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第61回 日本の宗教

元駐タイ大使 恩田 宗

 東京も山手線の外は江戸時代は農村で今でも四辻や道端に小さな祠やお地蔵が立っている。水や供物が供えてありその前で手を合わせる人をよく見かける。本気で信じているのか習慣や軽い気持ちでそうしているのかは分らない。NHKが1973年から始めた5年毎の国民意識調査では、神と仏を信じる人は2割5分、神のみを信じる人が1割、仏のみを信じる人が2割、何も信じない人は2割5分で推移している。残りの2割は去就未決である。

 明治維新の前は殆どの人が神と仏の双方を信じていた。神も仏もあまり違いがないと大まかに考えられていた。仏教は伝来の当初は異国の宗教だと違和感を持たれたがあまり時間をかけずに日本の神祇信仰を抱き込む形で日本社会に溶け込んだ。朝廷が神仏融合に積極的だったからである。聖武天皇は天照大神が実は大日如来だとの夢告を得て国力を傾注して大仏を建立した。大仏守護のためとして東大寺内の社に宇佐八幡神を勧請し大菩薩の号を与えもした。こうした神仏習合は本地垂迹説で理論化もされた。神社境内に仏堂を建てたり仏像をご神体としたりで経を唱える神官や神に祈る僧侶が稀ではなかった。融通無碍な日本特異の宗教が人々に受け入れられ1,000年続いてきた。

 それを断絶したのが明治の神仏分離令である。維新直後の政府は原理主義的国学者の影響下にあり神道の国教化を目指して仏教との判然分離を強行し皇室は祭祀を神道で統一した。しかし庶民は突然のことで戸惑った。長年慣れ親しんできた信仰である。生活上も神仏二つに依存しておりどちらか一つとは割り切れなかった。

 島崎藤村の「夜明け前」の主人公青山半蔵は平田篤胤一門の学徒だった。仏教からの穢のない純粋の古代神道による祭政一致の王政復古を理想として新政府に加わり夢破れて最期は狂死する。藤村は当時の動きを宗教改革だった書いているが既存宗教の破壊に近く日本人の精神の歴史に大きな断層をつくった出来事だった。今は廃仏毀釈で寺や仏教美術品が破壊されたという物的側面以外あまり話題にならないが宗教について確信を持てず態度曖昧な日本人が多いのはそのとき受けた衝撃の後遺症だと思う。

 「神も仏も大好きな日本人」の著者島田裕巳は、もう元には戻らない、しかし日本人はまだ神も仏も愛しており今後も神とも仏とも抑制された親しい関係を保ち続けるだろうと言っている。

 なお、仏前では合掌し神前では柏手(かしわで)を打つのが今の習いだが島田裕巳によればそれも明治になって導入されたことだという。それ以前はどこでも(伊勢神宮でも)柏手などせずただ合掌して祈っていたらしい。考えてみれば神と仏に区別はなかった筈である。それに背筋を張って両手を打つ仕草は庶民がつつましく密やかな願い事をするには相応しくない。