「世界の屋根」で考えたこと
在タジキスタン大使 北岡 元
(1)タジキスタンへ・・・
「あのアフガニスタンの北に接する国に行くのか!」と口走ったのが一昨年の5月。
「初代常駐大使として、タジキスタンに行くように」との指示を大臣官房からもらった時の話である。
一昨年7月9日に着任してからは、「足で稼ぐ」をモットーに、とにかく「日本から、常駐大使が来たんだ」と皆に分かってもらえることを最大の目標にして、全国に「顔見世興行」を開始することとなった。
(2)「世界の屋根」で考えたこと。中国の進出とアフガン国境
(ア)パミール人と気合を入れて「世界の屋根」へ出発!
一昨年9月になって残された訪問先が「世界の屋根」、パミール高原を擁するゴルノ・バタフシャン自治州である。
東北地方とほぼ同じ面積で、全国土の45%を占めるが、人口はわずか2.5%。
超過疎で貧困なこの地は、しかし過去に日本が多くの経済支援を行って来た大切な場所でもあるので、そこへの早期訪問は自分の着任以来の念願であった。
それがようやく実現する運びとなったのが9月20日のことだ。
「自治州」という名が示す通り、広範な自治権を与えられた独立志向の強いパミール人が生活を営むこの地に、ようやく足を踏み入れることが出来る。
自分はかなり興奮気味であった。
幸い我が日本大使館には、パミール人の職員が3人もいるが、そのうち2人が同行してくれることとなった。
大使館の最長老で、いつも自分の参謀役を務めてくれるM氏と、英国留学経験があり流暢な英語を操るNさんという組み合わせで、まことに心強い。
一行は、早朝大使館に集合。
普段はムスリムの「お祈り」をしている姿を見たことがないM氏が、一行全員を集めてアラーに祈りを捧げた。
地元民のパミール人でさえ自治州への超過密な日程による訪問前に「気合」を入れている。
こちらの気持ちも自然と引き締まった。
首都ドゥシャンベを出発して一路南下し、南部ハトロン州のクロブ市を通過してから左折して東進。
「手練れ」の評判高いベテランの館用車の運転手のランドクルーザーで、徐々に道路状況が悪化する中を、夕刻には自治州の玄関、ダルヴォズ郡に到着。
計5泊6日の自治州初訪問の始まりとなった。
(イ)呼吸困難は、ウォトカで荒療治
我が国が実施している様々な経済協力のプロジェクトを視察しつつ、ランドクルーザーは自治州の深奥に向かっていく。
平均標高が5千メートル、最高のソモニ峰が7,495メートルという「世界の屋根」、パミール高原の威容を目の当たりにしながら、標高が上がるにつれて呼吸が困難になるので「このまま死ぬのではないか」という恐怖すら感じた。
二人のパミール人は、にくたらしいほどにケロリとしている(当たり前だが・・・)。
迎えに出た地元の郡長さんの勧めで、ヴォトカの一気飲みを何回か繰り返すと、不思議なことに呼吸がすっかり楽になってしまった。
後で医者に聞いてみると、血液の流れが速くなって酸素が体内に急速に回るので、医学的根拠があるのだそうだ(ただし一種の荒療治だから、読者には決してお勧めしない。やりたい人は自己責任でお願いします)。
(ウ)道中のキーワードは「アフガン人」と「中国の車」
M氏とNさんが同乗するランドクルーザーは、しばしばタジキスタンとアフガニスタンを隔てる国境となるピャンジ河に沿って走行する。
M氏は、大事なことを強調するときに日本語を使う。
今回の訪問中ランドクルーザーに同乗しながら、二つの日本語を頻発することとなった。
対岸のアフガニスタン側に目視出来る人影を指差して「アフガン・ジン(アフガン人)」、そしてすれ違う車両を指差して「チュウゴクノ・クルマ(中国の車)」。
まず「アフガン・ジン」だが、ピャンジ河はところによって、本当に「これが国境か」と思いたくなるほど狭くなる。
まさに「指呼の間とはこのことか」という感じである。
Nさんが「対岸には親戚が住んでいる。電話も拡声器もいらない。地声で対岸と会話出来る」と言った。
時々国境警備隊の隊員が銃を携えて河沿いをパトロールしているので「ああ、やはりここは国境なんだな」と我に返る、という感じである。
そして「チュウゴクノ・クルマ」だが、その数の多さに驚かされる。
漢字を荷台や幌(ほろ)に表記した中国のトラックが、タジキスタン東端にある国境を超えて西進し、東進する我々と頻繁にすれ違うのだ。
(エ)最大の投資をする中国のお家事情
自分は着任後間も無く中国とタジキスタンとの関係につきインタビューした中国の専門家、Y氏との会談を思い出していた。
今や中国からの投資はロシアを抜いて、海外からの全投資額の60%を占め、進出企業数は300社を超える。
未だに進出企業が僅か1社という日本とは著しい対照だ。
「なぜここまで違うのか?」という自分の問いにY氏は次のように答えた。
地理的に隣接していること、未だに低品質だが廉価なものを求めるタジク市場の需要を中国企業が最も良く満たせること、タジキスタンの治安が悪化すると国境を接する中国西部(新疆ウイグル自治区)の治安までが悪化してしまうこと、そして中央アジアが「一帯一路」の重点地域であること。
「中国企業は進出しているのではない。中国政府の国策に従って、進出させられているのだ。それが日本との最大の違いを生んでいる」とY氏は結んだ。
(オ)国境市場の役割。国境を開放する!
