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アルメニアに命を救われた話


駐アルメニア日本国特命全権大使 山田 淳

 11月15日午後5時50分(アルメニア時間)、小生が夜の公邸設宴について秘書のジェンマと話していたところへ、自室から急に飛び出してきた次席の笹目参事官が「胸が苦しい」と訴え、直ちに当館かかりつけのナイリ病院で診てもらうこととなった。一瞬迷ったが、開始まで1時間を切っている設宴をキャンセルすることが躊躇され「ジェンマ、申し訳ないけど一緒に病院まで付き添ってくれ」と後を託して公邸に向かった。

 この日の客はロシア・カザフスタン・ベラルーシの3大使。それもあって、本来笹目君~今なおウィスパリングで露語同時通訳を難なくこなす~と一緒に「迎撃」する手はずだったが、致し方ない。しかし、早めに切り上げたい今日に限って右が至難な御仁ぞろい(前回カザフに招かれた際は食後も夜半近くまで延々立ち飲み)であり、不安がよぎる。

 7時を過ぎてもロシア夫妻のみ現れない(交通渋滞に巻き込まれていた由)が、笹目君と一緒のジェンマ(以下J)から矢継ぎ早にSNSでメッセージが入り始める。

J「大使、事態は深刻!おそらく心筋梗塞で、ナイリの先生はここでは手に負えないと言ってます。これからエレブニ病院に緊急移送」

~エレブニ!2800年前のエレヴァン発祥の地とされる遺跡近くにあり、灰色の軍艦を思わせるいかにもソ連時代の巨大病院。この夏には人工内耳~UCLAの石山先生も毎年無償で手術を行っている~を移植された少女の初めての「スウィッチ・オン」に立ち合うため一度訪れたが、果たして大丈夫か心配は深まるばかり。

J「今救急車の中。着いたらすぐ検査。おそらくステント手術が必要」~ええーっ!? 

 7時半にようやく全員そろい会食を始めるが、とても食事が喉を通らない。くつろいだ様子で隣のロシア大使が色々話しかけてくるが当方全くの上の空で、はなはだ申し訳ない。もっとも自律的に盛り上がる(?)ことに長けた人々なので、小生がメッセージ確認のため15分刻みで中座しても誰も気にしない点は幸いである。

J「今すぐ血栓吸引とステントの手術が必要。同意を求められているけど、笹目さんもう麻酔がかかってる。すごい額の治療費になりそうで、私手持ちないしどうしよう?」

~「費用も同意も全部僕が責任持つので、今そこで可能なあらゆる処置をお願いして!」

 9時。テーブルは随所で爆発的に盛り上がっており、カザフ大使が何か深遠な哲学論をぶっている。ロシア大使もますます上機嫌で「オフチンニコフ」「ツヴェトフ」等々かなり年代物の日本関係者名を懐かしそうに繰り出すが、当方はニコニコして相槌を打つのが精一杯。

J「今ちょうど手術の最中。祈るしかありません」

 ~この間、動けない小生の代わりに館員各位がてきぱきと連絡を取り、モスクワの医務官に逐次指示を仰ぐとともに、医務官からは万一の緊急移送に備え東京のアラームセンターと外務本省の診療所にも連絡して頂く。

 10時。コーヒーが終わるのを見計らい意を決して一同に対し「実は次席が心臓発作を起こし・・・」と打ち明け、お引き取り願う。皆よい人々で真底心配してくれ、直ちに辞去。ロシア大使車(レクサス)が見えなくなると同時に館長車に飛び乗り、エレブニに急行。

 病院でジェンマが出迎えてくれる。さすがに疲れている様子だが表情は明るい。

「少し前に手術が終わって集中治療室にいます。意識はあり大丈夫そう!」

今日の彼女を見ていると、あるロシア人の言葉が思い浮かぶ。

“Армяне красивый и умный народ”(アルメニア人は麗しく聡明な民である)

