アジア開発銀行(ADB)から学ぶこと -ADBの50年にわたる歴史を振り返って-


元タイ国駐箚大使 小島 誠二

はじめに

 今年5月太平洋島嶼国で初となる第52回ADB年次総会がフィジーのナンディで開催された。年次総会は、各加盟国の総務(財務大臣など)が出席して年1回開催されるものであるが、今回の年次総会においても、ADBセミナー、主催国イヴェント、ADB業務イヴェント、スポンサー主催イヴェント、民間部門イヴェント、市民社会組織プログラムなど多彩なサイド・イヴェントが展開された。筆者は一昨年横浜で開催された第50回年次総会に続き、今年の年次総会に出席する機会を得た。一昨年はADB設立50周年に当たり、ADBの組織的な協力を得てマッコーリー「50年史」(末尾参照文献)が発刊された。今年の年次総会は長期戦略である「ストラテジー2030(以下「戦略2030」)」が策定されて初めての総会であった。本稿では、ADBの50年を超える歴史を改めて振り返ってみることとした。特に、二国間ドナーとしての日本が、参考とすることができるような事例や取組み、ともに協力して取り組むことが適当な課題などを取り上げることとしたい。

1.ADBの誕生

 ADBは、1966年11月東京において開催された創立総会をもって正式に発足した。ADBは、60年代初めから始まった国連アジア極東経済委員会(ECAFE)における検討から生まれたが、当初は「アジア開発機構」を創設するという提案がなされていた。その後、ECAFEも、アジア地域の銀行の設立に関心を移していき、また東京においても、初代ADB総裁となる渡辺武氏が参加した私的研究会が1963年「アジア開発銀行」の設立を提案する。その後、1963年と65年のECAFE主催経済協力閣僚会議における検討を経て、現在の形にとりまとめられた。当初米国は「東南アジアにおける新たな金融機関」の創設を真剣に受け止めようとしなかったが、1965年までには設立支持に政策を転換させた。第2回閣僚会議において、有力候補であった東京ではなく、マニラに本部が置かれることに決まるまでに展開されたドラマはよく知られている。ただし、マニラ湾を周遊するS.S.ロハス号(大統領所有)の船上で実際にいかなる誘致作戦が繰り広げられたかは一般には明らかになっていない。マニラに決定したことに一時は酷く落胆した渡辺武氏は、初代総裁に就任した後、本部を開発途上加盟国に置くことの意義を認める心境に至っている。

ADB新本部ビル 出典:ADB年次報告2010

2.役割の変化と融資規模の拡大

(基礎的事項)ADBには、 域内国・地域として49か国・地域、 域外国として19か国が加盟している。中尾武彦現総裁を含む9名の歴代総裁は日本人である。2018年末現在、3,374人の職員が働いており、うち専門職員は1,242人(日本人職員数は156人)となっている。

(役割の変化)ADBは、設立当初の「ファミリー・ドクター」(1966年の開業式における渡辺初代総裁の演説)から、「ファイナンス・プラス・ノレッジ・プラス・レバレッジ」(中尾総裁)の担い手へと役割を変えてきた。「レバレッジ」は他の資金の動員を意味する。「パートナーシップ」と表現されることもある。ADBの支援は、金融、開発及び地域協力を包含するものになっている。この点は、「AIIBがインフラ投資に注力し、譲許的融資業務、社会セクター、政策支援融資、および研究業務には関与しない方針であること」(金立郡AIIB総裁(元ADB副総裁)の発言)と大きな違いである。

(最近の融資規模)2018年について契約締結額で見ると、融資(貸付け、出資及び保証)は201.58億ドル(前年195.02億ドル)、グラント(ADFグラント(注)+特別基金)が14.24億ドル(前年1.93億ドル)となっている。また、同年の技術協力の契約締結額は2.41億ドル(前年2.01億ドル)である。実行額(技術協力を除く)を見ると、2016年が124.89億ドル、2017年が114.43億ドルとなっている。比較のために、日本の二国間ODAを支出総額ベースで見ると(カッコ内はアジア向けODA)、2016年が134.51億ドル(70.38億ドル)、2017年が150.84億ドル(90.09億ドル)となっており、ADBの実行額と日本の二国間ODA支出総額とは同レヴェルにあると言えよう。

