第63回 日本語と中国語の単語

元駐タイ大使 恩田 宗

暮の年中行事に年賀状書きがある。

 年賀状のことを中国では賀年片というらしい。漢字2字の単語でこのように日中で上下逆のものが6~70はあるという。勿論日中同形のものの方が断然多い。日本の高等学校と中国の小中学校の教科書にある基礎的用語を比較した研究(「日本語になった西洋語」高野繁男)によると、日中同形のものが1,662語あったという。そのうち7割弱が中国製で3割弱が日本製だった。日中で上下逆の言葉はごく例外的な変種だということになる。 

 何故逆になったのだろうか。年賀―賀年、面会―会面、氷結―結氷、咳止めー止咳などは文法(動詞と目的語の順序)の違いによるのではないかと推測できる。しかし、言語―語言、土砂―砂土、兵士―士兵、紹介―介紹、救急―急救、漏洩―洩漏、紛糾―糾紛、歓喜―喜歓、詐欺―欺詐、期日―日期、後日―日後、夜半―半夜、許容―容許、売買―買売、旅行―行旅、限界―界限、正々堂々―堂堂正正などは何故逆転しているのか分らない。前掲書によると日本人は中国語を借用する場合に語を倒置することがよくあったらしい。

 ある言語学者は、制限―限制、短縮―縮短、買収―収買、敗戦―戦敗などは柔らかく余韻のある表現を好む日本人と厳しく決めてきっぱり断定する中国人との性格の違いからきているのではないかと言う。中国から輸入した言葉を使っているうちにいつの間にか自分の好みに逆転させたのではないかということらしい。又、日本語は仮名遣いや外来語の受け入れに見られる通り通じればいいとする鷹揚なところがあるのでそこにも原因があるのかもしれない。材木―木材、始終―終始、情熱―熱情、運命―命運、先祖―祖先、論争―争論、苦痛―痛苦などは逆転した両方とも通用しているのがそれである。中国語では後者の方しか使わないらしい。

 言葉使いには民族の性格が反映される。インドネシア語は人称代名詞や敬語・丁寧語が多く「相手が誰か決まらないと口から言葉を出せない厄介な言葉」だという(染谷臣道)。タイでも同じで初対面の場合は先ず相手が自分より上か下かの探りあいをする。強く明確な断定を避け柔らかに話し「私は」とはいちいち言わない。聞かれたり頼まれたりすればむげにノーと断わらず何とか応えようとする。外国人は出鱈目を言うと怒るが、現地人はそうした気持ちを察して返事をそれなりに受け止める。他者への配慮を優先し自分を出来るだけそれに合わせる。インドネシアやタイでも「山が見える」という山を主体にする言い方をするらしい。

 平成23年度の芥川賞候補作品「あめりかむら」には私という主語が出てこない。作者の石田千は「私は自分にとって必要のない言葉で・・私は消して聴き取った声や音だけを伝えたい」と言い、およそ文章を書くに当たって私を使うことはないという。言葉使いからすると日本人は中国人より南方の人達に近い・・・のではないか・・・と思う。