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スポーツ(サッカー)と国際交流


在ベトナム大使 梅田邦夫

 私は、二種類の名刺を持っています。一つは、特命全権大使、もう一つは、日本サッカー協会国際委員、アドバイザリー・ボード・メンバーの名刺です。日本サッカー協会の肩書は、2014年、ブラジル赴任に当たり協会からいただいたものですが、特別の義務はなく、サッカーを通じた交流を自分独自に推進しています。

(1)研修時代(1979-1981年)

 40年以上の外務省人生において、サッカーに大いに助けてもらいました。研修時代、スペイン人チームに所属した際、日本人がサッカーをするのかと珍しがられ、大切にされました。チームメイトには、高校時代、地域のプロリーグでプレーしていた選手もおり、レベルの高さに驚きました。スペイン・リーグの試合を観戦できたことも、「サッカー眼」を養う上で財産になりました。

(2)インドネシア勤務時代(1987-1990)

 インドネシア勤務時代、日本代表チームのオリンピック予選の試合、また、日本リーグ某チームの交流試合がジャカルタでおこなわれました。両方の試合共に引き分けでしたが、代表チーム同士の試合では、完全アウェイの雰囲気の中、ハーフタイムにペットボトル等が投げ込まれ、正直、日本が勝てば、暴動がおこるのではないかと本気で心配しました。引き分けで「ホッ」としましたが、代表チームの試合で、勝利でなく、引き分けを願ったのは初めてのことでした。また、インドネシアとの引き分けが、Jリーグ発足前の日本サッカーの実力でもありました。

 日本リーグの某チームには、大学選手権で優勝し、全日本までいった知人が選手兼コーチで同行していました。彼は引退後の生活を真剣に心配しており、「梅田は外務省に就職できて良かったな」と言われました。幸い、この知人はJリーグ発足後、テレビ解説で活躍の場を得ることができ、私はテレビに映る彼の姿に「祝意」を送りました。

(3)Jリーグ発足(1993年)

 Jリーグ発足と共に日本サッカーの状況は一変しました。才能ある多くの若い人材が大学や高校卒業後もサッカーを続け、生活できる場が大きく広がりました。また、日本サッカーも着実に強くなり、海外で活躍する選手を輩出し、私が若い頃は夢ですらなかったワールド・カップの常連になりました。

 私自身、Jリーグ発足直後、地元少年チームのコーチを務めだしたことから、日本国内のサッカー人脈が徐々に広がりました。

(4)河野洋平外務大臣のブラジル訪問(1994年)

 河野大臣のブラジル訪問の際、大臣は、リオでアベランジェFIFA会長と会談し、翌年の「日伯外交関係樹立百周年」を祝う親善試合にブラジル代表チームを日本に招待されたところ、同会長からその場でOKとの回答がありました。私は報道課首席事務官として大臣一行に同行し、この会談には同行記者と共に特別に同席していました。OKの返事があった際、大臣も含め日本側参加者全員で拍手しました。翌年の試合は、5対1で完敗でした。

 当時、Jリーグでは、ジーコ、ジョルジーニョ、レオナルドをはじめとする錚々たるブラジル代表選手がプレーしており、ブラジル国内ではJリーグの試合がテレビ放映されていました。

(5)ペルー勤務時代(1997-1998年)

 大使公邸人質事件解決直後のペルー勤務では、週末の楽しみは国立競技場でのサッカー観戦でした。二人のボディー・ガードがいつも一緒でした。FIFAワールド・カップ・フランス大会南米予選を含め多くの試合を観戦しましたが、ペルーチームが得点すると大きな花火が打ちあげられました。

 ある国際試合を観戦していた際、館員の一人が、花火の爆発音を聞き、体の震えが止まらなくなりました。この館員は、花火の音は人質事件解決時のペルー軍の突入を思いだすとの事で、一年近くの任期を残し、帰国を余儀なくされました。

 また、私自身の離任直前、日本からの要請を受け、元体育庁長官でもある丸井ヘラルド氏(元ペルー日系人協会会長)の全面協力を得て、日本・ペルー代表チームの親善試合をペルーサッカー協会に働きかけました。この試合は、翌99年日本(キリン・カップ)で実現し、両国代表チームの初試合(引き分け)となりました。

(6)北京勤務時代(2007―2010年)

 時は流れ、北京オリンピック(08年)では、04年アジア・カップ中国大会時に発生した反日行為(国歌演奏時のブーイング、日本人観客へ罵声を浴びせる、モノを投げつける等)を再発させないことが最大の課題でした。当時、日中間の多くのもめごとは、男女を問わずサッカー試合が契機となっており、中国公安当局も「自国のイメージ悪化」を防ぐ観点から、とても協力的でした。私は、「なでしこジャパン」の安全対策を担当しました。「なでしこ」が準々決勝で中国代表チームとの直接対決となり、試合直前の打ち合わせは、日中双方ともに真剣でした。実際、ファン同士のイザコザ発生が感知され次第、日中双方の担当官が現場に直行し、もめ事の拡大を防ぎました。試合は日本の完勝で、最後は中国人ファンの中国チームに対するブーイングで終わりました。幸い北京オリンピックでは、他の競技でも目立った反日行動はなく、無事終了しました。

(7)ブラジル勤務時代(2014-2016年)

 ブラジルではFIFAワールドカップ・ブラジル大会(14年)とリオ・オリンピック・パラリンピック(16年)を経験しました。ワールド・カップ時、日本サッカー協会の名刺は、大使の名刺以上に歓迎されました。

