第40回 外国語のカナ書き表記

元駐タイ大使 恩田 宗

 外国語の単語や地名人名をカナでどう綴るか迷うことが多い。拠るべき規則がまだないからである。以前この欄でヴェローナ、シェイクスピア、ボランティアと書いたが自分の語感で決めたり新聞を真似たりしただけでそれで良かったのだとの確信はない。辞書も当てにならない。広辞苑はヴェローナ大辞泉はベローナで、両辞書ともシェークスピアだが英文学者の小田島雄志はシェイクスピアである。広辞苑はvolunteerはボランティアだがvaultはヴォールトである。

 外国語のカナ書き表記の拠りどころとしては一九九一年の内閣告示「外来語の表記」がある。しかし、国語化の進んだ語は複雑な形で表記せず易しい綴りで書くことができるとの一般的指針に加え五百余りの実例を示しているだけである。官公庁や報道機関を念頭に定めたもので「専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうと」はしない、「過去に行われた様々な表記を否定しよう」ともしないとしている。最終的には各人自由にということなので混乱が続いてきている。

 カタカナ語は一九九四年の調査では雑誌七十種に使われている語の三五%にのぼる。三四%の漢語や二五%の和語より多い。日本語は使っている言葉の三分の一以上についてまだ綴り方(正書法)が確定していないことになる。

 幕末の遣米使節団の頃はPhiladelphiaを日本語訛りでヒラドルヒヤと表記していた。原語音に近いフィなどという音はその頃の日本語では書けなかったからである。明治になっても坪内逍遥は証拠(エビデンス)、二十(トエンチイ)、欠点(デフヘクト)、OXFORD(オックスホード)、形体上(フヒヂカル)などと書いている(「当世書生気質」)。ヴィ・ティ・ディ・フォ・フィの類はその後に外来語の受容を先導した知識人達の原語音へのこだわりがもたらした成果である。

 しかし言語は楽な方に傾いていくものらしい。カタカナでの綴りも再び日本語訛りに戻りつつある。Vを表すため使われてきたヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォは固有名詞を除きほぼバ・ビ・ブ・ベ・ボ戻りつつある。T・D・Fで始まるティ・ディ・デュ・フィ・フォ等はそのままのものとチ・ジ・デ・ジュ・ヒ・ホ等に変ったものとに分かれる。スパゲッティ・レディ・デュエット・フィールド・リフォームは前者、チケット・スタジオ・キャンデー・ジュラルミン・ヒレ(肉)・テレホンは後者である。外務省の在外公館名もエディンバラとサウジアラビア、デュッセルドルフとホンジュラスなど二通りである。母音のAはケーキやケーブルのようにエイがエーに崩れている。漢語でも同じで永久や衛星がエーキュー、エーセーと読まれるようになった。

 いずれオックスホードでヒロソヒーをスタデーしたなどと楽な方で書くようになるかもしれない。桑原武夫が文化というものはどこか頑固なところがあると言っていたが津波の如き英単語の流入に対し日本語がせめてもの意地を通そうとしているのだとも考えられる。