日ブルガリア交流開始110周年
在ブルガリア大使 渡邉 正人
私は2017年9月にブルガリアに着任した。その直後に日本シンパの皆さんから、「2007年のブルガリアのEU加盟後、全土に数10人規模で展開していた青年海外協力隊員を含む援助関係者及び一部の日本企業が撤退したことにより、日本の存在感が、EU主要国、米国、ロシアや中国と比べ落ちていることは残念だ」という話を聞いた。
(安倍総理のブルガリア訪問)
昨年1月の安倍総理のブルガリア訪問は日本の総理による初のブルガリア訪問となった。着任間もない私は、年末年始の休暇を快く返上してくれた館員に助けられ訪問の準備に取りかかった。昨年前半はブルガリアがはじめてEU議長国の重責を担う時期にあたっていた。
安倍総理はボリソフ首相との会談において、新たな「西バルカン協力イニシアティブ」の下、西バルカン地域の安定に向け連携し合うことを提案した。西バルカン諸国の欧州統合促進を議長国としての最優先課題に掲げていた「ボ」首相は総理の提案を歓迎し、両国間で協力していくことで合意した。この合意の一環として、本年1月に国際協力機構前理事長の田中明彦政策研究大学院大学学長が日本の開発協力の知見共有のためソフィアを訪問し、2月には日本の防災関係者の参加を得て西バルカン防災セミナーがソフィアで開催された。
ブルガリアは一人当たり名目GDPが8,000ドル前後とEU内最低レベルであり、西バルカン諸国向けを中心に対外援助を開始して日も浅いが、新興ドナー国として日本との交流が続くことを期待したい。
安倍総理大臣とボリソフ首相
(写真提供 内閣広報室)
(日ブルガリア間の交流が活発化した2018年)
総理訪問で幕が明けた2018年だが、2月には有力閣僚のドンチェフ副首相が日本を訪問し河野外相はじめ政財界指導者と交流を深めた。9月の国連総会時には河野外相とザハリエヴァ副首相兼外相との会談が行われ、西バルカンへの協力などが話し合われた。11月には参議院議長の招待によりカラヤンチェヴァ国民議会議長が訪日し、天皇陛下に謁見した他、安倍総理、衆参両院議長などとの有意義な会談を行った。
経済面では、6月にジェトロビジネスミッションの派遣と時期を合わせ約40社の日系企業が参加する日本ビジネスフォーラムが開催された。また、住友商事、セガゲームズがブルガリアの自動車、IT分野へと進出し、全農食品を中心とした日本企業も現地企業と提携し日本米を使った冷凍寿司工場を稼働させた。最近、世界銀行がIT等のサービス拠点をソフィアに設置するとの報道が流れ、フィナンシャルタイムズ紙のテックオフィス開設を含めIT企業のブルガリア進出が相次いでいる。欧州内の日本企業の間でも拠点を東方にシフトさせる動きがみられる中、日EU経済連携協定発効とも相まって、日ブルガリア経済関係が再び活性化することを期待したい。
科学技術分野では、前任の山中伸一大使のご尽力により約20年振りとなる科学技術合同委員会が一昨年12月に東京で開催された。その勢いを維持すべく、昨年8月にはサンフランシスコ在勤時にお世話になった山中伸弥京都大学iPS細胞研究所長に北欧出張の帰路お立ち寄り願い、ブルガリア科学アカデミーにおいて講演を行っていただいた。山中大使時代の一昨年四月に行われた天野浩名古屋大学特別教授による講演に続きノーベル賞受賞者による講演が2年連続して実現した。
山中伸弥教授のブルガリア訪問
(ヴァルチェフ教育科学大臣(左)
レバルスキー科学アカデミー総裁と共に)
日本産米を使った冷凍寿司を現地生産
(写真提供 全農食品)
(日ブルガリア交流開始110周年と「三つの周年」)
私の着任後の最初の仕事は、2014年に両国外務省間で開始された両国の交流開始と外交関係樹立の足跡をたどる調査の内容を確認する口上書を交換することであった。両国の古い資料の上で、110年前の1909年、久邇宮邦彦親王がソフィアを訪れ、フェルデナンド国王に謁見し、聖アレクサンドル勲章(一等)を授与されたことが確認された。久邇宮は、露土戦争中に激しい包囲戦が行われたプレーベンにも赴き、“アレクサンドル二世解放者ロシア皇帝”博物館を視察している。この口上書交換をもって、両国間の交流開始年は1909年、外交関係樹立年は1939年であると確認され、外交関係再開年である1959年と併せると2019年が「三つの周年」にあたることとなった。
本年は二国間の友好の歴史を振り返り、未来へ向け協力関係を確認するまたとない機会である。日本国内でも在京ブルガリア大使館及び日本の友好団体等による諸行事が準備されているが、ブルガリア国内では、1月の田中政策研究大学院大学学長による講演会を皮切りに様々な周年行事が企画・実施されている。2月には人工知能での最先端分野を切り開く日本人科学者が来訪し科学アカデミーにおける講演等を行った。ソフィア及びプロブディフにおける能楽公演、著名な日本人音楽家による演奏会、文楽、アニメ、演劇、考古学など多彩なイベントも企画されている。要人相互訪問やビジネスイベントに向けた期待も膨らんでいる。