アフガニスタンとの国境には、我が国がリハビリを施している国境市場が幾つかあるので、そこを視察。
ピャンジ河に架けられた橋梁によって可能になった、両国民の唯一の出会いの場である。
タジキスタンの通貨ソモニ、アフガニスタンの通貨アフガニ、米ドル、そしてロバまでが取引の単位になって、大変な賑わいだ。
売られているものは、文字通り「何でもあり」という感じで、日用雑貨から電化製品、食料、飲料、そして家畜までが取引されている。
そして買い物の合間に、至るところでタジク人とアフガン人が親しく話し込んでいる。
「同じ文化と同じ言語を持った人々が、たった一本の河で引き裂かれている。しかしこの市場でだけは会える。ここは取引の場として重要だが、同時にコミュニケーションの場としても重要なのだ」とM氏が教えてくれた。
国境を開かれたものにする、ということの重要性を考えさせられる瞬間となった。
(カ)国境管理施設の役割。国境を守る!
さて我が大使館の一行は、中途よりUNDPタジキスタン事務所の一行と合流。
日本がUNDPと連携して行っている国境管理の強化を目的とした関連施設整備プロジェクトを視察するためである。
自治州の最南端イシュカシム郡にあるランガールがそのサイトだ。
1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻した際ここを通過した、という歴史を思い浮かべながらの視察後の夜、酒を酌み交わしながら、事務所長でオランダ人のハルフスト氏が「国境とは何か」について自分に語ってくれた。
故郷の港ロッテルダムを引き合いに出しつつ、氏は国境の本質を「『守れ!』しかし『開放せよ!』」の自己矛盾であると喝破した。
ロッテルダムでは麻薬の取引が厳重に取り締まられているが、それでも取引は行われている。
もしそれを100%止めようとすると、貿易が滞って経済が窒息する。
「『守れ!』しかし『開放せよ!』」の自己矛盾をバランス良く乗り越えることによってのみ、国境は本来の役割を果たせる、というのが氏の主張であったが、これは自分に大変重く響き、今でも響き続けている。
(3)国境について考えたこと
(ア)「守れ!」しかし「開放せよ!」
数々の思い出を後にして「世界の屋根」より首都のドゥシャンベに帰還。
その後「国境」という概念が頭から離れなくなった。
海に囲まれた日本から来た自分にとって、アフガン国境は、ハルフスト氏の既述の発言と合わせ、自分に「国境」に対する発想の根本的な転換を迫るほどのものであったのだ。
むろん「守れ!」という国境の側面は重要だ。
実は我が国は、UNODCとも連携して国境管理施設のリハビリや新設を行っている。
そのサイトは、南部ハトロン州の最南端のタグノブにあり、国境管理施設のリハビリがつい最近完了し、式典が挙行されたばかりである。
現地で国境警備隊の司令官ラフモンアリー氏が「ここは時々越境を試みる麻薬の運び屋や過激主義者と銃撃戦が起きて、彼らと国境警備隊員の双方に死者が出る。危険だが、だからこそ最も重要な施設がとことん老朽化していた。しかしリハビリのおかげで、今見違えるようだ。警備隊員の士気も大いに高まった。大統領を含め、皆が日本に深く感謝している」と語ってくれた。
しかし国境市場の例に見られるように「守れ!」だけでは経済が窒息してしまう。
(イ)自己矛盾を乗り越えるために。真の専門家を育てることの重要性
本年6月8日、自分は、首都にあって日本がOSCEを支援して運営されている「国境管理スタッフ養成大学」の女性指導者養成コースの修了式でスピーチを行った。
「『守れ!』しかし『開放せよ!』」という国境の自己矛盾をどうして乗り越えるべきか、が自分のスピーチのテーマであった。
答えは国境管理の専門家、それも国境管理のあらゆる側面を熟知し、時に及んでは「守れ!」と「開放せよ!」をバランス良く勘案しつつ判断出来る「真の専門家」の育成である。
「だからこそ、厳しいカリキュラムに耐えてコースを無事に修了した卒業生の皆さんに期待するところ大である」と自分は結んだ。
国境を「守る」、「開放する」、そして、その矛盾を乗り越えるために「真の専門家を育てる」。
3つをバランス良く支援出来ているのは、タジキスタンでは日本だけだ。
自分はそのことを、初代の常駐大使として大変誇りに思っている。(了)
(2018年7月16日記)
UNODCと連携した日本の援助でアフガニスタンとの国境管理施設リハビリが完了! 国境警備隊司令官ラフモンアリー氏、そしてUNODC中央アジア地域代表のミッタル女史とテープカット。
UNDPと連携した日本の援助でアフガニスタンとの国境管理施設の建設が進むランガール。1979年にソ連がここからアフガニスタンへ侵攻した歴史を思い浮かべながら・・・
日本がOSCEを支援して運営されている「国境管理スタッフ養成大学」の修了式。OSCE大使のユーリョーラ女史、学長のホランド氏とともに卒業証書を授与。
アフガニスタンとの国境にある市場を視察。文字通り何でもあり!