4. サブサハラ3位の経済大国
オリンピックと言えば、国を挙げてのスポーツ振興に力を入れるというのが近年の世界的な傾向だが、アンゴラにはそれができない厳しい経済事情がある。
アンゴラは16世紀以降ポルトガル統治下にあり、1975年に独立したが、独立運動を主導した社会主義政党(MPLA)と反政府政党(UNITA)による内戦が2002年まで続いた。植民地時代はコーヒー、綿花、サイザルなど農産物の一大輸出国だったが、その間もたらされた繁栄はこの27年間の内戦の間にほぼ消失し国土は荒廃した。その間70年代に開発が本格化した石油のみが政府の収入源だったが、その多くは軍事費に回されることになる。
00年以降石油ブームに乗り急成長(04-08年平均17.3%)を遂げサブサハラ第3の経済力を有するに至ったが、石油一辺倒の経済(外貨収入の95%以上を占める)のため、14年以降石油価格の下落により経済が低迷している。ダイヤモンド、鉱物資源、土地・水資源に恵まれ農業、漁業、観光などのポテンシャルがありながら、2016年以降はマイナスの成長だ。富の多くが特権階級のみに独占されているという汚職・腐敗構造も経済成長を妨げた。
2017年に誕生したロウレンソ政権はアンゴラに安定した成長を取り戻すため、大きな改革に乗り出した。そのために期待しているのが日本との協力、就中日本からの投資である。
5. 両国関係を牽引する民間経済交流
アフリカではODAを通じた経済活動が多いが、アンゴラでは民間企業の活動が両国関係を牽引してきたと言っても良い。70年代には小松製作所がアンゴラに進出しトラクターなどの重機が飛ぶように売れたという。また、内陸のウアンボという街にヤマハが二輪車製造工場を建て生産していた。大手商社も事務所を構え軍需品や自動車などを調達、90年代にはトヨタが現地法人を設立し04年~08年まではアンゴラにおける新車販売のトップを占めた。今ではアンゴラではランドクルーザーはステイタスシンボルとも言えるほどの人気である。アンゴラはアフリカで第2の産油国であるが、80年代には石油ビジネスにAJOCO(三菱商事石油)などが参入した。また、近年、横河電機はアンゴラにおける石油掘削船に必要な高度の中央制御システムを供給しており、アンゴラの市場で60%のシェアを占めている。
内戦終結後は本格的なODAが開始され、JICAの協力によって修復された国立病院は日・アンゴラ協力のシンボルとなっている。最近もJBIC融資を活用した民間企業の目覚ましい活躍がある。丸紅が10億ドルをかけて三つの繊維工場を再建(16年)、NECがアンゴラとブラジル6000キロを結ぶ海底ケーブルを敷設(18年)、豊田通商は6億ドルの南部の港湾設備近代化のプロジェクトを受注した(19年)。このように日本の民間企業は早くからアンゴラの大きな潜在力に着目してきたが、2017年新大統領が就任して以来改革を進めるアンゴラに再び大きな注目が集まっている。