欧州の将来:英国のEU離脱を超えて


EU代表部大使 兒玉 和夫

< 欧州の将来:英国のEU離脱を超えて>

(はじめに)

 以下は、全て筆者の個人的見解であり、文責は全て筆者個人に帰するものであることをまず申し述べる。

 筆者が一昨年9月、欧州連合(EU)日本政府代表部大使としてブリュッセルに着任し、2年と2ヶ月が過ぎた。この間筆者は、英国のEU離脱問題、移民難民問題、テロの脅威、ポピュリズム、反グローバリゼーション、反EUといった諸課題の荒波と格闘するEUを間近で観察してきた。この先に、EU統合の歩みは一体どうなるのか、EUの一体性は揺らいで行き、英国に続く離脱国が現れるのか、といった欧州の将来に関する難問が待ち受けている。

 一方、我が国とEUとの関係は、ハロルド・マクミランの言葉を借りるなら、We’ve never had it so good! と形容できるほどの発展を見せている。その最たる成果が、日EU経済連携協定(EPA)と同戦略的連携協定(SPA)の署名(2018年7月17日於:東京)である。現在、日本政府及びEUは、EPA及びSPAの締結及び実施(SPAについては暫定適用)のための双方の国内手続を年内に終えられるように、最大限の努力を傾注している。    

 TPP11が12月30日に発効することが確定しており、これに続く形で日EU・EPAが発効すれば、世界全体に占めるGDPのシェアで見ると、日EU・EPA:27.8%、TPP11:13.3%というメガ自由貿易圏が誕生する。その両方の誕生に果たした日本の貢献は大であり、正に、日本外交の勝利といっても過言ではないと思う。EUの現状の揺らぎ、将来への不確実性はあるが、EPAとSPAとは、日EU関係に確固たる法的基盤を与えるものであり、2019年は、日本、EU双方が文字通り戦略的提携・協力関係の飛躍的な拡大に向けて協働する画期的な年になるということは、明言しておきたい。

EUとはどのような存在なのか?

 EUの直面する課題と将来の見通しを論じる前に、EUとはいかなる存在なのかについて、必要最低限の歴史的経緯を顧みておきたい。1957年にEEC(欧州経済共同体)として開始した「欧州統合」の歩みは、1993年発効のマーストリヒト条約によりEU(European Union: 欧州連合)に、そして、2009年発効のリスボン条約により今日の姿のEUへと「超国家性の深化」と「加盟国数の拡大」を繰り返しつつ発展してきた。加盟国数は、6カ国から28カ国に拡大する一方で、EUという組織の本質は、「超国家的実体」(supranational entity)しての側面を「深化」しつつも、依然として、地域レベルの「主権国家間の合議体」(regional inter-governmental entity)としての側面、つまりは、二つの側面のせめぎ合いを維持しながら今日に至っている。この動態的なEU統合プロセスは、人類史上例を見ない(sui generis)実験であるが故に、その実体を正確に理解するのは大変に骨の折れる作業となる。

 EUが有する「超国家的実体」と「政府間合議体」という両方の性格を象徴するものが、非加盟国特命全権大使に対する、信任状を2通提出の要請である。一通はトゥスク欧州理事会議長(inter-governmental body)に、もう一通は、EUの執行機関(supranational entity)たる欧州委員会の委員長に提出するようにという慣行である。更に申せば、EU域内にはもはや従来のような国境は存在しないとの事実(EU域内の人、モノの移動における出入国管理、税関検査はシェンゲン協定加盟国については撤廃されている)や欧州中央銀行(ECB)と域内共通通貨ユーロの存在こそは、EUが「超国家的政治・経済統合体」であることを象徴するものである。

EUの統治機構の現状とは?

 次に押さえておくべきは、EUの統治機構の仕組みである。EUの統治機構は、3つの主要な組織で構成されている。第一に、トゥスク欧州理事会議長が取り仕切る28カ国加盟国首脳から構成される「欧州理事会」(その下位に加盟国閣僚により構成される「EU理事会」があり、両者はEU法・予算を含むEU統治に関する意思決定機関の役割を有する)がある。第二に、ユンカー委員長が率いる「欧州委員会」(EU法・予算の企画立案及び執行機関;EUの行政府的機能を果たす)である。欧州委員会は、貿易分野においては、対外的にEU加盟国を代表して交渉する権限を有しており、例えば、欧州委員会を含むEUがG7の一員であるという意味で、超国家的存在として認知されていると言える。第三に「欧州議会」である。一院制、751議席を有し、欧州市民の直接選挙で選出され、EU法・予算・条約締結に関しEU理事会と意思決定権限を共有する。欧州議会の権限は、欧州統合の進化に伴い、一貫して拡大してきている。このことも、EU自体が超国家的性格を強める役割を果たしている。

