第67回 外国語の習得とアイデンティティー

元駐タイ大使 恩田 宗

 外国語に上達するにはその言葉を話す現地社会に溶け込みその文化を直接学ぶのが一番である。ただ異なった文化に馴染み染まるとアイデンティティーの問題に直面することになる。

 在米作家の冷泉彰彦は日本に留学し日本語に上達した米国人女性の次のような例をあげている。彼女は日本で会社勤めをするうちに自分の中の女性を意識するようになり万事控え目にして男性を立てるスタイルが身に付いてしまった。日本語は相手との関係を考えつつ話さなければならず人間関係に敏感になるのである。そのため米国に帰省した際には以前のように人と対等に対応できなかったという。彼女は「自分が自分でなくなりつつある」と感じ日本の会社を辞め米国に戻り初めて自分を取り戻すことができたらしい。

 ハワイ出身の高見山は読売新聞の「時代の証言者」でこう話している。相撲の世界では変だと思う事もやるしかなかった、鼻や耳という言葉も兄弟子に鼻や耳をイヤというほど捻られて覚えた、辛抱と努力と涙の日々だったがそうして感謝と義理人情を教わった、一番嬉しかったのは曙を横綱に育て日本に恩返しできたことである、と。彼は貴男は日本人かアメリカ人かと聞かれるとこまると言っているが日本人になっている。 

 米陸軍日本語学校で日本語の特訓を受け戦後は日本占領業務に携わったH・パッシンは多言語に堪能な人類学者であるが外国語を学ぶということは「自我を大きく変貌させる複雑な過程」だと書いている。「日本語を話すたびに自分はこんなにも礼儀正しい人間になれるものかと」驚き「フランス語を話すと・・頭脳明晰、論争好きで・・口先ばかりの逆説的」人間になった様な気がするとも書いている。彼が前記の米国人女性や高見山と違うのは「人格も身振りも動作もそして頭脳構造の枠組までも」使う言葉に合わせ自在に変換できるということである。そんな芸当は誰にでも出来ることではないが日本人が外国語を真にそれらしく話すには少なくともその時は日本人のままでいては駄目ということである。 

 異文化に順応したからといって必ずしも元のアイデンティティーが失われる訳ではない。欧州生活の長い内田光子はシューマンを弾く時は自然にドイツ語で拍子を数えているらしいが「音楽的にどうかという話は別として日本人のアイデンティティーは今でも強く感じている」と述べている。

 グローバル化時代となり世界の多くの人が外国語の習得に努力している。ある統計によれば世界の七割以上の人が何らかの形で二カ国語を話すという。日本でも小学校から英語を教えるようになった。外国語を習うことはその言語が生んだ文化を理解することに通じる。アイデンティティーが問題になるほど上達する必要はないが外国人との交流がより自由にできるようになって欲しい。