中央アジアを文化交流ミッションで回って
元駐ウズベキスタン大使 河東 哲夫
国際交流基金は2016年8月から昨年11月にかけ、三回に分けて中央アジア5カ国に文化交流ミッションを派遣、筆者はこれに同行した。このミッションの詳細は基金のサイトに出ているので省略するが、一言で言えば「一日日本文化」巡回団のようなもので、日本文化、日本語教育を軸に「日本」をプロモートし、今後の文化交流拡大につなげんとするものである。訪問先の政府要人、主要文化人、オピニオン・リーダー等との会談、日本語教育施設の訪問、講演等が主要な日程となる。
今回のミッション派遣は、2015年10月、安倍総理が同5カ国を歴訪した際に約束したものである。実施に時間がかかったのは、団員(有名文化人もいる)の日程を合わせるのが容易でないこと、そして中央アジア5カ国の間の航空便が不便であるため、チャーター機でもない限り、一度に歴訪するのが不可能であるためである。
ミッションのメンバー、コシノジュンコ女史は日本の代表的ファッション・デザイナー。中国政府の要請で、未だ開放以前の中国に「ファッション」を広めた人物である。同女史は参加各地で現地モデルを使ってミニ・ファッション・ショーを行うと共に、モデルをリクルートした。またトルクメニスタンには、中央アジアを舞台としたマンガ「乙嫁語り」で有名な森薫女史が特別参加して、現地でも大きな注目を引いたし、帰国後は外務省で「乙嫁語り」の原画展を行い、日本での中央アジア宣伝に資した。他の団員は自分も含めて、各国で数回ずつ講演、セミナーを行った。
国際交流基金にとって中央アジアは未知であったため、ミッション派遣の前に周到な準備が行われた。16年6月には中央アジアの文化遺産についてのシンポジウムを開催、考古学者の加藤九祚教授(同年9月逝去)及び5カ国の専門家を招致して文化財や遺跡の保存・発掘状況について知見を集めたし、各国での日本語教育の現状と問題点、各国の文化状況、日本文化の如何なるジャンルへの関心が高いか等についてヒアリングも行われた。
日本人は中央アジアについて無知だが、同諸国はソ連崩壊以前から、日本の経済力に大きな期待を寄せ、歴史・文化にも関心を持っていた。関心のレベルには強弱の差があるが、多くの大学(一部では高校以下にも)にコースが設けられている。中でもウズベキスタンやキルギスでの日本語教育の歴史は長く、ここの学生は旧ソ連地域日本語弁論大会で上位を占めるのが常である。日本語を学ぶ動機は一に就職、二に世界共通の現象であるが、「マンガ」に対する関心である。筆者が講演でナルトなどをスライドで示すと学生は大喜びで「知ってる」、「知ってる」と反応してくる。
以前は、日本のコンテンツを普及させるには、翻訳や出版を助成したり、日本のテレビ番組や映画の著作権をクリアした上で、吹き替えの費用まで負担して先方のテレビ局に提供、放送してもらったものだが、今ではインターネットを通じていとも簡単に各種・各様のコンテンツを世界に発信できる。コンテンツは身近なものから普及するので、例えば中国では日本のポルノ女優、蒼井そら女史が大人気なのである。
中央アジアと言うと、後れた権威主義の諸国と思われているが、南半分は本来、ペルシャ文明の中心部で、文学、美術、民俗音楽、建築等の分野の蓄積は深く大きい。そしてそれらは中東、西欧、中国の文明・文化と絡み合っている。そして北半分には、遊牧民族の口誦の歴史がいくつも残る。アルタイからバイカル湖にかけての地域は、日本人の祖先の一部の故地だろう。
そして中央アジアは、西欧的現代文化も一応取り揃えている。旧ソ連時代、社会は近代化されたし(女性の地位も表向きは高く、キルギスでは女性が大統領を務めたこともある)、都市にもインドのようなスラムはない。美術、演劇、音楽、文学等々、すべての分野のレベルは高い。
中央アジアは砂漠だと思われているが、実は天山・崑崙山脈に発するシル川、アム川の両大河に挟まれた、メソポタミアのような大オアシスも擁し、南半分を中心に未だ発掘されていない古代都市・宗教施設は多数に上る。それらとメソポタミア、インダス文明との関係が明らかになると、世界史が書き換えられる可能性もある。また既に発掘された遺跡の多くは日干し煉瓦で作られているため、保存措置を取らないと雨で溶けてしまう。
文化交流の中には「知的交流」、つまり政治や経済問題についての専門家レベルの交流が含まれる。この方面でも、中央アジアの核を成すウズベキスタン、カザフスタンを筆頭に、広い視野と柔軟な思考を備えた若手専門家は増えている。ソ連時代の帝国主義的陰謀論をもとに国際情勢を論ずる者が圧倒的多数ではあるが。
というわけで、「中央アジア諸国との文化交流・知的交流は十分可能だし、かつ必要なのである」ということを胸に、文化交流ミッションは最初の訪問地ウズベキスタンに飛び立った。それは16年8月のことでカリモフ大統領は体調優れず、その数週間後には死去したので会見はかなわなかったが、安倍総理の名代として昭恵夫人が特別に参加して、大統領夫人等との公式行事をこなした他、日本の太鼓パフォーマンスのDRUM TAO公演では舞台上から挨拶、公演の舞台となったナヴォイ劇場は戦後、日本人の抑留者たちが建てたものであることに言及、現地で亡くなられた抑留者の方々の霊にもこの公演を聞いてもらいたいと涙を交えたスピーチで、聴衆に深い感銘を与えていた。
