第59回 将来予測

元駐タイ大使 恩田 宗

 世界が大きく動いているが具体的に今後どうなるのか明確な見通しは立てにくい。

 未来予測は情勢が安定していた時代でも難しかった。カルフォルニア大学教授が専門家284人の20年間にわたる82,000件の未来予測を精査したところ当たり外れの平均確率はランダム(さいころ)予測より多少ましという程度だったらしい(P・テットロック「専門家の政治判断」2005年)。将来予測の精度は予測者の学歴・地位・職業などには関係なくむしろ理路整然とはっきり予測しマスコミなどでも評価の高い著名人が外すことが多いという。

 フィナンシャル・タイムズは同社にはリスクを冒してあえて予言する勇気のある執筆者が大勢いるとして2012年の予測を掲載したことがある。老舗の意地である。それによると、世界経済は低迷し欧州経済の崩壊もありうる、金は史上初めて2,000ドルを超え石油は高騰するが危機には至らない、オバマもプーチンも再選されるがプーチンは必要な改革を行いえず4選は(或いは3選の任期満了も)多分無理、エジプトは軍が折れて民政になる、イランは核濃縮を強行するが今年はイスラエルの攻撃はなく対決は来年となる、ミャンマーの民主化は継続されテイン・セインはゴルバチョフになるかも・・だった。当たり外れは半々だった。

 こうした1~2年の短期予測でなく2~30年以上先の未来を考えるのが未来学である。未来学草分けのハーマン・カーンの「紀元2000年」(1967年)や「超大国日本の挑戦」(1970年)は出版当時は評判だった。しかし今読むと、米ソ間の核戦争はないということ以外、イスラム回帰の大きなうねり、ソ連の崩壊、日本の挫折、中国・インド・ブラジル等の急成長など歴史の流れの急所を予見できていない。30年もの長期の予測は当たる方が不思議である。奉天郊外で張作霖が爆殺された時(1928年)これが僅か十七年後に原爆と敗戦で終わる歴史の序章であると誰が予見できただろうか。

 未来学者に言わせると未来学の目的は未来を言い当てることではなく幾つかの大胆で幅広いシナリオを考えておき非常時に慌てずに事態に対処できるようにすることだという。確かに福島原発でも電源の完全喪失をあり得ない架空のこととしてでも想定だけでもしてみていればよりよく対応できたかもしれない。

 なお、予測を間違えた時の対応は色々である。アラブの春を予測出来なかったことにつき、FT紙はbut who did ? と開き直り、NYタイムズ紙のT・フリードマンは象が空を飛んだような事態でありそれを予測できなかった者にその行く先が分かる筈がなくただ見守るしかないと謙虚である。H・カーンは大きな予測違いをしたとは知らず1983年この世を去った。