観光先進国への挑戦


                                                                                                                                   前(独)日本政府観光局(JNTO)理事長                                                                                                   元ボツワナ大使
松山 良一

 インバウンドは順調に推移しており、訪日客数は2011年の633万人から2018年の3119万人と大幅に伸びました。東京五輪・パラリンピックが開催される2020年の政府目標を訪日客4000万人、消費額8兆円と定め、官民連携して目標達成に邁進しています。

 震災直後の2011年から2018年まで勤めた日本政府観光局での体験を踏まえ、インバウンドを中心とした観光の動向と課題につき、記したいと思います。

(インバウンドとは)

 連日マスコミで、インバウンド関連の動きが報道されていますが、元々インバウンドとは外国人が日本に訪問する事、アウトバウンドとは日本人が外国に渡航する事を示す業界用語でした。一般的にインバウンドは外国人が当該国を訪問することに伴い外貨獲得、雇用増に直結するため、各国とも熾烈な外国人誘致合戦を繰り返しています。我が国も明治維新以降、外貨獲得、相互理解促進の観点から、外国人誘致、即ちインバウンド促進に努めてきました。外遊でパリを訪れた渋沢栄一と三井物産を創業した益田孝が、パリが多くの外国人観光客で賑わっていることに触発され、1893年外国人観光客のおもてなしを目的とした喜賓会を設立しました。喜賓会はその後多くの変遷を重ね、日本政府観光局(JNTO)にその使命が受け継がれてきました。

(世界の旅行者動向)

 国境を跨いだ旅行者は、全世界で2018年14億人となりましたが、1950年は僅か2500万人でした。最近、旅行者は毎年4~5%伸びていますが、特にアジアの伸びが顕著で毎年7~8%伸びています。地域別シェアでは欧州が45%、アジアが26%、米州が15%、中近東アフリカが14%となっていますが、今後アジアとアフリカの相対的比率が増えると思います。

 産業として見た場合、観光産業はGDPで10%、雇用で10%、輸出でも7%を占めており、産業として重要な基幹産業の一つとなっています。因みに我が国はGDP,雇用いずれも6%程度であり、伸び代は大きいと思います。

(我が国のインバウンドとアウトバウンドの動向)

 明治維新以降、我が国も外国人客の誘致に努めてきましたが、1964年の東京五輪の年35万人の外国人を迎えました。一方、日本人のアウトバウンドは同じ1964年海外渡航が自由化されましたが、僅か12万人でした。

 我が国の経済発展に伴い、日本人の海外渡航が増え、大阪万博の翌年、1971年歴史上初めて、日本人海外渡航者数が外国人訪問者数を上回りました。

 その後、米国との貿易摩擦が激化したことを受け、日本政府は外貨減らしの一環で、国策として、日本人の海外渡航を奨励しました。各国は外貨獲得のため、インバウンドを奨励していますが、日本だけがアウトバウンドを奨励するという異常な状態でした。この結果、円高も相まって日本人の海外旅行が容易となりアウトバウンドは1700万人まで伸びましたが、インバウンドは500万人のレベルで長年推移してきました。

 2003年になり小泉内閣の時、外国人客誘致を目的としたビジット・ジャパン・キャンペーンを開始し、観光立国を目指しました。我が国も漸くインバウンドに軸足を移し各国との足並みを揃え、熾烈な誘致合戦に参戦しました。

 大震災の2011年、インバウンドは前年の861万人から622万人まで落ち込みましたが、安倍内閣となり官民が連携して震災復興と観光立国の実現に邁進した結果、2018年はインバウンドが3119万人、アウトバウンドが1895万人となりました。

 一方、世界に目を向けるとフランスの8690万人を筆頭に、日本は世界では12位、アジアでも中国、タイに続き3位です。まだまだ発展途上です。また、観光で大事なことは、双方向の人の流れを増やすことです。今後は若者を中心に如何に日本人の海外渡航を増やすかの対応も求められています。

(インバウンド増加の要因)

 インバウンドは2011年の622万人から2018年の3119万人と大幅に伸びましたが、国別の伸張を見ると、中国が104万人から838万人、韓国が166万人から754万人、台湾が99万人から476万人、香港が36万人から221万人、欧米豪が117万人から361万人、東南アジアとインドが40万人から349万人となっています。近隣の東アジアからの来訪が大幅に増えていますが、欧米豪、東南アジアも健闘しています。訪日客3119万人のうち観光目的が2776万人、商用目的が179万人です。近年、観光目的は大幅に伸びていますが、商用目的は横ばいです。