(長期的融資規模)長期的に見ると、1967年から2016年までのADBの融資承認額は、2,668.51億ドルであるのに対して、1969年から2016年までの日本のアジアに対するODAは、支出総額2,346.42億ドル、支出純額1,249.79億ドルとなっている。ADBの数値は承認額であり、実行されなかった部分が存在することに留意する必要があるが、長期で見るとADBの援助と日本の対アジアODAは、ほぼ同額になっていると言えよう。

(注)後述のアジア開発基金(ADF)からのグラント

3.メコン地域開発への取り組み

(はじめに)メコン地域で進められている様々な地域協力のうち、ADBが調整役として進めているメコン河流域圏(GMS)経済協力プログラム(以下「GMSプログラム」)は、最も成功したものの一つである。ADBの中でも、GMSプログラムは、「ADBで最も成果を上げた地域協力プログラムの一つ」と評価されている(マッコーリー「50年史」)。

(注2)正式名称:Greater Mekong Subregion Economic Cooperation Program

ADBの地域協力政策)ADB設立協定の前文には、「一層緊密な経済協力が重要であること」がうたわれている。ADBでは、2006年に4つの協力の柱(インフラ、貿易・投資、通貨・金融及び地域公共財)からなる「地域協力・統合戦略」が作成され、ADBが資金を提供する銀行、知識を提供する銀行、能力向上の支援者、そして公正な仲介者という4つの異なる役割を果たすことが構想されている(マッコーリー「50年史」)。

GMSプログラムの概要)GMS プログラムは、1992年カンボジア、中国(雲南省が中心)、ラオス、ミャンマー、タイ及びベトナムの6か国による経済閣僚会議をもって発足した。2004年には中国の広西チワン族自治区も参加することとなった。協力分野は当初、交通、通信、エネルギー、環境、人的資源開発及び貿易・投資の6分野とされたが、1994年に観光が追加され、1998年に貿易・投資が貿易円滑化と投資に分割され、2001年に農業が追加された。意思決定機関として、首脳会議と閣僚会議がおかれ、各国に国家レヴェル調整機関が設けられている。

(長期戦略と地域投資枠組みの採択)2002年の第1回首脳会議で、10年長期戦略「戦略枠組み2002-2012」が採択され、また2011年の第4回GMS首脳会議で、新たな10年長期戦略「GMS戦略枠組み2012-2022」に置き換えられることとなった。この長期戦略を実現するため、2017年の第22回閣僚会議(ハノイ)において、「地域投資枠組み2022」が採択された。「地域投資枠組み2022」には、2020年までに開始が予定される投資・技術協力案件が含まれており、この枠組みに関する最初の進捗・更新報告(2019年3月)によれば、案件数は247件、総額809億ドルに上っている。

(GMSプログラムの将来)GMSプログラムは、メコン委員会を除けば、最初にメコン地域協力のための枠組みを提供するものであった。しかしながら、中国が一帯一路構想を展開し、日本が日本・メコン諸国首脳会議を進め、ASEANが地域協力に、より積極的に取り組む中で、GMSプログラムにとっても従来以上に政策レヴェル及び個別案件レヴェルで他の地域協力枠組みとの情報交換・調整が必要になってきたと言えよう。この過程において、GMSプログラムは、ADBという国際機関が調整役を務めているという強みを生かしていくことができるのではなかろうか。

(出典:石田正美「メコン地域:道路インフラの経済効果」)

(ここには、GMS運輸セクター戦略(2006-2015)に含まれている東部、西部、南部、北部、東西、南北、北東、南部沿岸及び中央の9の経済回廊が描かれている。)

