トゥンベリ、ウプサラそして東京
駐スウェーデン大使 山崎 純
本年は日本・スウェーデン外交関係樹立150周年であるが、それに関わりがありまた印象深かった幾つかのことにつき書かせて貰うこととしたい。ここで書くことはあくまで個人的な意見であり、所属する組織のものではないことをあらかじめお断りしておく。
小生は2年10ヶ月前に大使として赴任するまでスウェーデンに足を踏み入れたことが無かった。それ故、赴任に先立ち出来るだけスウェーデンにつき知見のある方々にお会いしてお話を伺うこととした。それには歴代駐スウェーデン大使も含まれていた。その中の一人O大使は東京から遠隔の地で自然に囲まれた生活を満喫しておられたが、東京に来られる機会にお話を伺うことが出来た。美味しい天ぷらをご馳走になりながら、スウェーデンにつきいろいろ伺ったが、中でも力説されていたのが、1700年代にオランダ東インド会社の一員として出島に来訪滞在し、更にオランダ商館長の江戸参府に随行する機会があったスウェーデン人の医学者・植物学者カール=ペーテル・トゥンベリ(Carl Peter Thunberg)のことである。同人の日本滞在は1775ー1776年のわずか15ヶ月間ではあったが、その間に観察した事柄を科学者らしく几帳面にかつ客観的に記述した文章を残しており、一読に値すると勧められた。日本人の国民性、衣服、家屋、食物、産業など広範な分野にわたって当時の日本の様子を描写するとともに当時の日本の科学の状況についても記述した文章であり、確かに日本との関わりにおいて重要な人物であることが分かった。
赴任後暫くして、ストックホルムから北に70キロほど離れた、北欧最古の大学が存在するウプサラを訪問する機会があり、トゥンベリが日本で採集した植物のコレクションを特別に見せて貰うことがあった。二分法で有名なカール・フォン・リンネ・ウプサラ大学教授の弟子であったトゥンベリは、師匠の意向も受けて喜望峰を回りバタビア(今日のジャカルタ)を経て日本に赴いたのであるが、そこから持ち帰った植物の標本はつい最近採集したものかと思わせる状態で保存してあり驚きを禁じえなかった。また、別の機会にウプサラ大学図書館所蔵品を見せて貰う機会もあったが、トゥンベリが江戸で面識を得た日本人医者からスウェーデン帰国後に受け取った手紙が残されていた。日本開国のはるか前の出来事であるが、当時の日本人とスウェーデン人との間の交流があったことは印象に残った。
そのウプサラであるが、大学街であるとともに、スウェーデン政治においても重要な役割を果たした街である。16世紀に建てられたウプサラ城には今日ではウプサラ県知事が住んでいる。一昨年8月末に、そのウプサラ県知事ペーテル・エガット氏(当時)夫妻主催のザリガニ・パーティーに、他国駐スウェーデン大使夫妻やウプサラ地元関係者(ウプサラ市長、ウプサラ教会大司教、ウプサラ大学教授など)とともに招待された。石造の古色蒼然とした立派な城の磨り減った石の階段を上ると、400人は入るかという大広間での着席式夕食会である。スウェーデンでは夏の重要なイベントとして、毎年8月末から9月始めに知り合いや友人で集まり、茹でたザリガニを啜り、短い歌を皆で歌い、一曲が終わる度に度数の高い蒸留酒シュナップスが入ったショットグラスを傾けるのであるが、これを400名で行う夕食会である。父がウプサラ県知事・スウェーデン首相であり、本人は後に第二代国際連合事務総長となったダグ・ハマショルド氏がまだ若い頃にこの城に住んでいてこの大ホールでテニスをすることもあった、あるいは、17世紀に女王クリスティーナが退位したのはこのホールであるなどといった話を周りのスウェーデン人から教えられ、ひとしきり皆で盛り上がっていたところで、知事より、「ウプサラ城賞」をマッティン・ブロセック・ウプサラ県知事アドバイザーに授与するとの発表があった。