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キルギス共和国のこと


在キルギス特命全権大使 山村 嘉宏

1.キルギス人とは

 キルギスというと、私には忘れがたい思い出がある。

 40年ほど前、モスクワで語学研修中であった私が知人の結婚披露宴に招かれたときのことである。私の隣に座った可憐な日本人女性に話しかけたのであるが、彼女は日本語を解しなかった。キルギス人だったのである。そのあと向かい合わせに座った日本人商社員の夫妻も、彼女を私の妻と勘違いした。それほどキルギス人と我々はよく似ている。

 私が2016年7月に当地に赴任して以来、あきれるほど頻繁に耳にする伝説によると、「太古、キルギス人と日本人は兄弟民族であったが、魚の好きな人々が東に去って日本人となり、肉の好きな我々は残った」。日本民族は、南方と大陸からそれぞれ移動してきた2つの塊をルーツとするようだが、一説では、大陸から来た集団の発祥の地はシベリアのバイカル湖周辺ということで、しかりとすれば、バイカル湖西岸で生まれたとされるキルギス民族と近しかったという説をあながち伝説とは決めつけられないかもしれない。キルギス人も我々同様、蒙古斑をもつ。

 キルギスは、スキタイなどと共に、最も古く歴史文書に記述が残る騎馬・遊牧民族である。19世紀後半からロシア帝国の強い影響下に入り、1917年のロシア革命後ソ連邦に組み入れられたが、ソ連邦が崩壊に向かう混乱の中、1991年に独立し、初めて自前の国家体制を整えるようになる。

2.日本とキルギスの出会い

 その1991年のこと、当時モスクワの大使館の二等書記官であった私は、ソ連共産党が保有する市内のホテルの一室で、茂田宏公使(のちに国際情報局長、駐イスラエル大使)のアカーエフ初代大統領との会談に同席した。アカーエフ氏は、その後長期にわたり政権を維持するうちに縁故主義に陥り、2005年、腐敗に憤った国民に追われ国外に逃亡することとなるが、それはさておき、その穏やかな笑顔と柔らかい物腰、常に相手を立てる謙虚さ、高度な知性を感じさせる話術などに私は深い感銘を受けた。

 元駐日キルギス大使が、「日本はキルギスタンを通じて中央アジアを発見した」と的確に述べている。キルギスは、日本が中央アジアで最初に親密になった国家である。アカーエフ大統領という人物の魅力もさることながら、同大統領がキルギスにおける民主主義と市場経済化の推進を強く宣明したことが日本政府の関心と共感を引き出し、我が国はキルギスとの関係強化と支援に力を入れていくこととなる。

3.民主国家キルギス

  これといった産業や天然資源を欠くキルギスが、圧政者ではあったろうが同時に庇護者でもあったソ連邦から抜け出し国際社会の中で生きていくためには西側諸国と国際機関による支援が不可欠である。それを得るために民主化・市場経済化は避けて通れないと大統領は考えたようだ。

 権威主義の名残りを引きずってはいるが、私は、今日、中央アジア五カ国のうちキルギスタンのみを民主国家と呼ぶことができると考えている。なぜ全体主義国家ソ連の枠組みに長くはめ込まれていたキルギスがほどなくして民主国家となり得たのかというのは、興味深いテーマである。

 遊牧民族は束縛を嫌い、自由を強く選好する。自由は民主主義との親和性が高い。キルギスの部族は、クルルタイと呼ばれる全員の集会で物事を決めてきた歴史がある。キルギスは国土の93%が1,500m以上の高地である。峻険な山々に覆われているため、大きな部族集団が成立しにくく、全体を束ねるような強い勢力が現れなかったということも背景にあろう。民主主義の素地があったのである。

4.日本の支援

 日本は1992年にキルギスと外交関係を樹立した。翌年にはJICAが研修事業を開始、爾来我が国は一貫してキルギスタンの民主化と市場経済化、経済の自立を側面援助し、さらに保健・医療、教育分野などの社会面での支援も継続して実施している。特筆したいのは、人作りへの貢献である。毎年15名の公務員を選抜し、日本の大学で2年間修学させている。卒業生は、キルギス政府機関で高い地位に就いている。2016年には初めて大臣(法相)を輩出したほか、次官クラスや大統領府・首相府の主要ポストに座る卒業生も多い。

