ニュージーランドのラグビー事情あれこれ
外務省参与 前ニュージーランド大使 髙田 稔久
スーパーラグビーの強豪『ハリケーンズ』の
ジャージ(選手のサイン入り)を着た筆者
いよいよ今年はラグビーワールドカップ2019日本大会が開催される。9月20日の開会式から11月2日の決勝戦にかけて世界中から沢山のラグビーファンが日本を訪れることとなろう。その中でも、代表チームであるオールブラックスのワールドカップ3連覇のかかるニュージーランド(以下NZ)からはとりわけ多くの訪問客が来日するであろうことは間違いがない。日本は初の決勝トーナメント進出、すなわち、ベスト8入りを目指している。予選リーグでは日本はプールA、NZはプールBに属しており、それぞれの上位2チームが準々決勝で当たることになるので、日本は首尾良く決勝リーグに進んでも直ちにオールブラックスという難敵と戦うことになる可能性が大である。しかし、勝敗はともかく正にそのような展開になることを強く期待したい。
私はラグビーについてはNZに赴任する前から一定の興味は持っており、テレビで試合中継があれば時々観戦もしていた。しかし、ルールを深く覚えるわけでもなく、何となく面白いので何となく見ていたという程度であった。それが郷に入っては郷に従えということでもないのだろうが、NZですっかりラグビーの魅力にはまってしまった。NZのトップレベルのチーム同士の試合は体力、技術、スピード、あらゆる点で文句なく理屈抜きで面白い。また、冬の夜の試合でスクラムともなれば、がっしりと組み合った16人のプレーヤーの塊から濛々と水蒸気が立ち昇るが、照明の光の中でのその光景も美しく感動的である。そもそもラグビーの試合を観戦して何が面白いのだろうかと考えてみたのだが、私のたどり着いた答えは、ラグビーにはスポーツのあらゆる要素が含まれている、ということである。走る、(ボールを)投げる、蹴ることに加え、選手の体同士のぶつかり合いもある。点の取り合いということでは0対0というようなゲームはほとんどなく、そこそこに点が入るし、得点の仕方も複数ある。さらに、得点だけではなく、(もちろん、最終的には得点に結びつかなければならないが)陣取り合戦の要素もある。ラグビーではチームの実力が発揮されてあまり番狂わせはないとされるが、後述の日本南ア戦のようなこともあるし、どう転がるかわからない楕円形のボールが使われており、個々の局面では偶然の要素に左右されることも多い(もちろん、思ったようにボールを弾ませるテクニックというものがあるのかもしれないが。)。完全オフの土曜日は、ゴルフの後シャワーを浴び、夕食を済ませて、NZワインか日本のウイスキーを片手に19時35分からのキックオフを待つことが私のルーティンとなった。何とも至福の時であった。ワールドカップ日本大会の我々日本人にとっての意味は、レベルの高い、すなわち、見ていて面白く感動的な世界のラグビー全48試合を間近で、かつ、集中的に見ることが出来るということであろう。正に、「四年に一度じゃない、一生に一度だ。」というワールドカップ組織委員会のキャッチコピーは気が利いている。この機会に是非日本でラグビー・ファンがさらに増えてもらいたい。
ラグビーのルールは確かに複雑で分かりにくい。試合を楽しむにはルールについて一定の最低限の知識は必要であろう。しかし、それほど深い知識が必要なわけではないと思う。私はラグビーのルールの解説本を一冊斜め読みしただけであるし、ラックやモールでレフェリーが笛を吹いても、一体それが何なのかは未だに俄かには分からないが、それでも十分に楽しめていると思う。ウェブを見るといろいろな早分かり的な解説が載っているが、組織委員会でも数ページ程度の解説パンフレットを作成、配付されれば多くの人の役に立つのではないかと思う。
ラグビーの国代表、あるいは、有名なチーム名を一つだけ挙げよと言われれば、圧倒的に多くの人がオールブラックスの名を挙げるであろう。確かにオールブラックスは強い。20世紀前半以来、テストマッチと呼ばれる公式国際試合の成績が548戦して423勝、106敗、19引き分けと、勝率77%の圧倒的な強さを誇る(2016年10月までの数字)。近年の勝率はさらに高い数字になるというので調べて見たら、1987年以降では(先の数字と重複する部分があるが)、429戦して365勝、56敗、8引き分けで、勝率は何と85%である。さらに私が在勤していた2015年6月以降では、45戦中40勝、4敗、1引き分けで、勝率は9割近くになる。