第44回 ジュリエット

元駐タイ大使 恩田 宗

 米国映画「ジュリエットからの手紙」は、観た人をほんのりと幸福な気持ちにさせる純な恋の話である。

 イタリアのヴェローナにはジュリエットの生家だという屋敷があり、今でも彼女宛てに手紙が来るらしい。バルコニーの下に貼ってあったり郵送されて来たりしてその数は年五千通にのぼるという。手紙の多くは恋の悩みを告白し助言を求めるもので涙のあとの残るようなものもあるという。そうした手紙にジュリエットの秘書を名乗るボランティアの女性15名がジュリエット名で慰めや激励の返事を書いているのである。

 映画の物語では、父母の嘆きや国籍の違いを恐れ「(駆け落ちすべく約束した)彼の待つ場所へ行かなかった・・」との手紙を出した英国女性にジュリエットの秘書の一人がこう答える。「もし」と「あの時」は普通の言葉に過ぎませんが二つ合わさると人を一生苦しめる力を持ちます・・真実の愛だと感じるのならそれをつかみ取る勇気を持って下さい、と。返事を貰った彼女は勇を鼓し昔別れたままの彼を探す旅に出て遂に幸せを捕まえる。

 シェイクスピアの本物のジュリエットは心の命じるまま怯まず一途に駆け抜ける。日曜の夜会で恋に落ち、翌日に結婚してその夜に結ばれ、火曜に秘薬を貰って水曜に飲み、木曜に墓に入れられ金曜早朝にはロメオを追って命を絶った。14の誕生日(8月1日)まで2週間余という若さだったが、乳母や両親をうまくかわす知恵もあった。幸福な結末に終わる筈だった。不運な手違いで悲劇になってしまったが彼女に悔いはなかったと思う。

 勇気に欠け心に染まぬ行動をとり後までそれを悔やむのは誰でもよくあることである。しかし、その良し悪しの評価は難しい。臆病な行動で破局を回避しそこそこの日々が得られている場合が多く、悔恨の心の痛みがあるにしても手にした得分への代償として引き合いが取れているとも言える。心に痛みを抱えつつ穏やかに生きることを選択した人を一概に批判できない。

 ジュリエットの秘書が本格的に返事を出し始めたのは1980年代後半で人気は高まる一方だという。ジュリエットの恋の経験は丸4日半に過ぎず相談されても答えにつまることが多い筈である。返事を書いている秘書達がよほど有能なのである。人の悩みは誰かに打ち明けることでその苦しみが軽くなる。ジュリエットは口が堅いことは間違いないので恋の秘密を打ち明ける相手としても適任と思われているのであろう。

 なお、ジュリエットへの手紙はイタリア国ヴェローナ市としただけで届き日本語で書いても返事が来るという。映画の影響もあり日本からも沢山の手紙が行くだろう。宛名は今は実家に戻っていてもジュリエット・キャピュレット様ではなくロミオ・モンタギュー令夫人である。多くの手紙はただジュリエット様と書いてあるらしいがその方が彼女にふさわしい。