第46回 漢字と日本語

元駐タイ大使 恩田 宗

 常用漢字表が改定され1945字が2136字に増えたのは2010年のことである。増えた字の多くは岡・柿・虎・藤など既に日常広く使われているものだった。新聞は鬱が入り碍が外れたと大きく報じた。然し、学校・官庁・マスコミで働く者を除きものを書くのに常用漢字表を気にするものは多くないと思う。

 日本語に漢字が増えたのは江戸時代儒教が官学となってからだが、明治時代に西洋文化の導入に漢字を多用したことがそれを助長した。漢字の使用を制限又は廃止すべきだとの主張は明治の初めからあった。数が多く字形・用法が複雑で学習負担が大きい、文字処理上の能率が悪い、言葉で階級差が生じる、外国人に普及させにくい、などが理由だった。然しその運動は長く成果を得られなかった。
 
 それが敗戦直後の民主化・合理化の気運に乗って当用漢字(1850字に制限)として実現し日本語の平明化と能率化に大きく貢献した。藤堂明保は当用漢字は新憲法と農地解放に並ぶ大改革の一つであり日本語はそれで十分やって行けると主張した(「漢字の過去と未来」)。しかし、漢字は端的な表現力、造語力、抽象概念の豊富さで他に代えがたく、過去とのつながりも断ちがたい。漢字の使用制限は次第に無視されていった。当用漢字は権威を失墜し1981年規制色を薄め字数を増やした常用漢字にとって代わられた。

 高島俊男は、日本語は簡単な音(約百音節)しかないのでその十数倍の音節の使い分けを前提とする漢字とは相性が悪い、そのためコーエンと口で言っても講演・公演・好演・公園・後援・高遠のどれか字で書かないと確定しないという文字依存の畸形な言葉になってしまった、しかし漢字に訳された西洋の概念なしにもう社会が動かない、なるべくかな本位で書く努力をしつつこのままいくしかない、と書いている(「漢字と日本人」)。

 一時代前の知識層は3,000以上の漢字を使ったらしい。今はPCがあるので8,000の漢字を簡単に取り出せるが世の中全て簡略化の方向なのでこれからの人が使うのは結局常用漢字なみの2,000字前後になるのではないだろうか。漢字・漢語は多く使えば文は硬く簡潔にはなるが少なく上手に使えばきれいでこなれた文になる。

 なお、小説家100人を時代順に並べると作品の中の漢字は一貫して減っており来世紀末には漢字は使われなくなると論じる学者がいる。まさかと思うがそうなると漢字を拾い読みする速読や妙齢(うらわかい)・恍惚(うっとり)・黄昏(たそがれ)などという二重表記の楽しみや「網走逃走」をアラン・ドロンなどと読ませる遊びはできなくなる。