シカゴの経済活性化と改革への動き【米国だより】
在バングラデシュ大使(前シカゴ総領事)伊藤 直樹
(「シカゴを見ずして世界経済の動きは分からない。」)
1999年4月30日、小渕恵三総理は、オヘア空港にご到着され次第、シカゴ商業取引所に直行された。そして日米協会連合主催の夕食会において、「シカゴを見ずして世界経済の動きは分からない。」と述べられ、「米国の未曾有の繁栄を支える活気あふれる金融、製造業そして農業の中心地でもある、正に米国のハートランドである」シカゴ市と形容された。
1990年代はシカゴが好況に沸いた。ニューヨークやロサンゼルスよりも失業率が低く、一人あたりの所得の伸びも大きかった。50年代以降で初めて人口が10万人、4%も増加した。しかし、2000年代、シカゴ都市圏のGDPの伸びは7大都市圏で唯一3割を切り、シカゴ市の人口はダウンタウンをのぞいて全体で約20万人減った。最近も人口減少が続いている。2018年の人口は271万人(都市圏で950万人)。全米第三位であるが、やがてヒューストンに抜かれると見られている。商品取引所の場立ちの賑わいもITに押しやられてしまった。トランプ大統領は就任後まもなく、シカゴの治安の悪さを揶揄したが、未だにアル・カポネが暗躍しているかのイメージが残るのも事実である。
(エマニュエル市長による経済の再活性化)
2011年から19年まで2期を務めたラーム・エマニュエル前市長の下で、シカゴ経済の活性化やシカゴ市のグローバル化が進展した。企業の本社誘致に力を入れ、2013年から、都市として企業の移転数が全米第一位である。また、外国投資の件数ではロンドン、パリ、シンガポール、アムステルダム=ロッテルダムに次ぎ、6年連続で全米一である。インフラの屋台骨であるオヘア空港は2018年、発着数でアトランタの空港を超えた。その利用者数も8,300万人で前年比4.5%増、輸出入貨物の取扱額も全米最大の2,000億ドルに達する。更に今後約10年、850億ドルかけてターミナルを拡張する計画が動き出している。
シカゴは第三の高層ビル建築ブームである。計画ないし建設中の高層ビルは40を超え、そのためのクレーンが60本近くあり、全米で最も多い。特にダウンタウンでの雇用者が2010年以降50万人から60万人へと急速に伸びており、2030年には75万人に届くと予想されている。ミレニアル世代が高齢者世代とともに市中心部のコンドミニアム等の住宅需要を後押ししている。
日本との協力も進んでいる。2018年7月の市長訪日時には、外国の都市として初めて日本政府との間で協力覚書を交わした。同年、シカゴ市との姉妹都市45周年の機会に来訪した吉村洋文大阪市長(当時)は、御堂筋とミシガン通りの姉妹通りに合意し、グローバル都市会議に出席した。日本語教育の面でも、日本語が西語、中国語と並んで教員派遣事業の対象となり、教える学校も増えた。また、ビーム・サントリー、コマツ、森精機が市内への移転を進めている。
シカゴには、ニューヨークの金融業、ロスアンゼルスの娯楽産業、ワシントンDCの政府関係部門といった経済全体を牽引できる産業はない。エマニュエル前市長は、シカゴの経済はどのセクターもGDPの14%を超えない多様性こそがシカゴ経済の強みと説明していた。2010年代のGDPの伸びは、シカゴが7大都市圏の中位となった。その一方で、シカゴ市の南部や西部とダウンタウンとの間に厳然とした経済格差があり、雇用や治安面への不安から黒人人口が流出している。貧困層地域の中流化も、北部のリンカーンパークのような例外をのぞき余り進まず、インクルーシブな開発が急務である。シカゴへの訪問者も増加し、5,800万人に達した。とはいえ外国人旅行者の割合は4%。中西部の首都という位置づけはぬぐえない。
(ライトフット新市長による改革)
2019年5月、ローリー・ライトフットが新たにシカゴ市長に就任した。エマニュエル前市長は、連邦下院議員、オバマ大統領首席補佐官等を歴任して市長に選出された。これに対しライトフット新市長は、シカゴの法律事務所、連邦検察に勤め、政治経験はなく、無名の存在であった。エマニュエルが昨年9月、三選への出馬取りやめを突然発表した際、ライトフットが既に出馬表明していたにも拘わらず、次の市長はこれから出る候補から選ばれるであろうと述べた。
その後、デイリー元商務長官、クック郡のプレックウィンクル郡長といった知名度の高い、エスタブリッシュメントの候補者が出馬した。ライトフットは下馬評を覆し、1月の選挙でトップとなり、4月の決選投票では7割を超える得票でプレックウィンクルに圧勝した。シカゴ市長としては、初のアフリカ系アメリカ人女性であり、初の同性愛者(LGBTQ)である(1962年生)。政治の素人による古い政治文化への挑戦が功を奏した。身長は150センチ余りと小柄であるが、滅多に笑わず、鉄の意志の固まりのような人物である。
