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第49回 男女の格差

元駐タイ大使 恩田 宗

 サウジアラビアなど保守的なイスラム諸国も大勢の女性をオリンピックに参加させるようになった。リヤドでも女性の自動車運転が当たり前のようになる。男女平等は人類普遍の大原則になっているがその実施振りは国により異なる。

 英国はその先端を行く国の一つで玩具を男児用女児用に分けることさえ子供の心に既成の男女観を刷り込む恐れありとして問題にしている。

 明治19年、憲法起草中の伊藤総理兼宮内相は皇室が西洋の王室並みの機能を果たすためには変革が必要と考え、ドイツ人貴族O・フォン・モールを招聘した。彼が滞日2年の間直面した最大の困難は男女対等という観念に対する日本の宮廷人の忌避反応だったという。明治天皇も皇后と並んで歩くことや馬車に同乗することを嫌がり、いわんや皇后に腕を貸すなどという気持ちにはなれなかったらしい。

 その頃民間では「時事新報」に拠った福沢諭吉が男性は女性を「平等相対の人」として交際すべきだと論じていた。彼は日本人の男女差別の意識を改革すべく生涯熱心に説き続けたが、結局、公的にも社会一般からも受け入れられなかった。明治23年、儒教に基づく教育勅語が発布されそれが敗戦までの半世紀間の日本人の行動規範となった。「夫婦相和シ」は、和は即ち順で婦は順を尊び夫唱婦随するのが自然の道だと解説された。その時代から敗戦までは表通りでは妻は夫の少し後を歩くのが普通だった。

 敗戦で日本の法律や制度は男女平等原則で貫かれたものに一変した。しかし半世紀以上たった今も男女格差は大きく残っている。UNDPの2015年の男女格差指数では日本は世界160ヵ国中55位で、2016年の世界経済フォーラムの指数では144ヵ国中111位と恐ろしく低い。

 自動車製造などでは欧米に追いついたが男女平等では差が縮まっていない。福沢諭吉は女性の地位は「習慣」(今でいうカルチャー?)に根ざすもので「習慣」を変えねば駄目だと言っていた。夫人の錦は男女対等のパーティーを自宅でしばしば開催するなど啓蒙活動をする一方、家庭では福沢の着たり脱いだりを手伝いその外出を玄関で送迎していたという。武家育ちの「習慣」が抜けなかったのである。幼くして身についた「習慣」は終生直らないとすると「習慣」を変えるに時間がかかる。グローバル化でいずれ人類の諸「習慣」が一つに収斂するにしても遠い先のことである。予想しうる将来、世界各地の男女平等のあり方の違いは差が縮まっても残り続けることになる。

 女子サッカーの澤穂希選手は、2011年の世界最優秀選手の表彰式には振袖姿で出席したが、彼女の玄人並みの料理の腕は将来夫のためだけに使いたいと言っているという。大和撫子の優しさは生き残ると思う。