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スロバキアって、あのチェコ・スロバキアのスロバキア?


駐スロバキア大使 新美 潤

【古くて新しい国】 

 今から3年余前に私が駐スロバキア大使の発令を受けた後に、知人友人の多くから受けた最初の質問が、これであった。

 チェコ・スロバキアは冷戦時代に「鉄のカーテン」の向こう側にあったが、1989年に「ビロード革命」が起こり、大きな流血のないまま共産主義体制が崩壊して民主化が始まった。1993年にはチェコとスロバキアが平和裏に分かれ(「ビロード離婚」とも呼ばれる)、スロバキア共和国が誕生した。

 我が国においてスロバキアの知名度が必ずしも高くない理由としては、このように、長い歴史を持つ欧州の中で一国家としては「新しい」ということが考えられるだろう。

 本年4月に安倍総理が日本総理として史上初めてスロバキアを訪問された。日本国内におけるスロバキアの認知度が高まったのではないかと期待する。

【EUの優等生】

 日本大使館も置かれているスロバキアの首都ブラチスラバは、西南国境を縁取るドナウ川の河畔に位置する美しい古都である。国土の西端にあり、隣国オーストリアの首都ウィーンからも60キロメートル余しか離れていない。週末に日本大使公邸からドナウ川を渡ってジョギングをしていくと、いつの間にかオーストリア領に入ってしまう程の近さである。日本からの出張者等の多くは、羽田から全日空の直行便が毎日飛んでいるウィーン空港経由で当地にやってくる。

 スロバキアは分離独立以来、特に自動車産業を中心に外資を積極的に取り入れ急速な工業化を成し遂げた。フォルクスワーゲン、プジョー、KIA、ジャガー・ランドローバー等の大工場が進出している。「国民1人あたりの車の生産台数が世界一(人口1,000人あたり年200台近く)」という統計もある。

 日本との関係でも、自動車部品や電機関連を中心に60社以上の日系企業が進出し、1万人以上の雇用を創出している。昨年はミネベアミツミ社が東部のコシツェ市に大工場をオープンし、同時にR&Dの拠点を併設することを発表した。

 総人口は約500万人と隣国ハンガリーやチェコの約半分だが、1人あたり国民所得ではハンガリーやポーランドを追い抜き、チェコと肩を並べるに至っている。現在も経済成長率は4%近くと、欧州内で最高レベルである。EU,NATOのメンバーであり、ユーロ圏メンバーでもある。ちなみに中東欧地域でユーロ圏メンバーであるのは、スロバキア以外にスロベニアとバルト三国だけである。

【一冊の本では書けないスロバキアの歴史】

 西暦10世紀前、スロバキア人の祖先とも言えるスラブ系民族が現在のチェコからスロバキアに及ぶ地域にモラビア王国を作っていた時代があった。しかしその後、1,000年近い間、スロバキアはハンガリー王国の一部となっていた。16世紀にオスマン・トルコが欧州に進出してくるとブダペストが陥落してハンガリーの大部分がオスマン帝国に占領され、ハンガリー王国の首都がブラチスラバに移っていた時期もあった。トルコとの戦いでハンガリー国王が戦死したことから条約に従いハプスブルグ帝国の国王がハンガリー国王を兼ねることになり、何代かの国王の戴冠式がブラチスラバで行われた。マリア・テレジアがこの町を愛し、何度も訪問したことは良く知られている。

 20世紀になり第一次世界大戦が終わると、ハプスブルグ・ハンガリー二重帝国が自壊した。その領していた中東欧の広大な各地域では「民族自決運動」が起こっており、スロバキア民族も覚醒した。しかし、スロバキアはチェコと一緒になり1919年に「チェコ・スロバキア」国を作る道を選んだ。

 第二次世界大戦が近づいてくるとナチス・ドイツの影響力がこの地域にも及んできた。ナチスはチェコを事実上自国の勢力下に併呑し、スロバキアについてはナチスの傀儡政権を建てて独立させた。

 第二次世界大戦末期にはスロバキア国内にパルチザン蜂起が起こり、ソ連の赤軍も入ってきて対ナチス抵抗運動が活発化した。大戦が終わり、1945年に「チェコ・スロバキア共和国」が再興した。しかし、「鉄のカーテン」が降りてきてチェコ・スロバキア共和国は共産化し、事実上ソ連の衛星国となってしまった。

