成田国際空港へ130回


外務省参与(成田担当大使) 元駐エストニア大使 星 秀明

 平成25年4月1日に当時の岸田外務大臣から「外務省参与を命ずる。外国要人接遇業務に従事せしめる」との辞令を、また同時に「外国要人接遇業務に従事する期間大使の名称を与える」との別の辞令をいただき、爾来約130回ほど外国要人の送迎のために成田空港に通ったことになる。初代在エストニア国特命全権大使を辞して間もなく人事課長からいただいた1本の電話から始まった成田空港通いもこの3月で5年になろうとしており、齢70にならんとする今日、そろそろ最後の御奉公に区切りをつける時を迎えつつある。そこで直接の関係者以外に殆ど知られることのないこの仕事の実態について、読者の皆様の理解を深めていただくべく、少し詳しくご紹介することと致したい。いささか手前味噌になっている点は予めお許しを乞う。(内容は須らく筆者の個人的見解です。)

 大臣官房総務課からいただいている名刺には英文で、「Ambassador、Special Assistant to the Minister for Foreign Affairs」と表記されており、辞令共々勤務場所についての記載は無い。テレビ東京の人気番組「YOUは何しに日本ヘ?」は成田を中心としつつ各地の空港等に出向いて取材を続けているようであるが、通称“成田大使”の業務は文字どおり成田空港での業務に限られ、羽田空港やその他の場所で要人を接遇することはない。名刺の日本語部分にも当初のものには「外務省参与 大使」とだけ記されていたが、現在は「外務省参与(成田担当大使)」と書いてもらっている。

 成田空港第2ターミナルの管理棟の一角に外務省総務課成田分室が置かれており、室長、室員1名、派遣職員7名程度で空港での接遇業務に当たっている。皆さんプロフェッショナルだ。立派な大使室もあるが、大抵の場合、主は不在である。主は案件ごとに駆けつけることになっており、常駐しているわけではない。成田分室では、側面支援を含め年間約600~700件の要人の送迎を行っており、その8割強が外国要人相手である。成田大使の出番は、そのうちの25件程度であり、全体の5%に満たない。外国要人のうちの一部の要人の接遇に特化しているためである。件数的には各国の新任大使の着任時の出迎えが最も多く(この場合、週末・祝日の出動はなく、また、離任時の見送りもない)、閣僚・閣僚級がそれに次ぐ。王族、大統領夫人、副大統領、国際機関幹部等も稀にある。TICADや島サミットなどの際には大統領、首相等の接遇も行う。国連事務総長の見送りもあった。LCC用に第3ターミナルが新設されたが、LCCで来られる要人はいないのでANA、ユナイテッド等の第1ターミナルとJAL、エミレーツ等の第2ターミナルが舞台となる。出迎えの際には、受取荷物のターンテーブルのあるホールの端にあるゲストルームを使用し、見送りの際には外務省貴賓室を使用する場合が多い。

 成田大使の1件あたりの空港での実働時間は、出迎えの場合は2時間程度、見送りの場合は3時間程度となる。出迎えの場合は、航空機の早着に備えて1時間前には空港に到着し、30分前には在京大使館等の関係者と合流し機側に向かう。空港施設内への入構を特に許可されたバッジを全員付けなければならない。機側と言っても航空会社によって対応が異なり、実際に機側でお迎えする場合と蛇腹の手前の通路で待つ場合がある。機側で要人と挨拶したり握手したりしていると他の客に迷惑がかかるので、通路で待つようにと要請されることも多い。成田大使としては機側まで行きたいところであるが、航空会社の決まりは尊重せざるを得ない。お国の事情で、出迎え関係者が要人を機側でお迎えできないのは要人に対する非礼と見做される国もあるようであり、成田分室ではその辺の調整に困難を感じる場合があるようである。

 要人と最初に握手して挨拶するのは成田大使なのか或いは関係国の出迎え者の代表なのかも些細なことのようでも気を使うところである。成田大使としては柔軟に対応することとしており、直前に相手方と相談してその都度決めている。大方の国の大使館員は外務省からわざわざ派遣された成田大使に先にやって欲しいとの意向を示すが、お国の事情で、自分が先に要人に挨拶したいとする方もおられるのは興味深い。