特筆すべきは、田島高志大使のご尽力により開始された「日本文化月間」が2019年をもって30周年を迎えることである。2010年に竹田恆治大使のご尽力と歴代ブルガリア駐日大使のご協力により立ち上げられたブルガリア人主体の「日本友の会」と日本大使館との連携により、昨年秋の「日本文化月間」期間中、18件の日本文化を紹介する行事が開催された。30周年に当たる本年の「日本文化月間」は能楽公演も含めインパクトのある行事が目白押しである。
(時代と体制の違いを超えた親日国ブルガリア)
着任後3か月目に開催された天皇誕生日祝賀レセプションに参列いただいた賓客の中にシメオン・サクスコブルク元国王の姿があった。「シ」元国王はフェルデナンド国王の孫であり、第二次世界大戦中、六歳で国王に即位するが、1946年にエジプトに逃れその後長くスペインに亡命していた。90年代後半、「シ」元国王は民主化が進むブルガリアに帰還し政治運動を主導し、2001年には首相に就任した。首相在任中の2004年には日本を公式訪問し天皇陛下に謁見した。「シ」元国王は、「天皇陛下のご祖父である久邇宮殿下がフェルデナンド国王に謁見した1909年をもって両国の交流の始まりであると確認されたことは感慨深い」と語った。同じレセプションには、共産主義体制下の30余年間、最高指導者の座にあったトドル・ジフコフ共産党書記長の孫にあたるエフゲニア・ジフコヴァ女史の姿もあった。「ジ」女史は、「1979年に天皇皇后両陛下が皇太子同妃両殿下としてブルガリアを親善訪問された時の写真をたいせつに保管している」と語った。
80年代にマハティール首相がルックイーストを唱える10年以上前から、東欧の共産主義国ブルガリアのジフコフ書記長が、「日本に学べ」と号令をかけ、政治、経済、文化等各分野で日本との関係強化に乗り出したことを覚えている人がどれだけいるだろうか。「ジ」書記長の呼びかけに呼応し、日本の政財界関係者の中にブルガリア・シンパが形成され、70年代から80年代にかけ、政治体制の違いを超えて両国関係は盛り上がりを見せた。この時代については、当時ソフィアに勤務されていた小泉崇大使による霞関会への寄稿文(2016年3月、https://www.kasumigasekikai.or.jp/17-03-10/)及び大先輩の岡田晃大使の著作「ある外交官の証言 水鳥外交秘話」に詳しいが、その象徴が、かつての海外経済協力基金(OECF)の資金と黒川紀章氏の設計により建設され、1979年に完成した「ホテル・ヴィトシャ・ニューオータニ」であろう。ホテルの経営や内装などは変わり、昔の姿を知る人々は驚くようだが、今でもソフィア市民は、このホテルが日本の協力で建設された最高級ホテルであると知っている。
OECF資金が活用されたホテルとしては、バングラデシュの「パンパシフィック・ショナルガオン・ホテル」がある。バングラ
デシュも、建国の父ムジブル・ラーマン首相が日本から学べとの思いから日本との関係強化に取り組んだ南アジア有数の親日国である。
(おわりに)
私たちは、昨年の総理のブルガリア訪問を生かし両国関係を活発化させるべく取り組んでいる。しかし、両国関係が盛り上がりを見せた70年代から80年代、体制移行後の民主化・市場経済化支援が本格化した90年代以降と比べ、招聘等日本との人的交流を促進し、日本の知見共有・対外発信のためのセミナー等を開催する手段は限られていると感じる。ブルガリアのような経済レベルの国がEUに加盟すれば、経済、文化、教育等の面でEU依存度が高まり欧州内の内向きのベクトルが強まることは自然である。日本は、2000年以前にジェトロ事務所を閉じ、2007年以降はJICAを撤退させ、近く国際交流基金を通じた日本語専門家派遣事業も打ち切る方針と仄聞している。対照的に、かつては東欧有数の日本語教育・日本研究の拠点であったソフィア大学や日本語も教える公立の小中高校において、最近は孔子学院の浸透を含め中国からの支援が目立つ。米国は米国援助庁撤退後も米国ブルガリア協力財団を通じた文化、教育分野を含む幅広い支援を継続し影響力を強めている。大韓貿易投資振興公社駐在員を常駐させ企業支援を継続してきた韓
国も近年は文化教育面で存在感を高めている。そのような中、三菱商事が日本語教育・日本研究を担うソフィア大学等への支援を継続していることに感謝の言葉もない。
私見だが、EU加盟後とはいえ、日本語教育・日本研究の点で卓越した基盤のあるブルガリアのような親日国の教育研究機関への協力のあり方については、戦略的な視点から検討されて然るべきではないだろうか。東欧有数の日本の知見共有・対外発信の拠点になり得ると信じるからである。
(本稿の内容は個人的見解です)
三菱商事による日本語教育機関支援
(日本語を教える公立学校への日本文化教室寄贈)