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日本とモザンビークの絆と友好


駐モザンビーク大使 池田 敏雄

 1977年1月、日本はモザンビークと外交関係を開設しました。それから40年目に当たる2017年、日本とモザンビークは外交関係樹立40周年を迎えました。

 昨年3月にニュシ大統領が訪日し、天皇皇后両陛下との御会見、安倍総理との首脳会談を行い共同声明が発表されました。

 昨年8月にはTICAD閣僚会合がモザンビークの首都マプト市において開催され、本邦より河野太郎外務大臣、堀井学外務政務官、武部新環境政務官、アフリカ諸国より25人の閣僚が参加しました。

 その他様々な要人往来、周年事業が開催され、日本とモザンビークの関係は一層緊密化しています。

  しかし日本とモザンビークは両国が外交関係を樹立するはるか以前より歴史的絆がありました。

 九州のキリシタン大名の名代として4人の少年を中心とした天正遣欧使節団は、1582年、ヨーロッパに向かいました。1586年、同使節団は帰路、乗り継ぎ船を待つためにモザンビーク島に寄港しました。季節風の風向きが変わるのを待つためにモザンビーク島で6ヶ月過ごしています。現在判明している限りでは彼らがアフリカの地に降り立った最初の日本人とされています。

 また、天正遣欧使節団を計画・実施したイタリア人宣教師ヴァリニャーノは、1579年訪日し、1582年まで滞在しました。1581年ヴァリニャーノは織田信長と謁見しますが、従者としてつれていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人の従者はモザンビーク出身であり、信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられています。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。

  太平洋戦争の開戦直後から、外務省は敵国及び断交国にある官吏及び在留民の交換計画を研究し、中立国を通じてアメリカ及びイギリスと交渉した結果、1942年(昭和17年)5月、両国との間に外交官等の交換に関する協定が結ばれました。これに基づき、日米交換船は、第1次(1942年6月から8月)と第2次(1943年9月から11月)の二度実施され、第1次帰還者は1421名、第2次帰還者は1517名にのぼりました。また、日英交換船は、1942年7月から10月にかけて実施され、総計1742名が帰還しました。交換に際しては、日本側からは浅間丸、竜田丸、鎌倉丸等が、交換地のロレンソ・マルケス(当時ポルトガル領。現在はモザンビークのマプト)に派遣されました。

  両国の外交関係樹立以降における様々な絆と友好の代表的な事例を紹介します。

  モザンビークはポルトガル領でしたが、1960年代からのモザンビーク解放戦線(FRELIMO)を中心とする活動により、1975年に独立しました。

 独立以降、政権を握るFRELIMOと反政府組織モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)の間で内戦が続きましたが、1992年10月和平協定が結ばれ内戦は終了しました。国連は1992年に停戦及び武装解除の監視、選挙監視、人道援助支援等を行う国連モザンビーク活動(ONUMOZ)を設立しました。

 日本は1993年から1995年まで国連モザンビーク活動(ONUMOZ)への協力として、自衛隊及び文民を派遣し、司令部業務、輸送調整業務、選挙監視業務のそれぞれの分野で活動を行い、1992年の和平合意後のモザンビークの国作りに貢献し、アフリカで初めての自衛隊によるPKO参加となりました。

  1992年に内戦が終了したモザンビークでは農機具や自転車と交換に人々から武器を回収する「銃を鍬に」プロジェクトが行われていました。

 これに着目したえひめグローバルネットワークは、99年に松山市から譲り受けた放置自転車100台をモザンビークに寄贈しました。その後もこのNPOを中心に、愛媛の皆さんは、対モザンビーク支援活動や人々とも交流を続けました。こうした取り組みが評価され、2008年5月第四回アフリカ開発会議出席を終えたモザンビークのゲブーザ大統領は愛媛県を訪問しました。同大統領は愛媛県を訪問する初の外国国家元首となりました。

 愛媛県滞在中のゲブーザ大統領は愛媛大学を訪問しました。そのことがきっかけとなり翌年同大学でモザンビークと日本の環境教育に関する国際シンポジウムが開催されました。シンポジウム終了後、愛媛大学とモザンビークの新設大学であるルリオ大学との間で、教員・学生交流や共同研究を内容とする学術交流協定が締結されました。

  2004年7月から2年間に亘りモザンビークに派遣された青年海外協力隊員(理数科教師)の窪田保氏が課外授業としてけん玉をモザンビーク人学生に指導。2006年7月大阪で開催された「第5回ワールド・オープンけん玉大会」にて、教え子のフラビオ・アルマンド・マカリンゲ氏(当時22歳)が8時間連続(世界記録タイ)でけん玉を続け優勝。マカリンゲ氏は現在小学校教員となり、けん玉普及を展開中。

  モザンビーク女子バスケットボール代表チームは2013年アフリカ選手権において準優勝した強豪。同女子バスケットボール代表チームは東日本大震災復興支援国際親善試合のため2013年6月と2014年7月に訪日しています。2014年1月にモザンビークを訪問した安倍総理は同バスケットボール代表チームとの交流会に参加しました。

  最後に2017年の日本モザンビーク外交関係樹立40周年の掉尾を飾る記念事業として昨年11月に開催された文化事業をご紹介します。

 当館在外公館文化事業として、和太鼓奏者の金刺敬大氏、津軽三味線奏者の小山豊氏、篠笛・能管奏者の山田路子氏をモザンビークの首都マプト市にお招きして、昨年11月18日、エドゥアルド・モンドラーネ大学文化センターにおいて日本の古典楽器による演奏会を開催しました。

 演奏会の第一部においては、日本の古典楽器による日本的情緒に満ちた音楽の演奏と伝統楽器の紹介を通じて会場に集まった聴衆に日本文化に対する理解を深めて頂きました。演奏会の第二部において日本より来訪した3名の音楽家は、当国の著名サクソフォーン奏者であるモレイラ・ションギッサ氏と毎年モザンビークを来訪し音楽交流を行っている日本人バイオリニストの江頭摩耶氏によるジョイントセッションを行いました。才能あふれる音楽家による即興演奏が展開され会場は大いに盛り上がりました。また、当地有名歌手ジョゼ・ムカヴェレ氏も飛び入り参加し会場はさらに盛り上がりました。最後は日本より来訪した3名の日本人音楽家による演奏に戻り圧倒的な技量と音楽性で聴衆を魅了しました。まさに外交関係樹立40周年記念事業にふさわしい演奏会になり、本演奏会に参加して頂いた日本人音楽家及びモザンビーク人音楽家に感謝したいと思います。なお、本演奏会はTVM(当国国営放送局)が収録し、テレビ番組として編集され、昨年12月10日、放映されているので演奏会の聴衆だけでなく全国のモザンビークの方々に演奏会を楽しんで頂けました。

日本モザンビーク外交関係樹立40周年記念事業:「邦楽コンサート」における邦楽グループ
(KEITA KANAZASHI Produce“TOCAMOS”PROJECT)による公演