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ホノルルで迎える盆と正月【米国だより】


在ホノルル日本国総領事 伊藤 康一

 家内とともに大気汚染に煙る北京からホノルルに転勤してきて、早くも1年半以上の時が過ぎました。ハワイと言えば、かつて子供の頃に見たテレビのクイズ番組で優勝者への賞が「夢のハワイ旅行」だったり、今でも日本人にとって人気ナンバーワンの海外旅行先といったイメージぐらいしかなかったのですが、生活、そして仕事を始めて分かったのは、どこまでも奥深く広がるハワイ日系人の社会でした。

 ホノルルに日本の総領事館が出来たのは1886年と意外に古く、ハワイが米国に編入されるのは1898年なので、それより前のことになります。総領事館が当地に設けられた年は、当時のハワイ王国と明治政府が日本からハワイへの移民について合意をした翌年であり、当時はもっぱら日本人移民に対する領事サービスを業務として模様です。ハワイに移民してきたばかりの日本人にとって、明治政府から派遣された総領事は日本人社会の総代表ないし市長のような存在だったようで、今でも総領事としての私や当館館員は、日系人を中心とする地元社会で大変に大事にされており、ありがたい限りです。1920年代に米国の法律で日本からの移民が禁止されるまでの間に約20万人が当地に移り住み、人数の点ではブラジルなどより少ないですが、第二次大戦前のある時点で、日系人はハワイの全人口の約4割も占めていたようです。

 今でも日系人はハワイの人口の13%程度を占めており、いずれも数%程度しかシェアのない中国系や韓国系に比べると大きな存在感があります。人数だけみればフィリピン系の方が多いですが、日系人は観光やサービスなど州の主要産業で会社のオーナーや経営トップを務め、また、州や市の議会で日系人が人口比に倍する程度のシェアを持っており、現在は、たまたま州知事も州議会の上院・下院の両議長のいずれも日系人で、その存在感は圧倒的です。

 ハワイの著名な日系人の一人として、全米で初のアジア系の州知事となり、しかも1972年から86年まで14年間もその任にあったジョージ・アリヨシ氏がおりますが、今年93歳を迎えた日系2世のアリヨシ元知事は、今でもかくしゃくとして大変にお元気で、ほぼ毎日、ご自身の弁護士事務所に自家用車を運転して通っておられるようです。私はホノルルに到着して間もない頃、先ずアリヨシ氏と面会をして当地で仕事を始めるに当たり助言を請うたところ、「総領事は、私たちが祖国日本とつながっていることを示してくれる方だ。これから当地の日系人から様々な行事に招待されると思うが、出来るだけ出席してあげて欲しい。」という言葉を頂きました。以来、日系人団体が主催する行事には、出来るだけ参加するように心がけ、今に至っております。

 ブラジルなども同様なようですが、日系人の出身地は全国各地に及んでいるわけでは決してなく、山口、広島、福岡、沖縄、熊本、福島など幾つかの県に集中しており、彼らは日頃、「県人会」と呼ばれる出身県毎の集まりをベースに様々な社会活動やボランティア活動、あるいは日本各地との交流行事などを行っています。各県人会のトップや幹部は年齢60歳~70歳代の3世の人々が多く、今後いかに世代交代を進めていくかがいずれも大きな課題になっています。日系人にとって重要な年中行事は、新年の祝賀、盆踊りと盆供養、天皇誕生日などで、新年会は元旦から2月下旬まで、また、盆踊りは6月下旬から8月下旬まで、ハワイ各地においてほぼ毎週末のように行われ、この時期は、私と家内は毎週末のようにこうした行事に招待されるので、週末の方が忙しくなる程です。今年の1月のある土曜日には、昼にオアフ島で沖縄出身日系人の新年会に出席した後、中座して空港に向かい飛行機に乗ってハワイ島に行き、彼の地で夕方に開かれた日系人の新年会に参加した後、深夜の便でホノルルに戻り、翌日また行事に参加するというようなこともありました。

