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南スーダンの平和構築と日本の役割


中東アフリカ局アフリカ部・国際協力局参事官 前駐南スーダン大使 紀谷 昌彦

はじめに:オールジャパンの平和構築支援

 2011年7月の南スーダン独立とともに立ち上げられた国連PKO(UNMISS)には、自衛隊の施設部隊と司令部要員が派遣された。派遣から約5年半を経た2017年5月末に施設部隊が撤収し、日本の対南スーダン支援は新たな時期を迎えることとなった。

 私が2人目の駐南スーダン大使として着任したのは、独立から4年近く経った2015年4月。自衛隊の施設部隊350名は半年毎のローテーションで7次隊が派遣され、司令部要員は当初の2名から4名に増え、JICA、国際機関、NGOとともに積極的に平和構築支援を展開している頃だった。

 しかし、2016年7月にジュバで衝突が発生し、JICAやNGOの関係者は国外退避を余儀なくされた。11月には、平和安全法制施行を受けて「駆け付け警護」の新任務を付与された第11次隊が到着した。12月には国連安保理で米提案の対南スーダン武器禁輸導入・個人制裁強化決議案に日本が棄権票を投じ、否決された。2017年3月には自衛隊施設部隊の撤収が発表され、5月末には撤収を完了、自衛隊は司令部要員のみが残った。その一方で、我が国は国民対話支援など新たな柱を打ち出し、JICAやNGOも遠隔支援を継続してきた。私は9月に離任し、後任者に仕事を引き継いだ。

 以上のような南スーダンでの一連の動きが日本でも広く報道される中、オールジャパンの平和構築支援がどのような成果を上げ、いかなる教訓と課題を残したのか、現場で見聞きし考えたことをお伝えしたい。

政治プロセスへの関与:南スーダン政府と国際社会の協力を橋渡し

 2016年1月から2年間、我が国は国連安保理に入った。7月のジュバ衝突など事態が大きく動く中、自衛隊派遣やJICA事業など南スーダンに深く関与してきた我が国は、安保理常任理事国となるに相応しい役割を果たすよう努力した。安保理会合で南スーダンが議題に上る度に、NY・東京・ジュバ間で緊密に連絡を取り合った。

 当初我が国は、南スーダンの政治プロセスについて、従来から欧米諸国が主導してきた経緯も踏まえ、関与には比較的慎重であった。2013年12月に発生した政治危機に対処するための2015年8月の衝突解決合意も、周辺諸国のIGADによる仲介を、スーダン和平に長年関与してきた米・英・ノルウェーの「トロイカ」が財政的に支援していた。しかし、南スーダン政府と「トロイカ」、なかんずく米国との対立は徐々に深刻となり、2016年7月のジュバ衝突後の展開を踏まえ、米国は、南スーダン情勢の悪化を止めるためには、国連安保理での対南スーダン武器禁輸の導入と個人制裁の強化が必要と考え、その可能性を真剣に検討し始めた。他方で、IGAD・AUを含むアフリカ諸国は、南スーダン政府との対話を通じた情勢改善を引き続き優先し、制裁には消極的であった。

 結局、オバマ政権末期の2016年12月に、米国は安保理で武器禁輸導入・個人制裁強化決議案の採決に踏み切った。英仏等が同調して賛成票を投じる一方、アフリカ諸国、ロシア、中国、日本などは棄権票を投じ、安保理15票のうち可決に必要な9票に2票満たず否決された。

 このような安保理内の立場の違いは、我が国を含めいかなる国にとっても、決して望ましいものではない。我が国は、国際社会と南スーダン政府の協力を推進すべく、政治プロセスへの一層の関与に踏み出した。具体的には、南スーダン政府が提案した国民対話が包摂的な形で行われるよう、国連と協力しつつ支援を開始した。また、IGAD主導でAU、国連など国際社会の支持を得て開始したハイレベル再活性化フォーラムにも、我が国は当初から支持を表明し、昨年12月の第1回会合には外務本省から代表を派遣してステートメントを行った。

 本年1月から我が国は国連安保理の議席から離れることとなった。しかし、現場での対話・支援と主要国とのバイの協議を組み合わせることで、関与の継続は可能である。南スーダン政府と国際社会の協力の確保を通じた平和の実現に、我が国として引き続き大きな役割を果たすよう努力したい。

自衛隊の活躍:高い能力と規律のマルチタレント集団

 自衛隊の活躍と貢献は、紙幅がいくらあっても言い尽くせないが、特に以下の点に強い印象を受けた。

 第一に、高い能力と規律である。国連PKOがその機能を発揮するために、ジュバ衝突の後、宿営地の壁や見張り台、退避壕などを迅速に整備・強化したことは、広く関係者に大きな安心感を与えた。国連PKOの活動のためにジュバ市内やジュバと周辺各地を結ぶ道路整備は広く住民にも裨益し、厳しい環境の下で作業を行う自衛隊員の努力に対して、多くの感謝の声が寄せられた。軍事司令官からは、日本の部隊の高い規律とモラルは他国の部隊にも良い影響を与え、UNMISSの士気を高めているとの賛辞をいただいた。

