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第56回 振り仮名

元駐タイ大使 恩田 宗

 区の図書館の検索機に「鑑真大和上傳の研究」を平仮名で打ち込むとないという。蔵書リストに「がんじんやまと・・」と間違って入っていたからである。漢字には色々な読みがありこうした間違いが起る。日本語の表記法の欠陥で予防するには仮名を振るしかない。奈良時代は仮名がまだ発達していなかったため平城京がヘイジョウキョウだったのかヘイゼイキョウだったのか、小使いの仕丁がシテイ、シチョウ、ジチョウ、ツカエノヨボロのどれだったのか今分らないらしい。

 振り仮名が一般化したのは民衆教育が進み彼等が本を読むようになった江戸後期以降のことだという。読み本などは漢語の左右に音と意味の二つを付ける丁寧さだった。明治の小新聞は全ての漢字にルビを振っていたが昭和になっても講談全集などは総ルビで小学生でも読めた。智識層向けの小説にはルビは選択的につけられた。漱石の「明暗」を見ると漢字の四割がルビ付きであるが乾燥(はしゃぐ)、退避(たじろぐ)、隠(ポケ)袋(ット)などルビの方に漢字を強いて当てたようなものもある。漢字の読みや扱いがまだ自由だった時代だからである。

 政府は昭和21年日本語をより簡明でより規則性のある言語に改革するため漢字数を制限しその讀みも1~2種類に止め「振り仮名は原則として使わない」との指針を定めた(当用漢字制度)。以来、公文書や新聞雑誌からはルビは大方姿を消した。作家も人にもよるがルビを必要とするような漢字の使い方あまりしなくなった。村館春樹の小説を開くと2頁に1つ程度しか使っていない。

 ルビは読みの指定だけでなく複線的な表現をしたい時に便利に使える。井上やすしは日本語の本質に根ざす貴重な工夫だと主張した。歌曲の作詞家は心の微妙な陰影を少ない言葉で描写するため今でもルビを愛用している人が多い。ただ歌詞が聴き取るものでなくカラオケなどの画面で読み取るものになってからはやや乱用気味である。愛の温度(ぬくもり)、はかない愛(ひかり)、舞酔(まよい)い雪、幻想(ゆめ)、恋文(しらべ)、匂(にじ)艶(いろ)などと漢字に関する社会的合意への違反がはなはだしい。

 中国や韓国の地名、人名は少し前までは主要紙でも裸のままの漢字で書かれていて現地でどう発音されているのか分らないことが多かった。周近平がシーチンピンだと覚えれば外国人と話をしたり外国語の新聞雑誌を読む場合困らなくてすむ。不正確な発音であっても現地音に慣れてくれば言葉の違いからくるそれ等の諸国への違和感も緩和される。新聞雑誌による現地音のルビの添付は読者の意識の国際化に大きく貢献すると思う。