 これらの行事に出席して感じるのは、少なくとも日系3世までの世代は、すでに日本語もほとんど話せなくなっているにもかかわらず日本の文化や習俗を大変に大切にしているということです。ホノルルで開かれた日系人連合会による本年の新年会にはデビッド・イゲ・ハワイ州知事夫妻をはじめ数百名が集まり、入り口に設けられた大きな赤い鳥居をくぐって会場に入るとステージ横には大きな鏡餅、新年の挨拶は「明けましておめでとうございます」だけが日本語で残りはすべて英語、一見キリスト教風の食前の祈りは、よく見ると袈裟を着た本願寺の日系人の僧侶が英語で仏に感謝の言葉を述べた後、いただきます」だけが日本語、食事は日本の田舎料理とアメリカ料理の混合、最後は万歳三唱(日本語)で締めくくるという、愉快なものでした。また、日系人の企業家が100年前に設立した「ホノルル日本人商工会議所」は、100年の歴史を持ち当地の財界の有力団体の一つですが、毎年恒例の総会では企業トップの日系人らが歌舞伎の白波五人男の装束と化粧に身を固め、舞台上で見得を切りながらそれらしい節回しを付けて、自らの経歴や仕事のことを英語で口上風に述べるのが、重要な行事となっています。

 盆踊り(Bon Dance)は、本願寺など日本式仏教の寺の境内にやぐらを組んで、太鼓だけでなく、笛も、かねも、歌もすべて生演奏という本格的なもので、しかし盆踊り音頭の歌(炭坑節や東京音頭)は、威勢はよいがよく聞くと日本語の発音は少し怪しいという、なかなか面白いものです。盆踊りには日系人に限らず多種多様な人々が参加し、昨年参加したハワイ島での盆踊りでは、近くに大きな牧場があるのでカウボーイ姿に身を固めた白人の地元議会の議員が踊りの輪に加わっているという不思議な光景も見ました。盆踊りの近くでは、なぜか餅つき(Mochi Pounding)もやっており、「盆と正月が一緒に来る」というのは、こういう光景かなと思いました。ちなみに、つきたての餅の味付けは、日本風にあんこや醤油を用いるだけでなくピーナッツバターも使うのが、ハワイ風です。盆踊りといえば、昨年は州知事選挙の年だったので、候補者が選挙活動の一環で盆踊りの会場を訪れることもありました。総領事館近くにある寺で開かれた盆踊りでは、州知事選に立候補していたコリーン・ハナブサというハワイ選出の女性連邦下院議員がピンクの浴衣姿で踊りに飛び入りし、「総領事も一緒に踊ろう」と誘われました。会場内では支援者によって「Hanabusa for Governor」と白地に朱色で染め抜いた、どうみても日本の手ぬぐいとしか見えないグッズが配られており、日本だったら公職選挙法違反だろうなと思いつつ、記念に受け取りました。ちなみに知事選の方は、沖縄3世の現職イゲ知事と、広島3世のハナブサ連邦下院議員の一騎打ちとなり(いずれも民主党)、勝利するだとうと思われていたハナブサさんが敗れ、イゲさんの続投が決まりました。沖縄対広島の戦いにおいて、最後に沖縄出身者の組織力が勝ったとの感がありました。