(注、オールブラックスのホームページを見て書いているが、どうも漏れもあるようなので、数字は厳密なものではない。) サッカーにおけるブラジル代表よりもずっと強い。2015年の前回ワールドカップ・イングランド大会で、日本は南アフリカ(スプリングボックス)を破り世界を驚かせたが、この南アこそオールブラックスの勝率が一番低く60%を下回ってしまう国である。したがって、NZ国民にしてみれば、6対4で勝ち越してはいるもののいつも苦戦している南アを破った日本は凄いということなのである。ちなみに、南アは日本に敗れたのがウェイクアップ・コールとなりその後準決勝まで勝ち進んだ。そこでオールブラックスと当たり18対20の2点差の僅差で敗れた。決勝はオールブラックスが豪州(ワラビーズ)を34対17のダブルスコアで破ったので、NZ南ア戦が事実上の決勝戦であったと言えるだろう。
オールブラックスの名前の由来には諸説ある。一つは20世紀初頭のイングランド遠征の際、「NZチームは攻撃が素早く、(フォワードを含め)全員が攻撃に積極的に参加するバックスのようだ。」とロンドンの新聞が評し、バックスがなまってブラックスとなったとするものである。ところがそのような新聞記事はどこを探しても見つからないそうである。もう一つは、欧州から遠いNZなので、遠征の際汚れが目立たず洗濯がしやすいように黒のユニフォームにしたとか、当時はまだラグビー新興国であったNZとしては黒以外の他の色はもう他国に使われていたというようなものである。真偽のほどは分からないが、ラグビーにはこのような歴史的逸話が多いような気がする。オールブラックスのことだけではなく、ラグビーの起源とされる英国ラグビー校でのエリス少年をめぐる話、あるいは、ラグビーのボールは何故楕円形なのかといったようなことである。今となっては真実を確定するということは出来ないであろうが、自分の信じたいストーリーを信じるというのも何か楽しい気がする。
ところで、ワールドカップ組織委員会が作成した日本大会プロモーションのためのピンバッジはNZではすこぶる評判が良い。まず第一に基調となっている色は黒である。これを見て多くのNZ人はにやりとし、「日本人はカラー・オブ・ストレングスをよく分かっているね。」と言ってくれる。次にワールドカップのWと大会テーマのユニティーのUの字の間に描かれている朝日を背にした富士山を見て、これはタラナキ山(マオリにとって聖なる山で、山容が富士山とそっくりであることから映画ラストサムライのロケが行われた)だというのである。NZ人は日本の組織委員会はワールドカップで日本代表チームがオールブラックスにあやかって活躍することを願ってこのようなバッジを作ったと半分信じている。
人口500万人に満たないNZが、どうしてラグビーのような個々の選手の体力にも相当程度依存するチームゲームにおいて圧倒的なナンバーワンの地位を保っておられるのか、興味深いテーマであると思う。私の答えは月並みなものであろうし、答えになっていないのかもしれないが、恵まれた環境に加え、NZ社会全体の仕組み、国民の意識がそれを支えている、広い底辺がトップのレベルを高く保ち(より高くし)、レベルの高いトップが広い底辺を保つことに貢献しているという良循環が機能しているのだと思う。NZの少年にとってオールブラックスはおそらく日本でプロ野球とJリーグを合わせた以上の憧れの存在である。そして憧れを抱きつつ学校や地域のクラブチームで存分にラグビーをプレイ出来る。それぞれの段階、レベルに応じたコーチとコーチ体制も揃っている。当然厳しい練習と競争があるが、オールブラックスのメンバーとなれば(金銭的なことは知らないが)社会的にも尊敬をされる。元オールブラックスというのはいわば勲章であり、立派なタイトルなのである。あるNZ人が私にこういうことを言った。「英国や豪州ではラグビーは上流階級のスポーツで、庶民はサッカーをやる。南アではラグビーはまだまだ白人のスポーツだ。NZでは国民皆のスポーツだ。」これがどの程度当たっているのか私には分からないが、もしそういうことが今も言えるのであれば、500万人というNZの人口は他国の1000万人、2000万人にも匹敵するのであろう。また、マオリ系の人達、太平洋島嶼国系の人達の存在も大きいと思う。オールブラックスにはそういうバックグラウンドの選手も多い。大柄で骨太、いかにも強そうな彼らがスピードとスタミナを合わせて持っていれば素晴らしいプレーヤーであることは不思議ではない。NZのラグビーにも悩みはある。ラグビーはその魅力の裏返しでもあるのだが、やはり激しい危険なスポーツである。そのため、近年NZでは息子に対して「危ないラグビーはやめてサッカーでもしたら。」と言う母親が増えているそうである。それがどの程度作用しているのかはわからないが、学校でラグビーをする子供の数は減少しつつあり、サッカー人口が増えているそうである。ラグビーを支える底辺の縮小が起きつつあるとすれば、10年後、20年後のオールブラックスはどうなっていくのであろうか。少なくとも100%安泰というわけではないのであろう。