 以上から言えることは、EUは、加盟国が域内の人、モノ、サービス、資本の移動の自由を保障するため自国通貨発行権、出入国審査権限、税関検査権限をEUに委ねたという意味で、間違いなく「超国家的」組織である。しかし同時に、財政主権、外交・安全保障の分野においては、あくまでも加盟国政府間の合議体として、絶え間のない政策調整が行われており、意思決定は、全加盟国一致という原則で行われている。これらを総合すれば、EUは、加盟国がその主権をある程度EUに束ねたという意味で「超国家的存在」であるが、同時に、「加盟国政府間の合議体」(inter-governmental な意思決定組織)としての側面も併せ持つというのがより正確な位置づけといえる。

EUが直面する課題その一:英国のEU離脱

 EUは、誕生以来60有余年の歴史の中で、多くの困難、危機に直面してきたが、その都度、危機を乗り越え、そうした危機を変革のバネとして、更なる統合深化、加盟国拡大を続けてきた。しかし、2016年6月の国民投票の結果、英国民がEU離脱を選択したことは、EU統合の歯車を逆回転させかねない重大な危機として受け止められた。本問題は、現在も離脱交渉が進行中であり、交渉経緯等を含め詳細に立ち入ることは差し控えるが、英国のEU離脱問題と欧州統合の将来についての私見は、以下の通りである。

 筆者の結論を述べるなら、欧州統合の歩みは、独仏両国の「もう二度と両国が干戈を交えることはしない」という覚悟、つまりは、両国が主導して欧州に「運命共同体」(Community of Destiny)を創設するという覚悟の下に開始された。ところが、英国にとってのEUとはあくまでも「利益の共同体」(Community of Shared Interests)にとどまり続けたのである。共通通貨ユーロからのオプト・アウト、シェンゲン協定(締約国間の国境検問の廃止)からのオプト・アウトにより、英国は、EUの中心から辺境へ離れ続けていたという指摘は間違ってはいない。

 個人的な体験として、1977年夏、英国研修に旅立ち、最初に参加したケンブリッジ大学におけるサマー・コースの講義で、現代史の教授が、「英国人の欧州に対する認識は、「Fog in the Channel, isolated the Continent」に象徴的である。」と指摘したことを昨日のことのように思い出す。英国人が「欧州」というとき、往々にしてそこには英国は含まれていない。英国はEUのメンバーでありながら、統合に邁進するEUとは距離をおかざるを得ない、そういう多くの英国人の、理性的というよりは、感覚的な拒否反応を見事に言い当てているように思う。筆者は、更に、1988年から3年半、在英大使館商務班において、EU単一市場誕生を間近に控え、欧州大陸進出の橋頭堡としての英国への進出を目指す日本企業を支援し続けた経験をもつ。仏を始めとする大陸欧州諸国の、ややもすれば、保護貿易主義的な動きを牽制し、最終的にはリベラルな単一市場形成に最も貢献したのが英国であったことを知る外交官の一人として、今回の離脱の決定は余りにも多くの歴史のアイロニーを含んでいるように思えてならない。

 離脱交渉は、2018年秋、山場を迎えている。EU側、27カ国首脳にとって、英国の離脱の意味は、離脱投票直後から明確かつ一貫している。第一に、本問題の本質は、EUというクラブの一員として、その権利を享受し、また、会員費納入も含め義務を果たしてきた英国が、ある日突然に、自らの判断で、クラブを脱会したいと決断したことから発生した問題であるということ。第二に、クラブ脱会に際しては、脱会者がクラブ脱会のルールに従うのは当然の道理である。第三に、脱会後の英国が、クラブ会員であった時と同様の便益をクラブ側から享受することを期待しているとしたら、それは「良いとこ取り」であり、現会員との関係で許されない。

 以上の基本原則から読み取るべきは、EU27カ国の側にある、EUの将来を揺るがすような加盟国の離脱は、英国をもって最後にしたい、という強い意志の表れである。離脱交渉の着地点は依然不透明のままであり、「ノーディール」離脱という双方にとって最悪の結果も排除されていない。

 しかしながら、如何なる結果になるにせよ、EU統合の歩みが現状でとどまったままになる、とは思わない。英国は、Global Britain(主権国家としてのnational identityを最優先)を選び取り、 Britain in Europe(国家主権を欧州連合にある程度束ねる)という選択肢をこれ以上受け入れることができなくなった、ということであり、英国なきEUは、再びEU統合深化のアジェンダに取り組むことになる。これが筆者のとりあえずの見解である。