 日系社会における沖縄出身移民の子孫の存在感と組織力には、特筆すべきものがあります。正確な人数は分かりませんが、ハワイにいる沖縄出身者の末裔は、3万人とも5万人とも言われ、同郷組織も嘉手納、那覇、読谷、宜野湾、北谷、金武など出身市町村ごとに作られており、それらを構成団体として全体を統合するハワイ沖縄連合会という団体がもうけられています。ハワイでは地元の人々は沖縄出身の日系人をOkinawanと呼び、Japaneseと呼ばれる他の日系人とは区別されることも多いです。沖縄出身者は経済的に成功している方々も多く、昨年見た調査結果では、ハワイ内の出身エスニックグループ毎の平均所得においてOkinawanが最も所得水準の高いグループとなっていました。日系人全体が行事や活動に使う施設(5階建てのビル)とは別に、沖縄連合会はホノルル郊外に独自の大きな施設、「沖縄会館」を持っており、新年会や琉球の各種文化行事などがそこで行われています。私達も州知事やホノルル市長夫妻らとともに、沖縄会館内の大ホールに900人の参加者を集めた新年会に招かれ、週末の昼間4時間に及ぶ行事でしたが来賓挨拶や新年度の役員選出、泡盛もふるまわれる昼食ビュッフェ、琉球の音楽や舞踊、最後は知事や市長ら皆で舞台に上がってカチャーシを踊り終了という賑やかな行事でした。ハワイに来てから、このようにカチャーシを踊る機会が何回かあり、沖縄系の人々から「総領事は踊りが上手くなった」とお世辞を言われています(ちなみに、日焼けした肌で濃いサングラスをかけ、アロハシャツを着て通りを歩いていると、日系人の年配者から「総領事もすっかりローカルボーイだね。」と言われてしまいました。)。

 沖縄系の行事では、ワイキキの目抜き通り近くにある国際会議施設を会場にして、毎年秋、Okinawa Festivalという大規模な文化行事が開かれています。1日だけの開催ですが毎年1万人以上の来訪者を集め、ホノルルの主な年間行事の1つとなっています。昨年のフェスティバルでは、総領事館が本省から資金を得て泡盛を普及する行事を会場内で行ったところ、ハワイ州知事やホノルル市長のゲスト参加も得て、2000名以上が訪れる大盛況となり、一時は入り口に長蛇の列ができていました。行事は、ホノルルで人気のレストラン5軒に頼んで泡盛ベースのハワイ風トロピカル・カクテルと、それに合わせたオードブルを創作してもらい、人気投票を行うという企画で、泡盛をトロピカルジュースのようなもので割ると、意外に美味しいカクテルができあがります。泡盛のハワイカクテルとして、日本でも人気が出るとよいなと思っています。

 昨年は、日本から最初の移民がハワイに到着して150年に当たり、年間を通じて多彩な記念行事が行われました。そのピークとなったのが6月に行われた秋篠宮同妃両殿下(当時)による4泊5日にわたるハワイ御訪問で、両殿下は記念シンポジウムにご臨席された他、日系人にゆかりのある場所や施設を精力的に御訪問され、行く先々で大歓迎をされるとともに、大変に強い印象を地元の方々に残されました。かつて日系移民のために作られたクアキニ病院という総合病院を御訪問された際には、院内の高齢者ホームで日系人の高齢者をお見舞いになられ、当地で生まれ育ち日本語も不自由な80歳以上のお婆さんたちは、しかし両殿下のお姿を見るなり涙ぐんでおられ、その場面に立ち会えただけでも両殿下に御来訪を賜り、本当に良かったと思いました。クアキニ病院は皇室の関係が深く、かつて大正天皇がご寄付(恩賜)をなさったこともあるとのことで、秋篠宮殿下の御訪問がきっかけとなって同じ年の11月、天皇皇后両陛下(当時)による恩賜が行われ、私が使者となって病院長に伝達をしました。

 ハワイといえば今でも日本人にとって人気ナンバーワンの海外旅行先で、毎年約160万人が訪れ、約4000から5000名の日本人が毎日ハワイの空港に到着し、皆さんそれぞれにハワイの滞在を大いに楽しんでおられます。日米の友好あるいはハワイの経済にとって、それはそれで大変に結構なことですが、ハワイの日系人社会のことは意外に知られていません。当地で仕事をし、また生活をする者として、一人でも多くの日本の方々にハワイの日系人のことを知って欲しいと思い、この報告を記した次第です。そしてもし御関心を持って頂けたなら、ハワイにご旅行の機会に、是非、ホノルルにあるJapanese Cultural Center of Hawai’i内の歴史展示館「オカゲサマデ」に足を運んでみて下さい。日系人の知らざるアメイジング・ストーリーが皆さんを待ち受けていることでしょう。

令和元年8月 ホノルルにて。