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第66回 隠者と隠棲

元駐タイ大使 恩田 宗

 原節子は昭和の伝統的な女優で2015年に95歳で亡くなった。14歳で映画界に入り美貌をうたわれ百を超える映画に出演し1963年43歳のとき理由を告げず突然引退した。その後は電話手紙を含め外との接触を全て拒絶して過ごした。隠棲の理由は色々憶測されてきたが確かなことは分からない。

 隠棲という生き方は日本古来のものではない。古事記や日本書紀には後の聖の原型のような人物や王位継承闘争に敗れて僻地に逃れ住んだ貴人などは出てくるが思うところあって俗世を離脱し隠棲したなどという人は出てこないという。中国には太古から人格・能力に優れている者が権力や政事を厭わしく思い乞われてもそれに背を向け野に隠れ住むという逸民の伝統がある。「中国の隠者」(富士正晴)によると、論語にはそうした隠者が七人も書かれおり孔子が生きた春秋時代には相当数いた筈だという。それが更に数多くなるのが漢王朝末期から魏・晋・南北朝時代(AD 220~589だという。中国が分裂混乱した時代で王侯への奉仕を拒む潔癖・禁欲型の隠者から老荘思想に影響され無為を旨として詩文などを楽しみつつ気ままに生きる自由人的隠者まで色々で、あり方は多様だったらしい。

 日本では仏教を受け入れてから一時代過ぎた平安中期以後に出家隠遁が貴族階層を中心に一つの社会風俗として定着した。動機は浄土への往生を祈る為とか官位の不満や近親者の死などで世の無常を感じた為とか俗塵に馴染めず歌道や数奇風流に専念する為とかである。総じて仏教の影響が強い。「日本の隠者」(桜井好朗)によると、山林に籠って念仏修行し聖と崇められたような者の中には極楽往生の様を見せるため信者の目前で焼身したり入水したりする者が居たという。

 しかし普通の隠者は都に遠くなく草庵を結び歌会出席など宮廷社会との関係を保ち続けた。遁世しても煩悩や浮世のしがらみはたやすく断ち切れるものではない。前掲書によれば、鴨長明は自分の歌が新古今和歌集に選ばれたとき「生死の余執となるばかりにうれしい」と告白しており、吉田兼好が実力者高師直の人妻あての恋文の代筆をしたとの太平記の話は信じてよさそうだという。

 原節子は恩義ある人(小津監督、俳優笠智衆、他1人)の通夜への出席を除き半世紀の間隠れ通した。隠棲に徹底した珍しい人だと言える。ただマスコミに7回隠し撮りされその最後が「女性自身」だった。同誌は「幻の女優・原節子さん(82歳)」と題しどう撮ったのか暑さしのぎに肩と両腕をまる出しした老いた女性の横姿を全盛期の写真と並べて掲載した。人は美しい(美しかった)者や弱い者にむごいことをすることがある。