オールブラックスがNZスポーツ界をリードし代表する存在であることを示す好例が他のスポーツの代表チームの愛称である。NZのクリケット代表チームはブラックキャップス、サッカー・チームはオールホワイツ、ホッケーはブラックスティックス、女子のラグビー代表チームはブラックファーンズという具合である。白黒に関わりなく、当然それぞれがオールブラックスのようになりたいと願っている。もう一つNZらしいと思われることを紹介したい。それはワールドカップでのオールブラックスの試合日程とワールドカップ期間中のNZ議会の審議日程の関係である。NZ国会は毎年2月から12月の半ばまで、2、3週間審議しては1、2週間休会というパターンを繰り返すのであるが(一週間開会としても原則的には火曜日から木曜日いっぱい、したがって、議員はウェリントンに金帰月来を繰り返す。)、今年の審議日程予定が面白い。オールブラックスの予選4試合の日程は9月21日、10月2日、同6日、同12日である。決勝トーナメントでは準々決勝が10月19日か20日、準決勝は同26日か27日、決勝が11月2日である。これに対し、国会審議が行われるのは、9月17日から19日、同24日から26日、次は10月15日から17日、同22日から24日、その次が11月5日から7日となっている。実はこの審議日程を決めるのは議長の専権であり、毎年末頃に発表されるのだが、私は現議長のトレバー・マラードさんが試合日程のカレンダーを見ながら頭を悩ませていたであろう様子が目に浮かぶ。結果としては議員さん達も後ろ指を指されることなく最大限(滞在期間、回数)訪日をしてオールブラックスを応援できるような国会日程になっていると思う。マラード議長はきっと「我ながら上手い具合に日程を組んだものだわい。」と満足しておられるのではないかと思う。
最後にラグビーのレフェリーについて触れておきたい。試合中のレフェリーの権威は絶対である。選手達は自分に不利な判定がなされても決して抗議というようなことはしない。ましてやレフェリーに対する暴力などは一切あり得ない。(もちろん、10分間の退場を命じられたりすれば、一瞬しまった、残念という顔はするが、直ぐにシンビン(退場中の待機場所)に向けて駆け出す。) このようなことは試合を見ていて気持ちが良い。また、レフェリーは選手と一緒に試合を作っていく司会者のような存在だと言われる。レフェリーの任務は、時間の管理、人の管理、そして、ルールの適用の三つに尽きると言われるが、他のスポーツの審判に比べて前二者についての役割は格段に大きいものがある。レフェリーだからと言って当然に尊敬されるものではないだろう。当たり前の話だが尊敬するに値する審判、進行役であってこそ尊敬されるのである。一流のレフェリーは、体力、知識、判断力、経験すべてにおいて優れていなければとても勤まらないと思う。現在はレフェリー、二人のアシスタント・レフェリーに加え、第4の審判としてTMOが確立している。TMOとはテレビジョン・マッチ・オフィシャル、すなわち、ビデオ判定(員)のことである。TMOを求める権限はレフェリーに(だけ)ある。TMOに対しては、試合の流れを阻害してしまうとか、試合時間が長くなる、選手に不必要な休息を与えるとか批判もあるようだが、私は微妙な状況がはっきりと分かりとても良い仕組みだと考えている。もう一つは、TMOをよく見るようになって、攻撃側だけでなく、それまで私には見えていなかったディフェンドする側の選手の職人技が見えるようになってきた(たとえば、トライが決定的な状況でも何とか手のひらを差し伸ばす等してボールのグラウンディングを防ぐ)。ラグビー観戦の楽しみがまた一つ増えたと個人的には考えている。(了)
<事務局注>
このホームページの「大使館の窓」では、これまでに掲載された次のようなラグビーに関する寄稿文にアクセスできます。
2016・01・21 林景一(英) ラグビーワールドカップを終えて
2016・11・14 花田卓治(フィジー) 最近のフィジー情勢
2016・11・26 沼田行雄(トンガ) 遠くて近い国、トンガ