< EUが直面する課題:移民難民問題にみるEUの苦悩 >

欧州への移民難民流入危機発生の発端

 今日EUが直面する最大の課題は何か、と問われるなら、筆者は、迷うことなく移民難民問題への対応である、と答える。EUにおける移民難民問題が危機的な状況になったのは、2015年夏、シリア情勢悪化等を背景に、地中海東ルート(トルコ経由ギリシャへ)、及び、地中海中央ルート(リビア経由地中海を経てイタリアへ)を通じてEU域内に大量の難民が押し寄せたことによる(注1)。この移民難民の規模は、第二次大戦直後の難民危機以来の規模といわれていた。EUの移民難民対応原則は、EUが1990年に採択したダブリン条約(その後,EU規則による二回の改正を経て現在はダブリン規則と呼称。)に基づいていたが、同規則は、難民が最初に上陸したEU加盟国が庇護申請を審査する義務を負うと定める。問題は、既に、ギリシャ、イタリアに両国だけでは庇護申請を担えないほどの移民難民が押し寄せてきたという事情にある。

 ドイツ政府は、2015年8月21日、「ドイツはシリアからの全ての庇護申請者を歓迎する」との声明を発表する。つまり、ドイツ政府は自ら一方的にダブリン規則の適用を停止し、シリアからの庇護申請者であれば、ドイツ自身が庇護申請者の審査を引き受けると決断したのである。ダブリン規則は、いわば「平時」のルールであり、シリア難民が大挙して欧州に押し寄せた事態は、もはや「非常事態」であって、ダブリン規則の適用が対応不能に陥ったとしても不思議ではなかったのである。こうした事態を憂慮して動いたのが、メルケル独首相であった。同首相は、2015年9月、独政府としてシリア難民に門戸を開放すると宣言したのである。メルケル首相のメッセージは、「全ての庇護申請者は尊厳と尊敬をもって遇される」というものであった。このメルケル首相の決断が、その後の移民難民の欧州への流入を更に促したのは否定できない(注2)。EU域内の2015年の庇護申請者数は約130万人、2016年は、約120万人、つまり、この2年間でEU域内に約250万人の庇護申請者を受け入れることになる。

EU域内における反移民感情の高まり

 メルケル首相の人道主義的な寛容な政策は、しかし、ドイツ国内では、反移民政策を唱える極右政党ドイツのための選択肢(AfD)の勢力伸長を招くと共に、移民難民受け入れに否定的な東欧諸国の反発を招くことになる。2015年をピークにEU域内に大量に流入した移民難民を目の当たりにしたEU域内の世論は、急速に反移民感情を強めていく。それこそが、2015年以降のこの3年間の欧州各国におけるポピュリズムの高まり、アンチEU、更には、各国総選挙における反移民を掲げるナショナリスト政党の躍進を支えた最大の理由である。

EUレベルの難民移民問題の解決に向けた取り組み

 EUは2015年秋以降、懸命にEUとしての統一的、包括的な解決策についての合意形成に努めてきているが、主要な対策は以下の通りである。

 第一は、ギリシャ及びイタリアの負担の軽減、加盟国間の公平な負担の分担を目指したダブリン規則の例外措置としての16万人の移民難民の再移転計画の実施である。本計画は、EUが対応措置として、2015年9月に決定、その内容は、ギリシャ、イタリア内に留まる移民難民の内、16万人については、2年間で他の加盟国に再移転するというもの。ハンガリー、スロバキア、チェコ、ルーマニアは反対するも、EUの特定多数決ルールが適用されて採択・実施に移される。2018年10月末現在で、再移転計画の実施状況は、イタリアから約1万2700人、ギリシャから約2万2000人、合計約3万4700人(当初計画の21%)の再移転が実現(注3)。一人の移民難民も受け入れていない加盟国は、ハンガリー、ポーランド、また、チェコは12人、スロバキア16人のみを受け入れており、東西加盟国間の亀裂は深刻である。

 第二は、東地中海ルートの封じ込めである。これは、メルケル独首相が指導力を発揮して、トルコのエルドアン首相と交渉した結果、2016年3月にEUトルコ合意を締結、この合意により、トルコ経由の移民難民流入は、90%減少するという劇的な効果をもたらした。

 第三は、地中海中央ルートの封じ込めである。2017年夏、イタリアを中心としてリビア国境警備隊との協力を強化、この結果、リビア経由の移民難民は80%減少したといわれる。

 第四は、EU域外国境の強化である。2016年10月、欧州国境・沿岸警備隊(Frontex; Frontieres exterieures)が発足、各加盟国で行っていた域外国境管理をEUレベルでも管理することになる。