4.ADBに一大変革をもたらしたアジア通貨危機

 1997年タイで始まったアジア通貨危機は、「ADBの歴史を最初の30年とそれ以後の20年に区分する分かれ目」(マッコーリー「50年史」)となった。技術協力を除くとタイには11.5億ドル(9.5億ドルの部分信用保証を除く)、韓国には40億ドル、インドネシアには27.5億ドルの融資をそれぞれ行った。ADBの融資規模が国際支援全体の中で占める割合は大きくはなかったが、ADBにとっては巨額の融資額であり、1997年と98年の借入れプログラムを大幅に拡大させる必要があった。ADBは、IMF主導の緊急支援パッケージについて、金融支援のみならず、公共セクターと金融資本市場の改革に向けて開発途上加盟国を導くことができた。そして、金融市場の規制、ガヴァナンス、さらに能力構築に関する作業を通じて加盟国に対して多様なサービスを提供するADBの能力を強化することにつながった(マッコーリー「50年史」)。アジア危機後、ADBは、域内の経済政策や財政状況を監視する内部組織の構築、通貨危機に関する早期警報システムの試作、ASEAN加盟国の財務省内における監視担当部門の設置への支援、現地通貨建て債券市場の発展促進への支援、ASEAN+3財務大臣が導入を決定した「経済の現状分析及び政策対話」並びにチェンマイ・イニシアティヴ(CMI)への支援などを行った(マッコーリー「50年史」)。

5.環境政策、非自発的住民移転政策及び原住民政策の統合

(セーフガード政策文書の採択)2009年7月理事会は、それまで存在していた環境政策(2002年制定)、非自発的住民移転政策(1995年制定)及び原住民政策(1998年制定)を統合し、セーフガード政策文書を採択した。統合の目的は、効率性と関連性(relevance)にあった。セーフガード政策文書は、2010年1月以降ADB経営陣により検討されるすべてのADB支援プロジェクトに適用され、プロジェクトにより影響を受ける人々及びその他のステークホルダーが当該プロジェクトの設計と実施に参加するためのプラットフォームを提供するものとされた。セーフガード政策文書には、それぞれの分野において作成すべき文書、取るべき手続き、各プロジェクトのカテゴリー分類などが規定されている。

(自国セーフガード制度の活用)ADBは、加盟国の要請により、国内セーフガード制度の活用を検討することになっている。ADBは各プロジェクトの全過程を通じて、国内セーフガード制度をADBの基準に一致させるための行動計画の実施をモニターする。ADBは、国内セーフガード制度を強化し、効率的に実施するため、2009年以来4,533.7万ドルの技術協力を実施した。この関連で、2017年4月、ADB、豪州外務貿易省、JICA及び世銀の4組織は、国内セーフガード・パートナーシップ枠組みを発足させた。4組織が協働して国内セーフガード制度を育成することを目指しているものと見られる。

(セーフガード政策の実施状況)ADB「年次報告2017」には、「ADBは、2017年、セーフガード政策に従って、環境・社会的影響の点からすべてのプロジェクトを評価し、必要に応じて然るべき緩和策を講じた」と書かれている。また、「ADBでは、環境や影響を受ける人々の保護を目的とする組織的能力、法規制や手続きなど、国別セーフガードシステムの強化に引き続き取り組んでいる」と説明されている。「年次報告2018」においても、2018年について同様の評価が行われている。

6.革新的な財務改革

ADBの財務構造)ADBは加盟国の出資などを財源にした通常資本財源(OCR)を使って融資(貸付け、出資及び保証)を行っている。理事会における投票権も各国の出資額に応じて決められる。2018年末現在、授権資本総額(応募済資本総額)は、1,479.65億ドルとなっているが、払込済資本の額は70.29億ドルに過ぎない(注)。その後、1974年長期・低利の譲許的融資を行うためアジア開発基金(ADF)が設立され、2005年にはADFにグラント業務が追加された。ADFの財源は、加盟国の拠出、OCRの純所得からの移転及び留保財源である。ADBには、ADFのほか、技術協力特別基金(TASF)、日本特別基金(JSF)、ADB研究所特別基金(ADBISF)などの特別基金が置かれている。

(注)残りの部分は、「ADBが差し迫った財務上の問題に直面した際にのみ加盟国へ求められる資本」(マッコーリー「50年史」の定義)である請求払資本である。ADB設立時には50%が払込済資本であった。2009年の第5次一般増資では、払込済資本の割合は4%に過ぎなくなっている。ちなみに、AIIBの払込済資本の割合は20%である。