 増加の要因としては、第一に、アジアでの経済発展に伴い中間所得層が拡大し、アジアからの来訪者が大幅に増えた事によります。今、まさにアジアでの観光ビッグバンが進行しています。LCC ,クルーズ船も量的拡大に貢献しています。日本は長年アジアの人々にとり、いつかは行きたい憧れの国でした。彼らに経済的余裕が出来た今、日本訪問がブームになっています。

 第二に、政府一丸となった取り組み、即ちビザ要件の緩和、消費税免税制度、日本政府観光局(JNTO)による継続的なプロモーションが奏功しました。

 最後に、訪日客増加に向けた官民が連携し心を一つにしたオールジャパンでの各種取り組みも奏功しました。在外公館の親身でのご協力も大きく寄与しました。この結果、観光旅行先としての日本への関心が高まり、大幅な増加につながりました。

(観光立国の意義)

 観光とは人を動かす力であり、様々な効果をもたらします。第一に、異文化体験を通じ相互理解を深めます。仮に近隣諸国と政治的、外交的に緊張関係にあったとしても、ヒトとヒトとの草の根レベルの交流を通じ相互信頼が深まり、外交を補完する力があります。第二に即効性があり、雇用増、外貨獲得に貢献します。第三に、訪日外国人が地方を訪れると、その地方での経済活性化にも貢献します。地方創生の切り札ともいえます。最後に、当該地域に観光客を呼ぶには、他とは違う独自の魅力を訴える必要があります。その為には地域住民がそれぞれの魅力を見いだし、その魅力を自信と誇りを持って訴えねばなりません。自分が住んでいる地域の価値再認識に繋がります。

(インバウンド観光の最近の傾向)

 急速に伸びてきたインバウンドも最近新たなステージに入ってきました。

 まず、従来は団体旅行中心でしたが、個人旅行、リピーターが増えてきました。また、物見遊山の周遊旅行から、長期に滞在し様々な日本のありのままの魅力を体験したいニーズが高まってきました。訪問地も東京、京都、大阪の所謂ゴールデン・ルートから地方への訪問が増えてきました。個人が最終的に目的地を決める際、口コミの影響力が高まっており、情報発信・伝達の手段として、従来の新聞、雑誌等の紙媒体でなく、スマホ、SNSを使った電子媒体が主流となってきました。

(観光先進国に向けての日本政府目標)

 2020年東京五輪・パラリンピックの誘致決定を受けて、政府は2020年の訪日客4000万人、消費額8兆円の目標を掲げ、観光先進国を目指しています。

 官民連携してオールジャパンで取り組んでいますが、次の三つの分野に注力しています。一つ目は、地方の観光魅力を磨き上げ、外国人観光客を地方に誘客し地方創生に活用すること、二つ目は観光産業を革新して我が国の基幹産業に育て上げること、三つ目として外国人旅行者が全国津々浦々をストレスなく訪れ、観光を満喫できる受入れ体制の整備です。

 従前の政府目標は訪日客数が中心でしたが、今回初めて消費額目標が加わりました。量的拡大だけでなく、質の向上を図ろうとの意図が込められています。

 因みに、インバウンド消費は経済効果ではモノの輸出と同じです。2018年の消費額は4.5兆円でしたが、輸出品目別で見れば、自動車11兆円、化学品7兆円の次です。既に観光は第三の輸出産業になっており、仮に8兆円を達成すれば自動車に次、第二位の輸出産業になることを意味します。

(観光の質の向上について)

 質の高い観光を実現するには、二つの側面があります。一つは、訪日客が日本を満喫しリピート客になってもらうこと。もう一つは訪日客を受入れた観光事業者がしっかり儲かることです。この二つが揃わないと、持続可能な質の高い観光は実現出来ません。このためには、受入体制の整備と、観光産業自身が稼ぐ産業への脱皮を図ること、これを同時に達成する必要があります。受入体制の方は急速に訪日客が増えたため、まだ対策が追いつかず、モグラたたきの感はありますが、官民で取り組んでおり、従前よりは整備が進んだと思います。今後はキャッスレス決済への対応、Wi-Fi環境の整備、英語表示の案内板の整備、京都等有名観光地の観光客集中を如何に平準化するのか、電柱の地中化などの景観保全が課題です。