 キルギスは、経済的にはいまだよちよち歩きである。貧困は大きな問題であり、一人当たりGDPは約1,200ドルにとどまっている。国内に職がないため、人口の優に1割を超える国民がロシアやカザフスタンに出稼ぎに出ている。産業基盤が貧弱で、政府は外資の導入に努めているが、生産分野に投資する諸外国は少ない。我が国も同様であるが、少数ながら、キルギスへ投資する民間企業が出てきている。

5.ロシアと中国の狭間で

 歴史的経緯から中央アジアを自らの勢力圏と見なすロシアは、中央アジアへの影響力の保持に腐心している。キルギスについては、2015年に「ユーラシア経済同盟」に引き込み、同時に、これに伴うキルギスの経済的ショックを和らげるための巨額の基金を設けた。経済同盟加入の功罪についてはいまだに議論があるが、キルギス人出稼ぎ労働者の地位が安定し、ロシア等からの送金が増えている。2018年6月には、ロシアはキルギスの対露債務約2億4千万ドルを棒引きした。

 一方、キルギス南部で国境を接する中国のキルギスへの浸透は目をみはらせる。中国は、惜しげもなく無償資金、借款、民間資金をキルギスにつぎ込んでいる。主な対象は道路建設、石油精製所建設、金鉱開発などであり、投資に限ると、2018年上半期の対キルギス直接投資は約9700万ドルで、ロシアの約2700万ドルを大きく上回った。2017年の貿易額でも中国はロシアを上回っている。キルギスの対中債務は、10年前にはゼロであったとのことだが、近年増大の一歩をたどり、現在、対外債務の約4割を占めている。経済的な影響力では、今や中国がロシアを凌駕したと言えよう。

 キルギスは「一帯一路」への賛同と協力を表明しているが、もちろん疑念もある。ある元政府高官が、「キルギスが独立したとき、それまで交流がまったくなかった西側諸国との関係の構築には自信がなかった。一方、中国は隣国であるので、うまくやっていけると考えていた。しかし現実は逆であった」と述べていたのが印象に残っている。

 地政学的に見て、キルギスを含め中央アジア諸国がロシアと中国という地域の大国との関係に意を用いずに発展することは難しい。中央アジアでは、ロシアが政治・安全保障面を手当てし、中国が経済面で面倒を見る、という「分業」が成立しているようである。ロシアには、中国の高まるプレゼンスへの苛立ちはあるだろうが、中央アジアの経済的な発展が地域の安定につながれば、それはそれでロシアにとっても利益となるはずである。中央アジアでのロシアと中国の覇権争いを懸念する声もあるが、中ロ関係が良好に推移している間はその可能性は小さいと考える。両国の確執がもたらしうる中央アジアの不安定化は中ロ両国の安全保障への脅威となる。中ロ双方にとってこの地域の安定は重要であり、その辺は両国とも冷徹に計算しているのではないか。

6.テロの脅威

 今この地域の安定を脅かしているのはイスラム過激主義の浸透である。この地域でのテロの脅威が語られて久しい。キルギスでは、2016年8月にウイグル人が当地の中国大使館を狙った自爆テロが発生している。キルギス国籍者が海外でテロ犯となっている事例もある。

シリアなどに戦闘員として出国したキルギス人は数百人とされ、キルギス政府は帰国する戦闘員を注意深く監視している。我が国も国連薬物・犯罪事務所(UNODC)を通じ、過激主義対策に資金を拠出しているが、同時に、これらキルギス人の多くが貧困度の高い南部出身者であることを見ると、長期的には、過激主義の問題の根本的解決のためには経済的な発展が待たれる。

7.終わりに

 我が国は、中央アジアの安定と外に開かれた、自立的な発展を支え、この地域の平和と安定に寄与することを目指している。キルギスには、日本の経済力と技術力への期待が大きい。「中国だけの進出は怖い。日本にも来て欲しい」との声を数え切れないくらい耳にした。

 中央アジア諸国はいずれも親日的であるが、キルギスは格別である。日本語学習者の数も単位人口当たりでは中央アジア一と見られている。中央アジアは、先の大戦で日本が負の遺産を背負った北東アジアや東南アジア諸国と異なり、まっさらな白紙から信頼関係を構築しえている貴重なアジア民族の国々である。キルギスも、ことあるごとに我が国の援助に謝意を表明しつつ、国際機関での選挙や決議の採択に際してしばしば日本を支えてくれるなど、国際場裏での協力も良好である。

 「日本の支援には野心がない」と言うキルギス政府関係者は多く、日本への好意と信頼は厚い。我が国はこれからも両国関係を大切に育てていくべきであろう。(了)

 (本原稿は、筆者の個人的見解です。)

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