5月20日、大学のバスケットボール会場で盛大に開かれた就任式において、ライトフット市長はシカゴの改革のための4つの指針を宣言した。この指針とは、第一に治安、第二に教育、第三に安定、そして、第四に清廉という、民主党の牙城ならではのプログレッシブな課題を設定した。そして、シカゴ市の旗に記される過去の出来事を示す4つの赤い星に代わるものと位置づけた(注:シカゴ市旗の4つの星は、①1803年のディアボーン砦、②1871年のシカゴ大火、③1893年のコロンビアン万博、④1933年のシカゴ万博を示す。)
第一の「治安」に関し、市長は、地域の治安と平和の回復が最重要とし、警察と地元社会がパートナーシップを築くことを打ち出した。シカゴ市内における射殺事件の数はニューヨークやロサンゼルスを上回る(今年前半だけで236名が死亡。)。5歳児以下の6割は射殺事件が発生する低所得地域に居住する。また、5年前に白人警官が黒人の若者を射殺した事件は政治的に大きな問題となっている。いわばインクルーシブな持続的開発に必須な課題である。
第二の「教育」については、全ての子供たちへの教育機会を確保し、高校から大学の教育の質を向上させ、労働力として産み出すことを打ち出した。シカゴの1割の高校で生徒の5%しか州の学習達成基準を満たしておらず、低所得地域では生徒数の減少、廃校が続いている。
第三の「安定」のため、予算を均衡させ、年金の財源に裏付けをもたせ、低所得層向けの住宅を確保することを訴えた。歳入・歳出ギャップが10億ドルとも言われ、4-5年後には、年金支払いに10億ドルの予算が必要となる。
第四の「清廉」とは汚職の追放である。市長は、「職務から利潤を得てはならない」と、舞台後方にすわる市議会議員に対し強い口調で説いた。会場が最も沸いた瞬間であった。そして、市議会議員が選挙区内での事業計画に特権(事実上の拒否権)を濫用することを停止させるため行政命令に即日署名した。
改革への期待は高いものの、前途は多難である。ただし、ライトフット市長には自らのアジェンダを州政府と協力できる追い風が吹いている。それは、昨年の選挙によりイリノイ州知事も民主党(JBプリツカー)に戻ったことである。州議会で長年多数を占めてきた民主党とのねじれもなくなり、市長と知事が協調できる間柄となった。ラウナー前知事とエマニュエル市長は、同じ場所に居合わせるだけでニュースになるほど反目していた。プリツカー知事は、早速に議会対策を進め、累進所得税の導入、最低賃金の引き上げ(2021年に時給15ドル)、マリファナの合法化、スポーツ・ギャンブルの合法化やシカゴ市内を含めたカジノ増設という、経済の底上げや税収増につながる施策を打ち出した。
(オバマ・センターと日本庭園(ジャクソン・パーク))
シカゴ市のインクルーシブな開発のための一つの起爆剤は、市南部のジャクソン・パークに建設予定のオバマ・センターである。オバマ大統領が教鞭を執ったシカゴ大学に近く、またミシェル夫人の出身地にも近い。2018年末、オバマ前大統領は3千人の聴衆を前に、同センターの建設により、ジャクソン・パークを第二のミレニアム・パークとし、集客・経済効果をあげると述べていた。(ちなみに、今年の6月、ダウンタウンでは23年振りとなる日本祭りがミレニアム・パークで開催され、2.5万人が来場した。)
ジャクソン・パークは日本とシカゴの関係の原点でもある。1893年万博の際、24人の日本人大工が宇治平等院の鳳凰堂を模したフェニックス・パビリオンを建設し、日本とシカゴの友好の象徴を築いた。フランク・ロイド・ライトはここにヒントを得て自らの建築様式を確立したと言われている。その地に1935年から日本庭園が存在する。3年前にはヨーコ・オノ氏が設計したスカイランディングと呼ばれる蓮の花のオブジェも据えられた。昨年来、国土交通省の「海外日本庭園再生プロジェクト」の対象となり、今年は7名の庭師と大阪市関係者が当該庭園のデザインや樹木の剪定、滝の改修を行った。こうした日本側の関与がシカゴ南部の再生の一助となることも期待されている。
オバマ・センターは当初2021年の開設が想定されたが、検討に時間を要している。公園の環境維持や公共の目的に適うかという点とともに、周辺住民や治安にどういうメリットがあるのかが問われている。近隣住民の雇用や低所得層向け住宅供給のための合意を結ぶべきとの声は強い。ライトフット市長も選挙中にそれを支持する発言を行った。同センターの建設を実現させ、同時に地元への裨益も確保することが、ライトフット市政前半の試金石と考えられる。
(終わりに)
エマニュエル前市長の政策により、経済の再活性化への流れは出来つつある。ライトフット市長は、その成果の上に立って、シカゴの政治・汚職文化の変革ならびにインクルーシブな開発という難しい課題に取り組んでいる。成功すれば、必ずやシカゴのブランド・イメージの改善につながり、グローバル化に向けた歩みをさらにシカゴが進めてゆく契機となろう。彼女がシカゴの顔となることを期待したい。