 第二に、文化活動・草の根交流である。国連やJICAをはじめとする各種の行事・式典では、自衛隊の太鼓や演武のみならず、熊本の山鹿灯篭まつり、青森のねぶたまつりなど部隊出身地の文化行事も披露していた。南スーダンの若者とは、空手、サッカー、バスケットボール、バレーボールなどスポーツ交流も行い、孤児院訪問では、南スーダン幹線道路地図とドミノ倒しを組み合わせた手作りの教育玩具や、2年後の自分宛てに未来の夢を書かせて地中に埋めるタイムカプセルなどで子供たちを喜ばせた。まさに「マルチタレント集団」である。

 第三に、UNMISS内の防衛交流である。オーストラリア軍からは2名の連絡要員が自衛隊施設部隊に派遣され、英語力やUNMISS内のオーストラリア人脈を活用して日々の自衛隊の活動を側面支援したのみならず、課外活動参加などを通じて親交を深めた。前線の実任務を通じた日豪防衛協力の深化を目の当たりにした。また、自衛隊は各国部隊との相互訪問・交流や文化行事への参加等を行い、持ち前の能力と規律を他国要員に強く印象付けることで、日本は敵ではなく味方にしたいと思わせる展示・抑止効果があったように思う。

 最後に、自衛隊の存在は、大使館をはじめ在留邦人にも大きな支えとなっていた。在留邦人は交流等の機会に、宿営地の「自衛隊風呂」や和食の恩恵にもあずかった。邦人保護は大使館の任務であり、自衛隊部隊は国連のもとにあることから、緊急時の対応については国連とも十分に協議を行い、万全を期した。

 このような自衛隊の活躍を支え、国連のミッションや南スーダンの平和と開発に資する形で我が国の国益を確保、増進するのが大使館の役割の一つであった。部隊は先般撤収して司令部要員のみとなったが、自衛隊の部隊派遣が大きな成果を上げたことは、機会を捉えて広報していきたい。

JICA:効果的な案件形成・実施が我が国への高い評価に

 JICAは2005年の南北スーダン包括和平合意後から平和構築支援を継続しており、私が着任した2015年には相当大きな存在感を示していた。特に、南スーダン政府が「フリーダム・ブリッジ」と命名したナイル架橋プロジェクトは、群を抜いて評価されていた。既存のナイル架橋は1972年に架けられた小さな鉄橋しかなく、新首都の新たな橋は誰もが望むものだったからである。また、ジュバ水供給プロジェクトも、市内で安全な飲み水の生産が追いつかず高価なため、住民から完成が待たれていた。先人達による適切な案件形成が、いかにその後の日本への評価を高めるものかを実感した。ただし、2016年7月のジュバ衝突でJICA関係者が国外退避して以来、両プロジェクトとも工事半ばで中断している。昨年末、ようやくジュバの危険度が引き下げられた。早期の再開と完成に向けて、治安の改善と安全対策の強化に努力したい。

 それ以外にも、包括的農業マスタープラン、職業訓練センター、河川港をはじめ、ニーズに合ったプロジェクトが以前から進行していたが、古川JICA事務所長(当時)のイニシアティブで立ち上げられた「平和のためのスポーツ支援」は、JICA支援の幅を広げるものであった。教育や保健のニーズに応える方が先という見方もあった。しかし、2016年1月に南スーダン版国民体育大会の「国民結束の日(National Unity Day)」が独立後初めて開催され、全国主要10都市の代表選手がジュバに参集して1週間に亘り陸上競技とサッカーの対抗試合を行ったことは、国民に大きなインパクトを与えた。開会式には副大統領をはじめ多数の閣僚が臨席し、10都市の選手が旗を掲げて入場、整列した姿は、南スーダンの平和回復への歩みを象徴するものとなった。厳しい生活の中でも、いや厳しい生活だからこそ、人々、特に若者はスポーツのような夢・希望・楽しみを強く欲していた。JICA退避後の2017年1月にも、南スーダン政府は第2回大会を立派に敢行し、自立への歩みを着実に進めている。2016年の南スーダン選手団のリオ・オリンピック初参加もJICAが支援した。2020年の東京オリンピックに向けて、更なる発展を期待している。

国際機関:人道から開発への移行支援を広く実践

 南スーダンでは、世界でも最大規模の人道危機が継続し、国際機関との連携は、我が国の平和構築支援の大きな柱となった。欧米諸国が国際機関やNGOを通じて食料、水・衛生、保健、教育分野の緊急ニーズに多額の支援を行う一方で、我が国は、自立への道筋が重要との観点から、人道から開発への移行支援に焦点を当ててきた。

