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第68回 日本語と漢語・英語

元駐タイ大使 恩田 宗

 源氏物語に源氏の友人達が女性の品定めをする場面がある。ゆっくり発音しなければ舌がもつれてしまうような言葉で会話している。あの時代の若者達は実際にこんなにおっとりとした話し方をしていたのかと専門家に尋ねると「源氏物語は極めて洗練された美文で書かれていて人々が現実にあんな風に話していたとは思えない。第一漢語がほとんど出てこない」という。7世紀後半から8世紀前半にかけて律令国家建設のため唐風化が性急に推進され識字層は漢文にかなり熟達していたらしい。平安朝になると平仮名が成立し国風化の揺れ戻しがあり文才ある女性達が平仮名で文学作品をものするなど活躍したが男性知識人の間での漢文の優位は変わらなかった。日記は漢文で書き会話には漢語が頻繁に使われた筈だというのである。貴族階級では女性も教養として漢籍の知識は持っていた。白楽天や菅原道真の詩と紀貫之や古今集の歌など和漢の秀句名歌のアンソロジー「和漢朗詠集」が好まれ朗詠された。和漢2つの文学作品がともに等しく愛されていたのである。

 言語文化における和漢の併存・習合の状態は先の大戦を境に大きく変わった。学校でも漢文系の古典の読み方はあまり教えなくなった。英語の授業を増やす必要に迫られたからである。漢文は同じ外来のものであり英語に譲る形での削減は仕方がないと考えたのだと思う。

 しかし日本語のルーツは大きく言えば中国語であって和は漢と共存する以外にないと主張する学者がいる。「日本語とはどういう言語か」の著者(石川九楊)で「漢語」という先進的言語に出会う前に「倭語」が成立していたとは考えられないという。列島で話されていた言葉が漢字に当てはめられ「漢語」に包み込まれ引き上げられるようにして整えられてきたのであり日本語として確立したのは平安中期だとする。書き言葉に限ればそう言えるのかもしれない。いずれにせよ和漢の関係は英語との関係とは質的に違う。漢字の使用が和漢共通の単語をもたらし漢文訓読様式が日本語文体の基本形の一つとなっている。

 これからは英語の国際的共通語としての地位が確立してゆく。日本人も子供の時か英語に馴染むようになる。日本語もそれに応じて変わるだろう。村上春樹は英語を意識して書くと言われておりその文体は英語によく馴染むらしい。

 朝日新聞の日曜紙グローブにこんな記事があった(横書き、英語に付けられた訳語は省略)。「米国の巨大ハイテク企業は・・米国以外にとってfrightfulな存在だ・・・米国のhegemonyを強化するからだ」と。カタカナ語の増加には慣れてきたが生の英単語を日本語文に混ぜることにはまだ違和感を覚える。しかし将来会話はこんな風に行われるようになるのかもしれない。問題はそれをアルファベットのまま書き言葉にするのかである。横書きが標準となりアルファベットに対する違和感がなくなれば書き言葉としても定着するかもしれない。