 館員の報告を受けたモスクワの医務官から、この日のエレブニ病院の措置は仮に日本であっても相当高度な部類に属する旨のコメントを頂いた。1時間45分を要した右冠状動脈血栓の吸引術・ステント留置術はヴァハン・ムヒタリャン医師が執刀したが、ジェンマいわく同人はアルメニア一の心臓外科の名医、日本で言う「神の手」とのことであった。聞けば彼女の夫の家系は代々医者で、姑も心臓外科の権威という。(しかし、ヴァハン医師はこの日果たして当直だったのだろうか?ひょっとしてジェンマが家族を通じて口をきいてくれたのでは・・・)後日、天皇誕生日に当館を来訪越したサルキシャン大統領の言によれば、独立後未だ日も浅い頃米国から移住したディアスポラの女性心臓外科医が基礎を築き、爾後アルメニアの心臓医学は世界的にも高レベルにあり、何と大統領の妹も心臓外科医のリーダー格である由。また、今回エレヴァン市内の移送はスピーディーであったが、これが先進国(に限らず)大都市だと一分一秒が生死を分ける状況下で渋滞に巻き込まれる恐れがむしろ大きい。本当に今回の笹目君は、何と幸運であったことか!

 ICU内で顔を合わせた笹目君は既に顔色も良く、「ご心配かけて申し訳ありません。もうすっかり痛みもなくなりました」と普段の様子に戻っていたが、そこに無二の親友で山岳ガイドのヴァズゲン君が駆け付けると笹目君の表情がぱっと輝き、得意のアルメニア語ですらすら入院中の頼み事をし始めたのには舌を巻いた。これはもう大丈夫だろう!在勤中、週末の山歩きが趣味であった笹目君はヴァズゲン君と2人でおよそアルメニア中の山という山を踏破し、無数の写真を記録に残している。そもそもこの国は日本からいきなり来ると幹線道路の両側ですら既に絶景の連続に思えるが、そこから更に自分の足で奥まで踏み込むと最早名状し難い衝撃的な美しさの別天地がそこにある。機会をみて是非写真集を出版し、世界中の「見るべきほどのことは見つ」と豪語する日本の人々の度肝を抜いてほしいものである。ヴァズゲンはその後も入院中の笹目君を甲斐甲斐しく世話し続け、正に国と民族を超えて「持つべきものは友」ということを実感させた。(もっとも、その後順調に回復したとはいえ笹目君を早々と山歩きに連れ出したのは頂けない・・・山中で発作になったらどうするつもりだろう!) 他にも結婚式で笹目君が仲人同然であった秘書のエリーナ夫妻、大使館事務所の大家の息子アラム(こちらも大恩人)、外交団中の登山仲間等々、彼が入院中のICUはお見舞いの順番待ちで賑やかであった。

 4年前の開設準備期に遡り、笹目参事官は文字通りゼロから当館を立ち上げる中心であり続けた。アルメニア語にも習熟し、心血を注いでこの国と日本の関係の向上に努力してきた。元々心臓の既往症など一切なく、毎週欠かさず数千メートルの山々を踏破してきた本来頑丈なタイプの彼が突然このような発作に見舞われたこと自体、本人のみならず我々外務省員すべてにとっての警鐘であろう。同時に今回アルメニアという国が、あらん限りの熱意と愛情を注いできた彼に対しこうした形で見事に恩返しをしてくれたことに、深い感動を禁じ得ない。今や以前にも増して元気になった笹目君は間もなくアルメニアを去り、研修時代を除き生涯初となる先進国勤務に就くが、彼とその仲間たちが文字通り体を張って残した礎は何としても守り抜き、新設後間もないこの館と未だフレッシュな両国関係をどこまでも発展させていきたいと思う。恩返しに対する恩返しである。

エリーナ(左)ジェンマ(右)


アラガツ(標高4092m)
山中のゲガロット滝 

ヴァズゲン(左)