ADFの融資資産の活用)他の国際機関と同様ADBにとって、財源の確保は簡単ではない。増資の結果が投票権に結び付けられていないADFの場合であっても(注1)、増資の条件などをめぐって難しい交渉が行われてきた。OCRの場合、1994年の第4回一般増資の後2009年の第5回一般増資まで一般増資は行われなかった。OCRからの融資は、レヴェレッジ(資本金に基づく債権の発行)がかけられてきたが、債券発行額(借入金)はOCRの自己資本の制約を受ける。他方、ADFには、請求払資本もなく、信用格付けもないため、レヴェレッジをかけられなかった。2012年、今や優良資産であるADFの融資資産をOCRとADFの統合という形で活用することが検討され始めた(マッコーリー「50年史」)。法的、会計的、政治的な障害(注2)を克服して、2015年4月の総務会の承認を経て、2017年1月ADF 資産(未収利息を含む融資及び流動資産)308億ドルがOCRの準備金として移転され、25億ドルの資産がADFグラント業務のために残された。その結果、OCRの自己資本は, 172億ドルから480億ドルに大幅に増加し、レヴェレッジをかける財務基盤が飛躍的に拡大した。実際、融資承認額を2014年の135億ドルから2020年の200憶ドルに引き上げるという目標は2018年に達成された。

(注1)日本は、財政的な貢献と発言権が調和的に増大することを求めてきた。

(注2)ADB設立協定第10条1は、通常資本財源と特別基金財源の分離を求めている。

(財務改革の評価)この改革は、加盟国、ADF拠出国、OCR適格国、従来のADF融資適格国、ADFグラント受取国などすべてのステークホルダーの要請を満たすものであった。この改革について、米国の有名なシンクタンク「世界開発センター(CGD)」は、「国際開発金融機関のすべてが新鮮な発想をすることに道をひらく可能性がある」と高く評価している。格付け機関も、「ADFの融資ポートフォリオがOCRに追加されることによるポートフォリオの分散化などにより、ADBの財務健全性がむしろ強化される」としている。この改革は、中尾総裁のイニシアティヴによるものであるが、柏木幹夫財務局長及びクリストファー・スティーヴンス法務部長が実務面で貢献したと言われる(マッコーリー「50年史」)。

7.過去の戦略の見直しに基づく戦略2030の作成

(作成過程)戦略2030は、2008年に作成されたストラテジー2020に続くもので、2014年に行われたストラテジー2020の中間レヴュー、独立評価局(IED)のレヴュー及び2015年10月以来行われた様々なステークホルダーとの協議を経て、2018年7月、ADB理事会によって承認された。戦略2030には「豊かで、包摂的で、強靭で、持続可能なアジア太平洋地域の実現を目指して」という副題が付されている。

(業務上の優先事項)戦略2030には、ADBの業務上の優先事項として、①残存する貧困への対応と不平等の削減、②ジェンダーの平等の促進、③気候変動への対応、気候・災害に対する強靭性の構築及び環境的持続性の向上、④より暮らしやすい都市の構築、⑤農村開発と食糧安全保障の促進、⑥ガヴァナンスと制度能力の向上並びに⑦地域協力・統合(RCI)の推進の7項目が掲げられている。

民間セクター業務の拡大)戦略2030では、民間セクター業務に独立の章が充てられており、これはADBが民間部門業務を重視していることの現れと考えられる。ここには、民間セクター業務の目標(2024年までに数の上でADB業務全体の3分の1とする)と 民間セクター業務における協調融資の長期目標(2030年までにADBからの1ドルの融資に対して2.50ドルの協調融資を目指す)が掲げられている。民間セクター業務においてADBがなすべきこととして、①7つの重点事項を支援するための民間セクター業務の拡大、②融資可能な民間セクター・プロジェクトの準備、③金融インクルージョンの拡大支援、④金融セクターと資本市場の強化、⑤民間エクイティ・ファンドの活用、⑥官民連携(PPP)支援の拡大などを挙げている。