 第五は、アフリカ諸国(移民の発生国・通過国)との協力強化である。EUとしては、開発支援や財政支援を見返りに、こうした国々の移民対策、送還受け入れの協力を要請している。優先対象国は、ニジェール、ナイジェリア、セネガル、マリ及びエチオピアである。

EUにおける移民難民問題の今後の展望

 以上見てきた通り、EUが懸命に、EUとして一体的に対策を講じようと努力してきていることは事実である。しかしながら、同時に、以上に指摘した対策の実施に関しては、加盟国間の負担の公平化を目指すダブリン規則改正の見通しは全くたっていない。V4諸国(ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア)に至っては、難民移民の再移転は受け入れられない、との立場を崩していない。また、オーストリアの中には、庇護申請の受付はEU域外で行うべきといったこれまでのEUの取組を根底から否定するような主張もあり、移民難民問題の着地点を見いだすことは極めて困難な様相である。

 本件は、政治問題そのものであり、加盟国間の不協和音がこれほど強いということは、EUが依拠する基本的価値、人権擁護、人道主義、寛容を説くだけでは解決し得ない問題であることを意味する。2018年10月にEU27カ国全域で行われた世論調査(Parlemeter 2018)(注4)によれば、次期欧州議会選挙(2019年5月)に向けた最大の優先課題は何かという質問に対する回答の中で、トップから、移民難民問題(50%)、経済と成長(47%)、若年者失業問題(47%)の順となっている。この3年間の間に行われたEU加盟各国で行われた総選挙においては、反移民を掲げるポピユリズム政党が躍進している事実は否定しようがない。来年5月の欧州議会選挙に向けた選挙戦が移民問題を最優先課題として戦われることになればなおさら、反移民政党の勢力伸長は避けられないかも知れない。そうなれば、移民難民問題の解決には、相当時間がかかりそうであり、EUとしての結束を保った解決策に合意する道筋は未だ見えない。

 筆者の私見ではあるが、EUが直面している移民難民問題と中南米諸国との間で米国が面している移民難民問題の根っこは同じである。米国もEUもおよそ世界中で最も繁栄しており、市民が安全に暮らすことができるポストモダンな国、地域なのである。一方、いわゆる移民難民発生国の状況はどうか。ギャングの暴力から国民の生命・財産を守ることができず、腐敗が蔓延し、学校を卒業した若者に職がなく、法と秩序という公共財が提供されないような状況に絶望して母国を離れざるを得ないという決意をする人々が居るのだとしたら誰もそうした人々を非難することはできないのではないか。そうした国家の課題の克服なしには、移民難民問題の中長期的な解決は望むべくもないのである。

 この点、ユーラシア大陸の極東の島国である日本は何と恵まれていることであろうかとも思う。

終わりに

 この稿を終えるにあたり、もう一つの大変興味深い最新の世論調査結果を紹介したい。本年10月、EU28加盟国において行われた世論調査で「もし明日あなたの国がEUに残留すべきか或いは離脱するべきかの国民投票が行われたらあなたはどちらに投票しますか」との質問への回答結果である(注5)。EU28カ国平均で、66%が残留、17%が離脱、17%が不明、と回答した。残留と答えた比率が最低の国は低い方から、イタリア(44%)、チェコ(47%)、クロアチア(52%)。筆者は、移民難民問題の解決の難しさ、そのEUの結束に及ぼす悪影響を否定するものではない。しかし、それでも、EU統合の歩みが逆戻りするようなことは決してないと思う。最後に、もう一つのデータを記す。同じ質問は、実は英国民に対してもなされている。結果は、残留(53%)が離脱(35%)を上回った。

(注1)2015年のEUへの庇護申請者数は、130万人、2016年は、120万人(欧州委員会発表)。因みに、米国の2000年から2018年の間の年平均の庇護申請者数は、5万2千人である。EUの面積は、米国の45%、人口は、米の1.8倍であることを考えれば、2015年、2016年に欧州を襲った移民難民危機の衝撃の大きさがわかる。国連によれば、シリアにおける紛争継続が難民急増の主因とされており、ギリシャ、イタリア、ハンガリーが、シリア難民に加え、その他の中東・アフリカ地域からの移民難民の流入の矢面に立たされた。

(注2)ドイツを目指す難民は、トルコ、ギリシャ、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国、セルビア、ハンガリー、オーストリアを経由してドイツに流入した。

(注3)欧州委員会発表(https://ec.europa.eu>press-material>docs)

(注4) 出所:Parlemeter 2018,QA10T

(注5) 出所:Parlemeter 2018, QA3

(2018年11月30日脱稿)(了)