ホームグラウンドに帰る
駐インドネシア大使 石井 正文
早いもので、ベルギーからインドネシアに転勤・着任してから1年が過ぎました。とは言っても、くっきりした四季があるベルギーに比べれば、当地ジャカルタは、年中30度前後の気温で、一言で1年、と言っても、正直、実感はあまりありません。ただ、夏は、ジャカルタの方が過ごしやすい!東京では、気温はしばしば35度に達し、湿度も殺人的ですが、ジャカルタでは、35度に達することは殆どありませんし、夏は一応乾期で、蒸し暑さも東京に比べれば、人間的なように思います。
私は、アジアに駐在するのは今回が初めてですが、実は、約20年前の1999年10月から2年ちょっとの間、本省でインドネシア他を所管する南東アジア第二課の課長を務めていたことがあり、今回は、ホームグラウンドに帰るような嬉しい気持ちです。当時は、未だアジア通貨危機が東南アジア各地でさめやらない中、インドネシアでは、住民投票の結果、東チモール独立が決まり、それ引き続く混乱と平和維持軍の展開という、騒然とした状況でした。大統領も、課長就任直後にハビビさんからワヒドさんへ、そして、その後メガワティさんへと、目まぐるしく替わりました。私も、毎月のようにジャカルタを訪れていました。
しかし、20年後に駐在することになったインドネシアは、素晴らしく進化していました。大統領直接選挙は定着。今や毎年5%以上の経済成長を実現し、押しも押されもしないG20の主要メンバーです。一人当たりのGDPは、未だ3600ドル強で、日本の五分の一に留まっていますが、課長当時の一人当たりGDP671ドル強(IMF)に比べれば、20年も経たない内に、5倍以上になりました。
ただ、20年前と比べて、唯一閉口しているのは、渋滞です。ジャカルタ市内の渋滞は、聞きしに勝る酷さです。大使館と私の住む公邸との間の直線距離は5Km程度ですが、毎朝の通勤は30分近くかかります。帰路は、雨でも降ろうものなら1時間程度は平気でかかりますし、これまでの最長記録は2時間半でした。
ちなみに、当地では色々な方から「日本が車を売りすぎるからだ!」と冗談交じりに言われます。実は、インドネシアは、日本も含めて、世界中で一番日本車比率が高い国で、四輪では98%程度、二輪では99%を超えていますので、この批判は一部当たっていますが、その一方で、日本は、ジャカルタで初めての地下鉄建設や、鉄道主要幹線の高速化など、色々なインフラ整備に協力しているのです。
嬉しさを噛みしめるもう一つの理由
このタイミングでインドネシアに「帰って」来て、嬉しい理由は他にもあります。その一つは、今年が日本とインドネシア国交樹立60周年の節目の年に当たることです。そのお祝いのためにオールジャパンの体制が組まれており、インドネシア側と協力しながら、年間を通じて色々なお祝いのイベントが開催されています。
まず、正式な国交樹立が60年前の1月20日に行われたことにちなみ、1月19日には、ジャカルタ旧市街中心部のファタヒラ広場で、総理特使である二階自民党幹事長他のご列席の下、開会イベントを行いました。オランダ統治時代の総督府の建物に、両国のこれまでの友好関係を表すプロジェクションマッピングを映写して、広場一杯の観客から大きな喝采を頂きました。翌20日には、二階幹事長ご一行に加え、カッラ副大統領を筆頭に、多くのインドネシア政府閣僚のご参加を得て、正式な開会式を行いました。
その後も、ジャカルタでサッカーJリーグのFC東京とインドネシア側のクラブチャンピオンチームとの試合が行われたことを始めとして、多数のイベントが開催されています。秋には、当地ですっかり定着した感のある「ジャカルタ・ジャパン祭り」が、例年以上の内容と規模で開催されますが、今年は、それに合わせて、日本から人気のミュージシャンを呼んだ音楽フェスティバルも行われます。それ以外にも、年間を通じて、一週間に1回、日本についてのTV番組が放送されているなど、まだまだお祝いは続きます。
一方、今年は、インドネシアにとっても、重要なイベントが目白押しです。8月18日~9月2日には、同国にとって1962年に次ぐ二度目になる、アジア競技大会を主催します。不思議なことに、前回も今回も、インドネシアのアジア競技大会主催の2年後には東京オリンピックで、両国間では、この分野でも、色々な連携が行われています。そして、10月12日~14日には、バリ島で、IMF世銀総会が開催されます。20年前のアジア通貨危機の際に、スハルト大統領がカムドゥシュIMF総裁に頭を下げているような写真が配信され、それが大統領退陣の引き金の一つとなったことを思い起こせば、これは、象徴的には一時代を画す極めて重要なイベントです。インドネシア側も力が入っており、同じく総会を主催した経験がある日本も、色々な形で支援してきています。