 これら二つの大会では、共通の三課題がありました。一つ目の課題は、日本選手や日本の応援団が「強盗」に遭わないようにすること、万が一遭遇しても、命を守るために絶対に抵抗しないことを徹底すること。二つ目の課題は、地球の裏側で如何にして応援を盛り上げるかということ。三つ目の課題は、要人の受け入れ。特に、リオでは東京オリンピック・パラリンピックを次回に控え、日本から様々な目的の要人来伯があり、目的に沿った形で受け入れること、次につながる教訓を東京の関係者に繋ぐことでした。

 課題1(強盗対策)と2(応援体制)については、ブラジル各地の日系人団体の全面的協力を得ることができ、ワールド・カップ(事前キャンプ及び公式試合、計4都市)及びオリンピック・パラリンピック期間中(事前キャンプ、練習試合、公式試合、計5都市)、日本人が被害者となる深刻な人身事件・事故が発生しなかったこと、また、各地において日本選手・チームが手厚い応援を得ることが出来たことは、大変有難いことでした。

 課題3(要人対応)に関連し、安倍総理のオリンピック閉会式参加、武藤事務局長等東京オリンピック関係者の長期滞在がありましたが、ブラジル側の全面協力がありました。また、大使館・総領事館・応援出張者は、オリンピック関係者を支えるとともに、東京オリンピック・パラリンピックに向けて気づきの点を出来るだけメモにして共有しました。

 これとは別に、2014年8月、安倍総理の公式訪伯の際、首都ブラジリアにジーコ、ドゥンガ、アルシンド、サンパイオ、セルジオ越後等、日本サッカーの発展に大きな貢献のあったブラジル人に集まってもらい、日本サッカー協会とともに「感謝の集い」を開催しました。その会合では、安倍総理から直接「感謝の意」を伝えていただきましたが、ブラジル国内では、首脳会談以上に大きく報道されました。

(8)ベトナム勤務(2016年11月-現在)

 ハノイ着任次第、越サッカー協会に挨拶に行きました。アセアンの中でもベトナム・サッカーが強いとの印象はなく、ベトナムにおいてサッカーで貢献できる事はあまりなかろうと考えていましたが、大きな間違いでした。

 2018年1月、U23アジア大会・男子チーム準優勝(史上初)、8月ジャカルタ・アジア大会・男子代表チームベスト4、12月スズキカップ・男子代表チーム優勝(10年ぶり)、今年1月アジア・カップ準々決勝で日本代表チームと接戦の末の敗退、とベトナム・サッカーは「躍進の時代」を迎えています。

 昨年1月、U23代表チーム帰国時には、何十万というハノイ市民が出迎え、勲章も授与されました。好成績は偶然ではなく、10年程前に開始した若手育成プログラムの大きな成果です。ベトナムにおいてサッカーは、男女を問わず、大人から子供まで人気が高く、フック首相、ガン国会議長等指導者が先頭に立って応援しています。

 代表チームの活躍はベトナム国民の「誇り」と「一体感」を高め、国全体に大きなエネルギーを生み出しています。私は、U23越代表チームの東京オリンピック出場は十分ありうると考えています。

 大使館では、昨年夏以降、日本に行く女子代表チーム壮行会、U17男子代表チーム壮行会などを公邸で実施しています。また、昨年10月フック首相の訪日時、両国首脳の前で「日越サッカー協会間覚書の署名・交換」を実現できたことは、交流促進の観点から有益でした。そのフォローアップとして、今年4月より女子代表チームに日本人監督が就任予定です。

 男子代表チーム監督は韓国人ですが、彼の存在は韓越関係全体に測り知れない好影響を与えています。なお、フィリップ・トルシュエ元日本代表監督(仏人)は、ベトナム若手育成ファンドの常勤顧問、フットサル代表監督には、ミゲル・ロドリゴ前日本チーム監督(西人)という日本との縁が深い方がついており、彼らとの連携も強化したい考えです。

(9)セルジオ越後氏の講演会(昨年末)

 20年来の友人でもあるセルジオ越後が、ハノイの講演会で国際交流とスポーツの役割について、次の3点を語りました。

・1点目は、国際交流におけるスポーツの最も大切な役割は、人と人、国と国を繋ぐことです。セルジオ越後や私の場合は、サッカーを通じ多くの人と国を知りました。このことはどのスポーツでも同様です。

・2点目は、相互理解が深まる事です。国民的スポーツは、その国の歴史や文化を反映しています。どうしてサッカーは人気があるのか、その国のプレー・スタイル、応援の仕方を知るだけでも、その国の国民性や文化に対する理解が深まります。

・3点目は、国や人を成長させることです。スポーツをやっていると、ライバル関係というものが生まれます。例えば、サッカーでは、ブラジルとアルゼンチン、日本と韓国、強烈な競争意識を持ちながらも、お互いを高め合う存在となっています。

(10)終わりに

 東京オリンピック・パラリンピックは、日本への親近感を増幅するとても貴重な機会です。私は、日本という舞台に一人でも多くのベトナム人選手に出場してもらいたいと願っています。そのために、「スポーツ・フォー・トゥモロー」というプログラムを活かし、健常者のみならず、身体障碍者スポーツ、また、サッカーのみならず柔道や空手等の競技における日越交流にも力を注ぎたいと考えています。(了)