勇敢な犠牲的精神はテキサス人の誇りとなっています。またその頃から掲げていた「一つ星」の州旗がそのまま,現在の州旗となっています。
晩秋の感謝祭週間に訪れたアラモ砦は美しい紅葉に彩られ,テキサスそして全米からの観光客で賑わっていました。博物館には戦闘がおこなわれた当時の遺品や軍備品などが良い保存状態で展示されています。多くの観光客にまじえてひときわ目をひいたのは,制服姿の多くの若い軍人さんたち。ほとんどは家族と一緒にまじめに展示や建物を見学しています。そのうちの一人に話を聞くと,どうやら軍に入隊後の最初のまとまったお休みに家族をサンアントニオによんでこのアラモ砦を見るのが一つの伝統になっている由。テキサス西部には多くの米軍基地が配備されています。そこの新兵諸君にテキサス革命の精神をぜひ学んでほしい,ということかもしれません。