(戦略2030に対する筆者の感想)ODA大綱などの戦略文書の作成に関与したことがある筆者には、この種の文書がややもすると総花的になることは避けて通れず、戦略2030、特に7つの業務上の優先事項にもそういった傾向がみられることは否めない。ニウエを加え、68か国・地域という多様な「株主」の存在を考えるとやむを得ない結果と言える。しかしながら、ADBの取組みが優れているところは、過去の戦略の評価をきちんと行っていること、実施のための業務計画を作成して、実施しようとしていること、予算配分に留意していること、戦略2030に沿った「国別パートナーシップ戦略」を作成しようとしていること、成果枠組みを作ってモニタリングを行おうとしていることなどに見られるように戦略2030を単なる机上の文書にとどまらせず、実施の指針にしようとしていることである。また、注目されることは、ジェンダー平等、気候変動の緩和と適応、民間セクター業務、協調融資などについて数値目標が掲げられていることである。

8.詳細な国別パートナーシップ戦略の作成

(全体枠組み)ADBの各開発途上加盟国に対する援助は、「国別パートナーシップ戦略(CPS)」及び「国別業務ビジネス計画(COBP」)に従って計画・実施されている。タイを例にとると、最新のCPSは2013年から2016年までを対象としたもの(以下「CPS 2013-2016」)であり、2020年9月に完成予定の次期CPSは2020年から2024年を対象とするものとなる。この間のギャップは、毎年更新されるCOBPにより補われており、現在は第3期COBP(以下「COBP 2019-2021」)が実施されている。CPSは日本の「国別開発協力指針」に、COBPは「事業展開計画」に、それぞれ相当するものであるが、国別開発協力指針が2枚紙であるのに対し、CPSは、10ページを超える詳細なものとなっている。

(国別パートナーシップ戦略2013-2016CPS 2013-2016は、2013年10月に公表され、開発動向と課題、国別戦略、戦略の実施及び成果管理から構成されている。この文書の中心となる国別戦略には、まずタイ自身の戦略(5か年計画など)を取り上げられ、ADBの戦略が記述されている。ADBの戦略では、戦略枠組み、ナレッジ(知識)発展とイノヴェーション、民間セクター開発、地域協力・統合(RCI)、分野横断的優先事項、重点セクター・地域及び前期CPSとの違いが説明されている。また、ADBの業務と活動において、人的資源開発、グッド・ガヴァナンス及びジェンダーの平等が主流化されるとされている。戦略の実施の項目には、指標的な資金パラメーターが示されている。

(タイ国別業務ビジネス計画201920212018年10月付のCOBP 2019-2021には、この期間の指標的な財源(予算計画上想定されている額)とともに、指標的なソヴェリン融資計画(予定プロジェクトに対する融資額を積み上げたもの)及び融資以外のプログラム計画が書き込まれている。

おわりに

 日本の援助関係者は、一般的に世銀の政策・制度に目を向けがちである。しかしながら、ADBは地道ではあるが、二国間ドナーとして日本が学ぶことができる政策、制度、取組などを計画し、実行してきた。本稿で取り上げた革新的な財務改革は、今や世銀(IDA)が模倣するところとなった。日本がADBと協調していくべき分野も少なくない。                  

 本稿では、ADBの50年の歴史を振り返ったが、二国間のドナーとして日本にとって参考となる事例や取り組みを中心に取り上げた。その結果、後半の30年間が中心となり、最初の20年間にほとんど触れることができなかった。特に、ADBの農業への取り組み、2回の石油危機への対応、民間セクターへの協力・支援、ADB改革の歴史などに触れていない。これらの点に関心のある方には、ディック・ウィルソン「20年史」(末尾参照文献)をおすすめしたい。

20195月フィジーで開催された第52ADB年次総会において中尾武彦総裁と(2019年9月1日記)

(参照文献)
ピーター・マッコーリー「アジアはいかに発展したか アジア開発銀行がともに歩んだ50年」勁草書房 2018年
渡辺武「アジア開銀総裁日記」日本経済新聞社 昭和48年
Dick Wilson “A Bank for Half the World: the Story of the Asian Development Bank 1966-1986”, the Asian Development Bank, 1987