 世界の旅行者3%の富裕層旅行者が。世界の旅行消費の25%を創出しており富裕層が日本を訪れたくなる環境整備が急務です。具体的には、長期に滞在し消費額も多い、欧米豪、富裕層、国際会議などのMICEを如何に誘致するのか。スキー、登山、国立公園、夕食後のナイトライフの充実など単なるモノ消費ではなく、体験型のコト消費に結びつく新たな観光資源を如何に開拓するのか。ムスリム客をどの様に増やすのか。富裕層が満足する宿泊設備を如何に拡充するのか。などなど富裕層受入に当たって課題は山積です。例えば国立公園は可能性を秘めていますが、従前は環境保全に力点が置かれ観光資源が活用されていませんでした。今後は保全と活用のバランスを如何にとるのかが課題です。日本は手つかずの観光資源には恵まれており、日本人特有のきめ細やかさで、`あなただけ、今だけ、ここだけ`の特別感を醸成すれば、富裕層受入の環境整備は実現可能と思います。

(観光先進国への課題と対応)

 日本は全国津々浦々でそれぞれの歴史、自然、文化と観光資源には恵まれています。また2019年ラグビーW杯、2020年東京五輪・パラリンピック、2021年関西ワールド・マスターズ・ゲームズ、2025年大阪万博とメガイベントが目白押しであり、観光産業が我が国の基幹産業に育ち、観光先進国の仲間入りが出来る素地は整っています。一方、2020年の政府目標のうち、訪日客4000万人は射程圏内ですが消費額8兆円の達成は難しい状況です。今後消費額向上に向け相当のテコ入れが必要です。対応策としては、第一に前項で述べた、欧米豪、富裕層、MICEの誘致をはじめとした観光の質の向上するための様々な対策を確実に実行に移すことです。

 第二に外国人観光客を如何に地方に誘客するかです。地方はそれぞれ観光資源には恵まれていますが、問題はこれら魅力が地元住民に充分認識されず活かされていないことです。外国人目線による観光魅力を如何に磨き上げるのか、地域連携を如何に強めるのか、誘致するターゲットの明確化等々課題はあります。地域のまとめ役、リーダーを中心に成功した地域も多くでています。今後は、こうした成功事例をしっかり学び、各地域が主体的に動き、地方創生に貢献することが期待されています。

 第三に、ビジネスモデルの転換です。即ち日本人相手から外国人相手への転換です。日本人の団体客相手の一泊周遊旅行に対応したビジネスモデルは完成しています。一方、外国人は個人中心であり、長期に滞在し、日本人のありのままの生活、文化を体験したいニーズが高く、これへの対応が出来ていません。

 例えば、温泉地において従来の日本人相手ですと、自分の旅館に客を囲い込み、食事、お土産もすべて提供していましたが、外国人は連泊しますので、温泉地が地域全体で協力し、そぞろ歩きできる環境整備、体験プログラムの整備などが必要です。

 第四に観光産業の労働生産性向上も大きな課題です。ICTの活用に加え、如何に付加価値を上げるのか。如何に他との差別化をはかるのか。最低賃金を如何に粘り強く上げるのか、など難題ずくめです。

(最後に)

 我が国は、従来モノ作りが中心となり高度成長を遂げてきました。観光は遊び、物見遊山のイメージが強く、また、観光事業者は中小零細企業が多く、産業としてあまり重要視されてこなかったと思います。今後は訪日客の増加が期待されています。訪日客という新しいヒトの流れが、新しいニーズを生み、新しいビジネスを創設します。観光産業を日本の基幹産業に育て上げる基盤は整っています。官民連携が進んでいますが、官の役割は、方向性を示すことと、障害となっている規制を緩和することです。観光産業を真の強い産業に変革するのは民間活力の発揮が必須です。民間が自主自立の気概を持ち奮起すると共に、外国人を笑顔で心からお迎えし国を開くとの意識改革が進めば、観光先進国は間違いなく実現出来ると思います。

以上