首脳の夫人が外交で役割を果たす例は米国で多いが、制度的にきちんと整理した上でこのようなことをしてもらうのは、要人の外遊の時間が限られている日本にとってはプラスになる。なおDRUM TAOは、文化交流ミッションのカザフスタン訪問に合わせて、17年11月にもアスタナで公演を行っている。
要人との諸会談では、今後の交流拡大について具体的な合意ができたわけではない。具体化は、現地の大使館が社会の諸方に触角を広げて、国際交流基金等のプログラムを先方が使うよう自ら仕向けると共に、有識者・文化人とのネットワークを構築、アイデアと人と資金をうまく結びつけるプロデュースの役割を果たすことで実現する。東京サイドは予算の確保、そして文化庁、ユネスコ等第三者組織・機関との連携を構築することが任務であろう。
中央アジアは今、若干流動的な情勢にある。ウズベキスタンではミルジヨエフ新大統領が周辺諸国への微笑外交を展開し、3月末には隣国カザフスタンでの中央アジア5カ国非公式首脳会議の開催に結びつけた。ともすれば、ロシアと中国の草刈り場と目されがちな中央アジアで――因みにこの鞘当てには米国は加わっていない――、「中央アジアのことは中央アジア自身でやらせてもらう」と言えるプラットフォームを構築しておくのは大事なことだ。そしてそれは日本が、2004年9月の川口外相の中央アジア諸国歴訪で立ち上げたフォーラム「中央アジア+日本」のまさに目的でもあったのである。日本は中央アジアの発展と独立性強化を助けることで、この地域との関係を強化する、真のウィン・ウィン関係にある。
ミルジヨエフ大統領は力の基盤であった国家諜報庁を大掃除する等、未だ権力移行過程のただ中にいる。カザフスタンのナザルバエフ大統領は77才だが、後継者が決まっていない。キルギスでは昨年10月の選挙でジェエンベコフ大統領が誕生したが、アタムバエフ前大統領は大統領以上の実権を憲法が与えている首相の地位を狙っているようだ。タジキスタン、トルクメニスタンはそれぞれラフモン大統領、ベルディムハメドフ大統領の強権支配下にあるが、経済基盤が脆弱である。タジキスタンは中国の融資への依存度が高く、トルクメニスタンは天然ガスを大量に産出するにもかかわらず、ほぼ唯一の輸出先である中国からの支払いが乏しい。中国はトルクメニスタンでの天然ガス田開発の費用を負担したので、その費用をガスで回収しているのである。
またアフガニスタン北部の情勢が不安定化すれば、国境を接するトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンには難民が入ってくるし、テロリストもやってくるだろう。また今でも、アフガニスタン産の麻薬は中央アジア諸国の多くを経由してロシア、そして欧州に流出している。アフガニスタンでの麻薬利権がタリバンに渡れば、中央アジアにも大きな余波が及ぶだろう。
そんな中央アジアであるが、独立後30年弱の発展は目覚ましい。タシケントを初めて訪れた文化交流ミッション団員は、緑豊かな広い道路の両側に広壮な近代建築が立ち並び、諸方で車の渋滞が起きている様子に驚いていたし、1998年に黒川紀章の都市デザインで荒れ地に建設が開始されたカザフスタンの首都アスタナも、僅かこの数年の間に冷たい人工・役人都市から、祖母が孫の手を引いて保育園から帰っていく風情の、生活の匂いがする大都市に変貌した。大統領の大きな肖像画が夜間は照明されて丘の上から見下ろす、白亜のディズニーランドと言うかベルディ・ランドの趣を呈するトルクメニスタンのアシハバードは周知の近代都市だし、田園の風趣にあふれていたタジキスタンの首都ドシャンベも、中国資本が入ったか、かつての街路樹に代わって高層ビルが林立している。キルギスの首都ビシケクも、ソ連の地方都市の風情そのままではあるが、手入れが行き届き、経済困難をそよとも感じさせない。
中央アジア全体で人口は約7000万。所得水準は低いと言っても、それなりの市場である。これまで日本は、中央アジア諸国との関係をODAでつないできたが(アジア開発銀行等の案件も合わせると、日本が中央アジアで手掛けたインフラ建設の実績は中国のAIIBをはるかに上回っている)、これからは貿易・投資も拡大が必要、かつ可能になってきた。日本の中小企業にとっては直接投資は難しいが、大企業であれば、漢方薬原料の栽培、桑・絹成分を利用した薬品製造、自動車の組み立て、銅鉱石、ウラン鉱石等の採掘・加工等は可能だろう。灌漑インフラの整備・改修等、中央アジア全域に及ぶ問題を、円借款を使って改善することもできる。
この地域はロシアと中央アジアの裏庭であり、こうして日本がstakeを築いておくことは、両国をして日本との対話を重視させる一つのよすがとなるだろう。また国連においては5票の票田でもある。今回の文化交流ミッションの成果は総理にも報告されているし、提言も提出されている。今後の日本外交の翼を広げるのに資すればいいと思う。