受賞の挨拶の中で、全く予期していなかったのであるが、マッティンは、自分が10年間ウプサラで仕事をした間で一番の出来事は何と言っても2007年のリンネ生誕300周年の機会に日本の天皇皇后両陛下をウプサラにお迎えしたことである旨述べた。会食者一同がよく知るマッティンがこのように述べたことは、極めて自然な形で、スウェーデンと日本との近しい関係を印象づけるものであった。挨拶の後、何人かのスウェーデン人や外交団関係者より、日本とスウェーデンとの関係を改めて認識したとのコメントを貰った。2007年の両陛下御訪問日程には、スウェーデン国王王妃両陛下と御一緒に、ウプサラ大聖堂でのメモリアル・セレモニー、学生代表を先頭にしたウプサラ大学までの行進、ウプサラ大学でのアカデミック・セレモニー、ウプサラ県知事主催午餐会、ウプサラ城ステート・ホール(小生がザリガニを啜ったホール)でのホワイトタイ着用のリンネ祝賀全国委員会委員長主催晩餐会への御出席などが含まれていた。なお、スウェーデン国会国際アドバイザーでもあり、日本の国会議員来訪時のスウェーデン国会議員とのアポ取り付けなど多くのことで一方ならぬ貢献をしてくれているマッティン・ブロセックには、昨年外務大臣表彰を行い大いに感謝している。
そこで本年であるが、1868年の外交関係開始から150年経った今年、日本とスウェーデン両国において、良好に維持されて来た関係に因んだイベントが多く開催されている。その中でも、4月下旬のカール16世グスタフ国王・シルヴィア王妃両陛下による公式実務訪問賓客としての日本御訪問は特筆すべきものであった。本年9月に在位45年となられる国王陛下は、幾度となく日本に来られている大の日本ファンである。その国王陛下に御訪日頂くということで、ウプサラ大学及び東京大学双方の関係者の尽力により、ウプサラ大学図書館他所蔵品の特別展示が東京駅前のインターメディアテクで開催出来ることとなった。同特別展示は、ウプサラ大学が所蔵するリンネやトゥンベリに纏わる植物や動物の描画、図版、書籍を扱うものであるが、リンネ式分類法で日本の植物を記載した最初の書物であるトゥンベリの『日本植物誌』(1784年)も含まれている。スウェーデン国王王妃両陛下がこの特別展示会場へ赴かれた際、そこに天皇皇后両陛下もお出ましになり、両国の両陛下が御一緒に展示をご覧になることとなった。天皇陛下は、米科学誌『サイエンス』日本特集号(1992年)へのご寄稿(「日本の科学を育てた人々」)の中で、「甫周、淳庵との交流はツュンベリーの帰国後も続き、二人のツュンベリーあての手紙がウプサラ大学に残されている。数年前、私はウプサラ大学を訪問し、鎖国中にこのような日本人とスウェーデン人との交流があったことに思いをいたし、感慨深くこれらの手紙を見たのであった。」と書かれている。それ故、本年東京で行われたウプサラ大学所蔵品特別展示におけるリンネやトゥンベリに纏わる品々を、陛下が時間をかけて丁寧にご覧になっておられたことを大変印象深く拝察申し上げた次第である。
この春の国王王妃両陛下御訪日には、また、かなりの数のスウェーデン主要企業トップを含む財界人100名以上が同行し、国王陛下御同席の下で経済同友会とビジネス・サミット会合を行うとともに経団連幹部とも会談を行った。帰国後これらビジネスマンを含む多くのスウェーデン側関係者から今次訪日は非常に実り多いものであったとの感想を聞いた。ある代表的スウェーデンビジネスマンが、少し疎遠になっていた日本との関係を見直す機運がスウェーデンにおいて出て来ていると述べているように、現在、スウェーデンの目は日本に向けられていると感じる。国民性において共有する部分も多く、また、自由、民主主義、法の支配、人権などを重視する面でも立場を共有するスウェーデンとの関係に鑑みれば、外交関係樹立150周年に当たる今年は、日本とスウェーデンが更に関係の幅を広げかつ深めて行く絶好の機会と考える。日本・スウェーデン両国の関係者がそのような認識を共有し協力して前進出来れば素晴らしいと思う。