第43回 仮名遣い

元駐タイ大使 恩田 宗

 漱石は明治43年1月1日の朝日新聞に「元日」と題し「今原稿用紙に向かってゐるのは実を云ふと十二月二十三日」で餅もまだ搗いておらず元日を迎えたような振りは出来ないと書いている。元日は漱石時代の歴史的(旧)仮名遣ではグワンジツである。ガンジツなどと読んでは正月気分がしないと言うかもしれない。

 言葉を仮名でどう表記するかについては、漢文訓読式の公式文書や和歌・擬古文は別として明治になるまで統一的な規範はなかった。江戸時代の小説本や手紙や日記類を見ると人それぞれで違い又同じ人でも時によって異なる書き方をしている。坂本竜馬は手紙では「御どふい」(御同意)「こいわしはんのほか(恋は試案の外)」「そふぞしく(騒々しく)」などと書いたり、「よろしきおへらみ(宜しきを選び)」「諸隊を助ヶ」とか「イツカヲしう(一向宗)」「いつかふしう(同)」「ばふず(坊主)」「ぼほず(同)」など2通りの書き方をしている。四世鶴屋南北の「東海道四谷怪談」にも「やふ子(様子)」「よふす(同)」「どうして」「どふする」「どろぼう(泥棒)」「どろばふ(同)」「ゑかふ(回向)」「ゑかう(同)」の両方が出てくる。定家や契沖に並ぶ仮名遣の権威の本居宣長さえも非学術文では「思ふ」と「思う」を混用しているという。

 旧仮名遣は日本人を均質な一つの国民にまとめ欧米並みの国民国家を創ることを目指した明治政府が、地域や階級、書き言葉や話し言葉で違いのない日本「国語」の確立のため、その正書法として採用し学校で教えたものである。平安前期の書き方に準拠した歴史的根拠のあるものだが使い勝手が良くなかった。京がキヤウ、共がキヨウ、教がケウ、協がケフで、行がカウ、甲がカフ、広がクワウ、後がコウなどと覚えるのは大変だっただろうと思う。   

 フランスでは言葉の純正さを尊び伝統的言語規範を守る意識が強く新語の採択や正書法の変更には厳しいらしい。英語でも新語は比較的鷹揚に受け入れているが字綴りについては保守的である。through等oughで終わる言葉などについて昔から議論があったらしいが、今のところ米国でhonour 等のour が orに centre等のreがerに変った位で、基本的にはシェイクスピア時代のままである。

日本では昭和21年に仮名遣いを現代語の発音に沿った形に大改革をし61年に再度改定した。新仮名遣いで敗戦ショックのおかげである。伝統軽視で言葉の劣化だとの批判が未だにあるが、過重な学習負担から解放されたという意味で良かったと思う。

 これからの日本語の課題の一つはカタカナ語の消化である。カタカナ語は長いものが多いので短縮化の必要はあるがプレゼンテーションをプレゼンはどうかと思う。インフォームド・コンセントなど漢字で上手く訳せないかと思うものが多い。