 成田大使は特命全権ではないプロトコール上の大使であり最早国家公務員ではない。大使室にパソコンはあってもLANは使えない。手当は月給ではなく、1件毎に謝金で賄われる。交通費は実費である。自宅に黒塗りの公用車が迎えに来ることはない。私は千葉県八千代市に住んでおり、東京メトロ東西線直通の東葉高速線と京成線を乗り継いで空港に赴く。乗車時間は40分程度である。前任者も隣りの佐倉市から通われた。案件により出動時間は早朝6時台から夜の10時頃まで様々である。いずれにせよ世界の多くのリーダー格の特別な方々と出会い、お話しができる貴重な機会であり、得られたものは計り知れず、この5年間は私の人生に於いても至福の時であったと心から感謝している次第である。        

 成田大使の本省との窓口は、儀典官室ではなく総務課であり、連絡はいつも総務課調整班長から電話で入ってくる。1週間程度前の連絡が原則であるが、2,3日前といったショートノーティスな案件から1ヶ月以上先のものまで様々である。当方の日程の確認、要人略歴・滞日日程等のFAXによる送付、変更の知らせ等、実に正確無比の仕事ぶりである。成田大使は大概の場合、事前ブリーフィングを受けることは無く、いただく資料はこの略歴・滞日日程が全てである。それを基に話題を想定したにわか勉強が始まる。要人と直接1対1で接する出迎えの際の小1時間、見送りの際の2時間弱の会話の中身をどのようなものにするかは成田大使にとって一番肝腎なところであるので、最善を尽くすのは当然である。初来日の要人も少なからず、入国・出国を問わず、好印象を持って成田空港を後にしていただかなければならない。その要人の出身国の地理、歴史、経済、政治状況、著名人、最近の話題、対日関係、在任国日本大使名等の基本情報をネット等で収集し、更に要人自身について職歴、学歴、趣味、言葉、宗教、家族状況等の中から話題のネタを探し、敷衍できるように事前準備を進める。自分の半生を振り返ると何かしらの共通の話題にたどり着くものだ。小学生時代の1958年にMLBセントルイス・カージナルスが訪日した際、田舎の野球少年が英雄スタン・ミュージアルや後年日本で考える野球を実践したブラッシンゲーム(ブレイザー)のプレーを目の当たりにした感動、大学時代に硬式野球に打ち込んだことや学費稼ぎに30ほどの異なるアルバイトをしたこと、米国やフィンランドの女子学生と青春時代を通して文通したこと、40年余の外務省・在外公館勤務を通じて得た知識や経験、そして退職後にフリーになって経験した諸々のこと、就中、小さな事件に遭遇して正義を通した裁判の経験、そして国政・地方選挙の手伝いをした経験、年間を通して常に20~30種類の野菜を育てているミニ農業の体験、5人の孫のケア、シングルを目指して精進しているゴルフ等々あらゆる材料を掘り起こして対応している。交渉を行なうわけではないので、要するにスムーズな世間話ができれば良いのであるが、いずれにせよ全人格的な作業となる。外国語は英語とドイツ語しか使えないが、マレー語、チェコ語、エストニア語等かつて出会った特殊語を含めあらゆる言語の断片知識を総動員して対処している。これまで言葉で困ったのは母国語以外にはロシア語しか話さず、かつ寡黙であったベトナムのある大臣の出迎えのケース1件のみである。

 数十台のカメラに囲まれたキャロライン・ケネディ米国大使の着任、選挙で当選した経緯を熱く語った国連事務総長、日本の文化・社会から宗教等まであらゆる分野にわたる率直な質問とそれへの回答を通じて搭乗を前に肩を組むほどに意気投合したイランの副大統領、野球の話題となり守備位置が偶然外野のセンター同士だったことが判明したイラクの大臣、故郷いわき市で開催された島サミットに向かう参加各国の大統領・首相に東日本大震災について説明を行ったこと、ラフな姿で現れたが、国が苦しい時に日本が援助してくれたことに国民全てが感謝していると力説していた旧共産圏の小国の若い女性大使、日本勤務の心得を生真面目に問う欧州の大使等々様々な出会いがあり忘れ難い。

 最後に、キャリアの番外でこのような機会をいただいたことに対して当時の人事課長を含む関係者の皆様に、またこの業務を恙無く遂行するために長い間ご支援をいただいた総務課及び同課成田分室の皆様に改めて心からの感謝を述べ、稿を閉じることと致したい。