日本力再発見ー日本式教育の挑戦
駐エジプト大使 香川 剛廣
私が赴任した2014年8月は、エル・シーシ現大統領が同年6月に就任して間もなくの時期でした。2011年、30年にわたってエジプトを統治したムバラク大統領は、アラブの春の民衆パワーにより、あっけなく政権を追われました。しかし、その後誕生したムスリム同胞団政権も国内の混乱を治められず、国民の支持を失い、2013年、再度の政変により今度は同胞団が政権を追われ、軍出身の現大統領が、国の安定、再興をスローガンに選挙で選出されました。
このような社会の動乱の中で、テロ事件が頻発するなど治安は悪化し、外国人観光客は激減しました。私が赴任した頃は、エジプト各地の観光地は閑古鳥が鳴き、ピラミッドに行けば贅沢にも貸し切りのような状況でした。また、外貨不足から深刻な経済危機に陥り、一昨年秋にIMFの支援を受け入れ、変動為替制の導入、補助金削減を始め、苦い薬を飲むような抜本的な経済改革に取り組むことになりました。その結果、一時はインフレ率が30%を超え、国内産業も生産削減を強いられるなど苦境に立たされましたが、ここに来てようやく経済は回復し、経済成長率は4%から5%台になり、インフレ率も10%程度とマクロ経済は安定しています。政治的にも安定しており、本年3月の大統領選挙では、エル・シーシ大統領が圧倒的な多数で再選され、二期目のスタートを切ったところです。治安もシナイ半島の一部を除き、非常に安定しています。
以上がエジプトの現状ですが、この大変革の時代の中で、私が重視するのは、短期的、表層的な政治、経済の変化だけではなく、エジプトの経済・社会構造がどれだけ変化しているのか、いないのか、またどう変わろうとしているのか、という点です。
【エジプトの社会構造】
エジプト人は、ファラオの時代から、いやそれ以前からナイル川と共に生きてきました。ナイルの恵みによる豊かな環境の中で、様々な民族、宗教、文化を受け入れると共に、一体性の強い社会を形成してきました。
エジプト人地理学者ガマール・ヒムダーンは、エジプトを『重層的な個性』という概念で説明しています。数千年にわたるファラオの時代はクレオパトラ女王のプトレマイオス朝で終わり、そこにキリスト教、7世紀にはイスラーム教と共にアラブ人が入ってきます。ファラオの宗教や文化がキリスト教、イスラーム教と次々に塗り替えられたかのようですが、むしろ、異なる文化が受容されて、重なり合って存在する、また、アラブ人だけではなく、ペルシャ人、ユダヤ人、トルコ人など多様な人々が流入しましたが、決してバラバラにはならず、自分たちはエジプト人である、という強いアイデンティティーを持って共存する、これが『重層的個性』です。
このことから言えるのは、現在、一部のアラブ諸国が国内の民族、宗派対立等から分裂、崩壊の危機にあるのに対し、エジプトは、国としてのまとまり、国民の愛国心が強く、国の安定的な発展の基礎を有しているということです。
【エジプト経済、社会の課題】
近代に入り、オスマン帝国から独立したエジプトは、欧州の技術を取り入れ、富国強兵、近代化を開始します。1860年代に江戸幕府が派遣した2度の遣欧使節団はエジプトに立ち寄り、当時すでにカイロ市内を走っていた機関車などの近代化の状況を視察した歴史も残されています。
何故エジプトは、日本の明治維新に先駆け近代化を進めることができたのでしょうか。それは英国綿産業への綿花の一大供給地になったからです。19世紀半ばから20世紀初頭まで、綿花がエジプトの輸出に占める割合は8割を超えました。原材料を輸出して利益をあげ、工業製品等を輸入するという欧州との関係性の中でエジプトは大発展しました。
しかし、今でもその植民地経済的な構造が変わっていない、言い換えれば、地場の産業が十分に発展していないことに、エジプトの深刻な問題があります。日本は、明治維新以来、絹から始まり、軽工業から重工業に、更に車や家電の製造へと移行し、発展してきました。中国もASEAN諸国も同様です。他方、エジプトでは、日本始め外国の家電、自動車メーカー等が進出しノックダウン生産もしていますが、工場労働者の質は低く、裾野の供給産業のレベルも低く、産業構造が変わるまでの道筋はできていません。それは、国家経済の収入構造の中にも見て取れます。スエズ運河収入(50億ドル)、観光収入(80億ドル)、海外労働者からの送金(180億ドル)などが主要な外貨獲得源の、いわゆるレンティア国家と呼ばれる構造であり、国民の経済活動が成長の基礎になっていません。
例えば、オレンジなど農産品をそのままの形で輸出するより、加工し、付加価値をつけて輸出する方が貿易の観点からも、雇用の観点からも優れています。農業、加工産業、サービス産業が互いに効果的に連携することによって国際競争力を高めることができます。9,400万人もの人口を抱えるエジプトにとり、中産階級を育て、国民全体で経済を支える産業構造への転換は避けて通れない道です。