 その後、1989年の「ビロード革命」を経て1993年にスロバキア共和国が分離独立したことは上述した通りである。

 このようにスロバキアは、近年にいたるまで欧州内の様々な国家・勢力に代わる代わる支配・影響をされてきた歴史がある。スロバキア人の知り合いから、祖母がその人生において五つの異なる国籍を経験した、という話を聞いた。すなわち彼女はハンガリー帝国下のブラチスラバに生まれ、チェコ・スロバキア、ナチス・ドイツ下のスロバキア、その後の共産主義時代のチェコ・スロバキアを生き抜き、26年前に現在のスロバキアが建国されるまで生きていたというのである。

【EU内における「三つの軸」】

 スロバキアをはじめとする中東欧の多くの国々は民主化後一定の時期を経てEUやNATOに加盟した。政治を民主化し市場経済を導入して、西欧諸国に追いつけ追い越せと急速な経済発展を続けている。欧州委員会から受け取る種々の補助金、そしてEUメンバーとしてEU内の四つの自由(人の移動の自由、モノの移動の自由、サービスの移動の自由、資本の移動の自由)を享受していることも、経済の高い成長率に貢献している。

 しかし、「EUに加盟して順調に経済が発展している」といった単眼だけで中東欧諸国を捉えることは若干危険である。

 私はEU諸国内には「3つの軸」があるのではないかと考えている。第1は「豊かな西側の諸国 対 発展途上の中東欧諸国」という東西の軸、第2は「独仏英などの大国 対 多くの中小国」という軸、第3は「ブラッセル(欧州委員会) 対 加盟各国」、という軸である。スロバキアを始めEU加盟中東欧諸国の多くは、この三つの軸のいずれにおいても後者に属する。

 多くの中東欧諸国において、EUに加盟したことは国全体の発展や安定、国民の福利厚生増加には資しているという大まかなコンセンサスがあると思う。同時に、

(イ)西側の相対的に豊かな国からEU補助金という形で種々の金銭的支援は受けているが、西欧諸国に経済的にキャッチアップしていくとともにこれら支援は今後目減りしていくことが確実視されていること。

(ロ)加盟28ヵ国とEUが巨大化していく中でEU外交内政に関わる重要政策の多くが独、仏等の主要な大国の先導によって決められてしまう傾向が益々強まっていること。

(ハ)市場統合はじめEU統合が深化していくほど、加盟各国の国内経済や社会、国民の生活に直接影響のある法律や規則がブラッセルの欧州委員会によって決められてしまう傾向が強まっていること。

といった点についてのフラストレーションも増大しつつあるように思われる。

 政治の右傾化とポピュリズム化は先進民主主義国の多くに共通する世界的傾向であるが、特にEU、就中中東欧諸国では、このような要因も、EU懐疑派、あるいは反EUといった右よりの世論を高め、ポピュリスト政治家や政党が各国内で影響力を強める背景になっていると考える。

【中東欧再発見の動き】

 建国以来26年間、スロバキアに米国から首脳級の要人が訪れることは殆どなかった。本年2月にポンペオ国務長官が来訪したことは当地の外交団を驚かせた。更に5月にはペレグリニ・スロバキア首相がホワイトハウスに招かれトランプ大統領と会談した。時期を前後して、チェコのバビシュ首相やハンガリーのオルバーン首相も訪米して首脳会談を行った。

 米を含めいわゆる西側勢力には、「中東欧諸国はかつて共産主義勢力の影響力下にあったが、今はその軛から逃れ民主化し、EUに入って経済的にも成長しており、ハッピーなはず。だから放っておいても大丈夫」という認識が今まで強かったのではないか。それが上記のようなEU内の事情、更には、西側諸国の無関心を虚についての露や中国による同地域への影響力拡大を目のあたりにして、再度関与を強めなくてはならないと再認識するようになりつつあるのではないかと思われる。

 今回、スロバキアを公式訪問した安倍首相が、スロバキア、ポーランド、チェコの各首相と各々首脳会談を行うとともに、これら三ヵ国の首相にハンガリー副首相を加えた「V4」の首脳達と「V4+日本首脳会談」を行ったことは、かかるコンテクストにおいても良いタイミングであったように思う。

【最後に】

 「在スロバキア日本大使館」のホームページ内に「HOTスロバキア、ホッとスロバキア~スロバキア小さな旅」というコラムを設けた。両国の関係や各々の社会や生活を紹介するブログを30数回に渡って書いている。関心のある方にお読み頂ければ幸甚である。

(本稿の内容は全て個人的見解です)

美しいブラチスラバの旧市街