 最も有意義と感じられたのは、UNDP・UNICEF・WFP・FAOと米国・ドイツ・スウェーデン・我が国のマルチ・バイドナーによる回復・安定化支援(Recovery and Stabilization Program)である。治安が悪化する前線に人道支援が集中しがちな中、とりあえず落ち着いている地域に生計支援・農業指導・栄養不良対策などを行い、コミュニティ・レベルの保護と能力強化、すなわち人間の安全保障を促進することで、国内で安定している地域を広げていくというアプローチである。我が国単独で行うのではなく、バイ・マルチ双方のドナーを巻き込むとともに、州・郡政府も十分に関与させることで、他ドナーの資金によるスケールアップとインパクト向上も視野に入れている。現時点では、北部のアウィールや南西部のヤンビオなど一部地域で開始したばかりだが、今後、この人道から回復への移行支援の王道ともいえる本プログラムが全国各地に拡大することを期待している。

 更に、制度構築・能力構築のアプローチも大事である。例えば、我が国はWHOと共同で献血制度構築支援を行っている。2013年12月の政治危機で、ジュバに多数の死傷者が出た際にケニアから輸血用血液を空輸せざるを得なかった経験から、献血制度の必要性が認識された。我が国は、当時の医務官のアドバイスも踏まえ、WHOとの連携により補正予算で支援することとなった。これは、難産や事故対応をはじめ喫緊のニーズに応えるとともに、中長期的な制度整備・人材育成にも資するものとして、人道から開発への移行を促進する典型的な案件である。2015年の世界献血者デーの際には、医務官を筆頭に私を含む館員が献血し、「日本は資金のみならず血液のドナーにもなった」と報じられた。その他、UNDP連携の警察支援、IOM連携の入国管理支援も、人道・開発双方に資する制度構築支援として、関係者から高く評価された。

 インフラ整備も人道と開発の双方に資する。南スーダンにはナイル川をはじめ全国各地を河川が結んでおり、河川交通は大きな潜在性を持つ。我が国はUNOPSと連携してミンカマン河川港を整備した。起工式から落成式まで約半年の短期工事で、人道物資輸送のコスト削減と中長期開発の双方に資する。両式典とも建設大臣が臨席し、地元からも大変喜ばれた。

 また、UNITAR広島と連携した人材育成事業では、2016年から毎年、南スーダン諸機関の若手職員約20名が約1週間広島で研修し、戦後70余年の広島の復興を体感するとともに、将来の取組に向けて官民を横断したネットワークを形成する、日本ならではの支援を行っている。

 これらの事業の多くは、国際機関邦人職員が事業実施や広報に関与し、日本のビジビリティを一層高めていた。

NGO:遠隔支援のハードルの下で現地関係者の能力強化を支援

 南スーダン国内では、独立前からジャパン・プラットフォーム傘下のNGOが広く支援活動を行っていた。しかし、2013年12月の政治危機でNGO邦人職員は国外に避難し、2015年1月から邦人職員のジュバへの出張はいったん認められるようになったが、2016年7月のジュバ衝突以降は遠隔支援のみとなった。現在、ピースウィンズ・ジャパンは現地NGOのTHESOの能力強化と連携による水・衛生支援、日本紛争予防センターは現地職員を通じた民族融和・平和共存支援、そしてワールド・ビジョン・ジャパンはワールド・ビジョン・南スーダン事務所を通じた地方での教育支援を継続している。

 邦人職員の不在というハードルにもかかわらず、現地NGOや現地事務所関係者からは、日本のNGOが資金のみならずノウハウ面で様々な指導・支援を行い、事業のインパクトを向上させていることを高く評価していた。また、完成式に際しては大使館の出席・メッセージや自衛隊の太鼓演奏などで、日本の存在と貢献をアピールした。

おわりに:TICAD7に向けて

 現地で日本の諸組織とともに支援を行って実感したのは、南スーダン国民の目線で自立・自助努力の側面支援に取り組むという共通の姿勢である。日本がこのような姿勢と主要支援国としての立場を活かして、南スーダン政府と反政府勢力の間、南スーダン政府と欧米等のドナーの間に立って橋渡しをすれば、大きなインパクトが生み出せると感じた。

 我が国として平和構築支援を推進するためには、同じく日本の諸組織の共通課題である邦人安全対策を強化することが不可欠である。TICADプロセスでは、以前からアフリカの平和と安定の推進が大きな柱の一つとなっている。TICAD7に向けて、南スーダンでの経験と教訓も踏まえ、幅広い関係者の皆様とともに、日本の強みをアフリカの平和と安定のために出来る限り生かしていきたい。

(本稿は個人的見解であり、筆者の所属する機関の見解を示したものではない。)

南スーダン全国空手大会(2017年4月29日)
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