【日本式教育のエジプトへの導入】
産業の育成といっても、一朝一夕には進みません。迂遠のようでも人材育成こそ確実な一歩であることは誰も否定できないでしょう。日本式教育に関する二国間協力のきっかけは、3年前の安倍総理とエル・シーシ大統領の首脳会談に遡ります。大統領は総理に対し、日本人の道徳心、倫理は素晴らしい、日本の教育を是非エジプトに導入したい、協力してほしいと要請しました。大統領の真剣さは誰もが驚くほどであり、エジプトの閣僚も冗談めかして、大統領の日本の教育への礼賛はすご過ぎて困る、と言っているくらいです。
それでは日本式教育とは何でしょうか。私も度々エジプト人に聞かれて困りました。この問いにすらすらと答えられる日本人は少ないでしょう。日本の教育は、規律や協調性の重視といった特徴があると言われます。日々の校内清掃、日直、運動会、学芸会など日本人なら誰でも学校で経験することは、エジプトにおいては行われていません。掃除は専門の用務員の仕事です。運動会、学芸会も、それ以前の問題として、あまりに生徒数が増大し、校庭も教室も足りなくなり、体育や音楽、芸術の授業は多くの公立校から姿を消してしまいました。授業も先生が一方通行で教えて、おうむ返しに暗記させる方式が一般的です。小学校高学年から始まる進級テストは、暗記した知識を問うもので、グループ学習や先生とのインターアクティブな授業も一般的ではありません。エジプトの学校を訪問して直面する問題を耳にするにつけ、日本人が意識している以上に、日本式教育は、社会性やチームワークを自然に身につけ、また、人間性を磨くことのできる優れたものではないかと気づかされました。
日本の学校において、算数などの教科教育の他に、各種行事、清掃、生徒会活動といった様々な活動を、特別活動、略して特活と称して行われているのをご存知でしょうか。今やエジプト教育関係者の間ではそのまま TOKKATSUとして受け入れられ、エジプトに導入する日本式教育の中核となっています。
他方、教科のカリキュラム自身は、エジプト政府が決めるべき問題であって、日本が関与すべきものではありません。日本は、エジプトが進める教育改革の一環として、日本式教育のノウハウを伝えるという立場を取っています。その際、鍵となるのは現職教師の訓練です。教師こそ最大の教育環境であり、日本式教育も教師の理解と実践があって初めて有効になります。人材育成のための円借款プログラムの一環として、数百人の教師を日本に派遣し、教員養成実績のある日本の大学で実地研修も含め、訓練を行うことになっています。
【日本・エジプト教育協力】
こうした協力を含め、2016年3月のエル・シーシ大統領訪日時に、両国の教育分野の共同パートナーシップを取りまとめました。その中身は、幼稚園から小学校、中学、高校、そして工業高校などの技術教育、さらに大学、大学院の高等教育と全ての教育段階を対象にしたものです。
基礎教育に関しては、先に述べたTOKKATSUを中心に日本式教育を先導的に実践するモデル校を新設の100校含め200校以上設置し、その経験を他の既存の公立校にも普及し、教育の質の向上を図る予定です。また、技術教育については、日本の戦後経済発展をモデルに、工業高校などの卒業生が産業を支える熟練労働者となるよう、日本企業の工場と連携した実習を行い、規律ある学校生活を通じてチームワークの醸成を目指す、技術教育プロジェクトを実施しています。将来の雇用を前提に質の高い労働者を育成していけば、日本企業にも裨益することになります。
高等教育に関しては、日本・エジプト科学技術大学(E-JUST)が8年前から工学系大学院の研究、教育からスタートし、昨年からは学部レベルでの工学系、人文系の教育が始まりました。多くの日本の大学(工学系で12校、人文系で6校)に支援大学になっていただき、日本の教育、研究の中東アフリカにおける拠点となることを目指しています。また、人材育成のためのいわゆる留学生借款を約100億円拠出し、5年間で2,500人のエジプト人の学生、研究者等を日本に派遣する計画を進めています。
教育は、短期的に成果の出る簡単な事業ではありません。我慢強く、息の長い協力に取り組んでいく必要があります。その点日本は、目標に向かって一歩一歩、現場主義で課題に取り組んでいくというシステムにこそ強みを持っています。それは『日本力』と言えるものでしょう。
エジプトにおける包括的な教育分野の協力は始まったばかりですが、日本の大学、企業、JICA等政府機関が連携し、成果をあげ、日本が『日本力』で各国の発展、成長に貢献するモデルケースを作っていきたいと考えています。
(以上)
円借款「エジプト・日本学校支援プログラム(エジプト・日本教育パートナーシップ)」に関する書簡の交換式典
日本式教育モデル校での授業視察