ちなみに、昨年のインドネシアから日本へのお客様の数は、前年から20%程度増加して約35万人、日本からインドネシアへは、微増の52万人、双方向で計87万人でした。60周年の今年は、これを100万人超えとするという目標を立てています。以上申し上げたようなイベントを考えれば、十分可能だと思います。
60周年を通じたキーメッセージは、「共に働き、共に歩む(進歩する)」(インドネシア語では、Kerja Bersama, Maju Bersama(クルジャ・ブルサマ、マジュ・ブルサマ)です。これは、日本が、上から目線で無く、常にパートナーとしてインドネシアの発展を支援し、インドネシアも、例えば、東北大震災時の日本に支援の手を差し伸べるなど、これまでの両国の協力が、双方向でWin-Winであったことを、良く表す言葉だと思います。
なお、私事で恐縮ですが、1957年11月3日生まれの私は、昨年、ちょうど還暦とでした。思えば、私が生まれてから約2ヶ月半後に、日本とインドネシアの外交関係が始まったのであり、私のこれまでの一生は、両国関係と殆ど同じ長さだということになります。この還暦の記念の年に当地に大使として駐在出来るというのは、全くの偶然ですが、本当に幸運なことだと思います。
日本への信頼
もう一つ嬉しいのは、過去60年間の先人の方々の努力の積み重ねのお陰で、今の両国関係は、掛け値無く「戦略的パートナー」と呼ぶに相応しい関係になっているということです。
日本企業の昨年の対インドネシア投資額は50億ドルで、実質的には第一位と言って良いと思います(統計上は各国投資のトンネルになっているシンガポールが一位)。約1800社の進出日本企業が、約500万人の雇用を創設しており、その殆んどがインドネシア人の雇用です。そして、日本企業は、インドネシアのGDPの10%、輸出の20%、そして、35ギガワットに及ぶ電力プロジェクトの三分の一に貢献しているのです。
更に、最近では、各種インフラプロジェクトで、インドネシアの日本に対する信頼の高さは群を抜いています。というのも、インドネシアでは、来年2019年4月には大統領選挙が行われるのですが、その前哨戦ともいえる地方首長選挙が今年6月27日にありますし、来年の大統領選挙に立候補する正副大統領のペアの登録は、8月10日には締め切られることも有り、当地は既に政治の季節に突入しているという印象です。そのような政治環境の中で、ビジビリティの高い大規模インフラプロジェクトは、通常以上に失敗が許されないのです。
数年前に鳴り物入りで中国が落札したジャカルタ・バンドン高速鉄道は、元々は以上申し上げた政治カレンダーに従って、来年4月の大統領選挙までのオープンを目指していたのですが、土地収用の問題などもあり、未だに実質的工事は始まっておらず、予定通りのオープンは絶望的です。その一方で、日本の協力は、金額的には少し高額かもしれませんが、品質は信頼できるし、決定に少し時間がかかるかもしれませんが、一度YESと言えば、工事は予定通りに進む、という評価が再認識されているのです。
現在、日本のプロジェクトは目白押し。ジャカルタ初の地下鉄(MRT)は、第一期部分の来年3月商業運転開始を目指し、現在最後の作業が急ピッチで行われています。キャパシティを超えている現在のジャカルタ港の問題を解決するための東部新港(パティンバン港)は、5月に着工。来年3月には一部の運営が始まる予定です。現在ジャカルタースラバヤの750kmを11時間以上もかかっている基幹鉄道路線を改善して半分の5時間半以下を目指すプロジェクトは、日本が支援しています。それ以外にも、インドネシア東西南北の戦略的に重要な離島の開発など、本当に「嬉しい悲鳴」です。
未来を見据えて
ただ、このような状況は何時までも続くわけではありません。インドネシアの立場になれば、日本以外にも中国、韓国、欧州など、色々な可能性があるわけで、それらの国々を競争させ最高のものを得る、というのは当然です。投資額フローで言えば、近年加速度的に増加している中国からの投資にいずれ抜かれるでしょう。その中で、日本は、やはり質の高さや信頼性といった「日本的な強み」をアピールして、競争を勝ち抜いていくしかないのです。
今回の60周年の機会に、「プロジェクト2045」という企画を進めています。これは、インドネシア独立100周年に当たる2045年のインドネシアの姿を予想し、それに向けて日・インドネシアでどのような協力が可能かを、両国の有識者が膝詰めで議論し、報告書をまとめる、というものです。2045年には、インドネシアは、世界のGDPトップ5に入っている可能性が相当高いと思います。更に、インドネシアは東南アジアの雄を越えて、グローバルで穏健なプレーヤになっているでしょう。少子高齢化と付き合っていかざるを得ない日本にとって、このようなインドネシアの重要性は増しこそすれ、減ることは無いと思います。それに向けて今何ができるのか?この60周年を、それを考えるための良い機会にしたいと思います。
独立記念日に大統領夫妻と
60周年開会イベントの
プロジェクションマッピング
プロジェクト2045運営委員会